JIA 25年賞・JIA 25年建築選
JIA25年賞 受賞作品
登録No.272高知県立坂本龍馬記念館
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有限会社ワークステーション
龍馬生誕150年記念事業実行委員会(現 高知県)
大成・大旺建設工事共同企業体
1991年8月
高知県高知市
「3年前に行われたコンペ当初、指示されていた条件は、総工事費のみであった」と、高知県立坂本龍馬記念館の設計者である高橋晶子は、開館時に建築雑誌に寄せた文章の冒頭に書いている。
建設背景を振り返ると、確かに同館は、建築のための建築だった。すなわち、展示物や機能を収める必要性から発生したものではなく、まずは建て築くことが目的だったと言える。
坂本龍馬生誕150年にあたる1985年の前年、高知商工会議所青年部をはじめとする12の青年団体によって記念事業実行委員会が組織された。昭和戦前期に地元の青年らが募金で桂浜の「坂本龍馬像」を建立したことにならって、有志の募金で「坂本龍馬記念館」を建設し、県に寄贈するためだった。記念碑的な民間からの思いが、次第に公的な同意を得て、建設場所が桂浜の坂本龍馬像の近隣に決まり、1987年11月には磯崎新を審査員長とする構想設計競技の募集が開始された。1988年9月に応募総数475点の中から最優秀に選ばれたのは、当時まだ篠原一男アトリエに勤務していた高橋晶子らの案であり、その初々しいアイデアそのままに1991年11月の開館を迎えた。
抽象的な素材感を持った幾何学的な形態が軸をずらして貫入し合う。その姿は、磯崎新らが再注目させたロシア構成主義に通じ、篠原一男の「第四の様式」を彷彿とさせ、コンペ開催の年にMoMaで催された「ディコンストラクティビスト・アーキテクチャー展」を連想させる。時代性との連動はここで、敷地の形状という変わらないものを記念碑性と結びつけた説得力のある解答となり、アプローチからの動線は最後に太平洋に突き出した先端に至る。明快な方向性が与えられた2階内部や屋上外部の空間が、手の届かない坂本龍馬と来館者を不変の自然を介して出会わせる。開館以来、来場者が減ることのないこの種の施設として稀に見る成功を収めた少なからぬ理由は、通常の建物に要求されるような機能が不決定である中、彫刻のような形態ではなく、内外の空間と共にある建築でしかできない解答を示したことにあるだろう。
建築的な挑戦が社会的に好評を持って受け止められたことで、当初想定されていなかった展示物や機能を収める必要性が生まれ、機能と形態の齟齬が大きくなった時期もあったが、2018年に完成した新館がオーソドックスな展示などの機能を担うようになると、本館として空間の伸びやかさを新鮮に回復するようになった。
当初の動線が変更されているなど建築的には多少気がかりな点があるものの、設計者が坂本龍馬が暗殺されたのと同じ33歳で開館を迎えたと語る当館は、荒削りな信念だけが関係者を巻き込み、動かして、いつの時代も次の世の中をつくることを告げる。そして、消えゆく人間のために発生したという建築の一つの原点を教えてくれる。
倉方俊輔