JIA 公益社団法人日本建築家協会

JIAの建築賞

JIA 新人賞

2025年度 審査委員講評

坂本 一成

「豊岡の家」
 この作品では、恵まれた自然環境に沿った的確な建物の配置、そして空間配列の巧みな構成が印象的でした。また吟味された部材の扱い、洗練され繊細なディテールにも感心しました。雑事を省いた建築の純粋なあり方として評価できると思われました。そこには設計者の建築を信じる強い意志と倫理を感じ、その結果による建築だとも思われました。しかし一方で、この建築の空間が、やや閉鎖的で堅苦しさを伴っていることに違和感を覚えました。それは、この建物の主たる空間の開口が北向きで南側が擁壁と向かい合うという構成上の問題からであるばかりでなく、この建築に与えられた強度な意志や倫理がその強度ゆえの硬さ、閉鎖性によるのではないかと思われました。よりおおらかで包含性のある寛容な空間でもある建築であることを願いました。

「段庭の家」
 この作品では、段段状にセットバックした外皮形状によって敷地全体に空所ボリュームが確保されていることから、建物の上部に段段状の庭である豊な外部空間が形成されており、更に地域環境に良好な環境保全をもたらしていました。またスキップフロアの集合による内部空間は有機的なプランニングを形成し、生活活動に的確に寄与しているように思われました。その開放的な内部空間は、軽々として爽やかな心地良い場となっていますが、部分的に狭小ゆえのタイトなところもあり、やや違和感もありました。このようにスケール対応に更なる調整も求めたいと思いましたが、全体的には、この段段状の屋上空間を内部空間と一体化するという構成形式によってまとまりの良い住空間が形成されている建築として評価できました。

「Grove」
 この作品から、ほぼ半世紀前に生まれた大髙正人設計の坂出の人工土地を思い出し、その未来都市型建築の上書き版の出現として懐かしさと共に新たな都市建築の可能性が期待できました。部位化された各空間は、人工地盤の上下に展開される強く分節された建築空間ではなく、鉄骨の立体格子に組み込まれる多くの部分があり、それゆえ豊な場となり、既存のタワーマンションや高層オフィスビルなどの味気ない空間を払拭した新たな積層建築の場所的空間が形成されることが実感できました。こうした立体格子の座標の中に必要用途が半外部空間としての外部を伴う配列による建物という分節と統合の形式の実現は評価できましたが、更に建築全体の豊な表情と部分であるインテリア的構成の繊細な配慮が加わることによって、より良い建築になると思われました。

「父子の家」
 この作品は、既存の建物の軸組構造を残しながら新たに覆屋を架けた、いわゆる鞘堂形式のリノベーション建物で、覆屋と既存架構材との間で生じる空間に特に魅力的な表情をもたらしています。また、作業所等から住宅への用途変更によるリノベーションということから意外な空間の出現など新鮮な場所が形成されています。このように既存部と新たな架構による要素との混在は、基本的に各要素間で対立することなく、包含している覆屋の形式よって纏められており、全体として評価できるものとなっていました。しかし一方、内部空間を支配し過ぎていると思われる既存の5列に並んだ黒色の鉄骨鉄筋の架構の対応にやや違和感を覚ました。このことを差し引いてもこの覆屋形式によるリノベーション建築は新たな建築空間として評価できると思われました。

石田 敏明

 95作品の応募作品は新築や改修、まち・地域づくりなど昨今の建築状況が示されている内容であった。現地審査対象となった4作品の現地審査は2日間にわたったが、両日共に天候に恵まれ、ほぼ同じ状況下で審査できたことは良かった。

「父子の家」
 周辺は古くからある住宅に混じって大型店舗やロードサイドショップなどが乱立する環境変化が激しい地域で緑も多くはない。そんな風景の中に木の外皮を纏ったキュービックで端正な外観が目をひく。改修では、既存と新規の部分の見極めと関係性が重要になってくる。新設した外殻が既存の家形をしたスケルトン架構をすっぽり覆う、鞘堂のような構成は耐震性能を新設部分に負担させることで既存部分の「自由度」を担保している。外殻は内外ともに洗練されたフラットなディテールで仕上げている一方、荒々しい木と鉄骨の骨組みが露出した既存架構とがジャムセッションのような楽しさとまとまりを創っている。それは、素材感と新設した上下階を緩やかに接続している階段と中間階の存在が大きい。大工であった先代の自由なモノづくりの精神を尊重することで完結しない、気ままな自由さが時間軸の中で継承されている。改修手法の一つのあり方として高く評価できる。

「段庭の家」
 建物の存在は、住宅が密集していて道路からはほとんど確認できない。「いつでも敷地全体で陽の光を目一杯浴びることができる家を作りたいと考えた。」というコンセプトが素直にデザインされた住宅であるが、その解答が斬新なのである。建物全体を北に向かって登る段状ピラミッドのような構成は、密集地のなかにヴォイドな新しい地形をつくり出している。外の4枚のテラスと内の4枚の床が慎重に位置付けされた断面構成は南の光、開放方向への距離など透明感のある多様な場所が獲得でき、物理的な床面積を超えた豊かな生活環境を創出している。住人はアウトドアライフを好む子育て世代であり、テラスの高低差を利用してターフを掛けたり発見的な行為もあると聞く。敷地の狭さ、密集地であっても生活を存分に楽しむことができることが示されていて、高く評価できる。

「Grove」
 歴史的建造物と高層建築が混在して立ち並ぶドラスティックに変化しつつある旧街道に面して立っている。経済優先で開発される均質的な景観に抗うように屋外空間が半分を占めるムラのある景観を目指したことは現状に批評的であり、高く評価できる。一方、「筋書きのない建築への試行」は現在進行形で変化し続ける建築への想いが窺えるが、まるで工事途中であるかのような即物的な鉄骨フレームに挿入された箱との構成はリジットで動的な揺らいだ関係を築くには至っていないように感じた。隙間を介して場所が相互に緩やかにつながる関係と様々な場所でのスケール調整ができていればと思った。

「豊岡の家」
 切り立った荒々しい断崖を眺望できる素晴らしい場所に立っている。建物全体を一段下げ、竹で編んだ緩勾配の屋根面しかアプローチから見えないようにすることで景観への配慮が窺える。機能ごとに3つに分棟化された建物は弓状のベース上に建築的秩序を乱さないよう厳密に配置されている。ノイズを排除し、ただひたすらピュアで質の高い工芸品のような空間を実現しようとする姿勢は、厳選された素材、確かな職人技術への信頼、精緻で洗練されたディテールなどが建築的結晶として、そこ彼処に表れている。しかし、新しい建築の可能性を切り拓くことにつながるのか疑問が残った。

原田 麻魚

 仕事にいそがしいとき、子供たちに「お母さんはライオンのお母さんなんだよ」と話したことがある。少し前、まだ子供たちが小さいころ。帰りの遅い日々の中で、子供たちに「なぜ母はこんなに仕事に一生懸命なんだろう?(ぼくたちのことよりも仕事の方が好きなんじゃないか)」と訝られるのではと心配しての話だ。ライオンの親子は野生の象徴で、その姿は生存のための狩りと一体的なデザインであるところですでに厳しい自然と自らを同時に受容している。つまりそこに矛盾はないわけだけど、なぜかうまく伝えられずに「狩りしないとお腹空いちゃうでしょ?」と、ずいぶんな言い訳をしたものである。
ライオンは例えであって、言い訳の背景は自然の摂理にとどまらない。私たちが生きる社会、政治、戦争や貧富の差、美学や芸術、文化、そして自然、つまるところ世界の中で、ライオン建築家は自身が建築家であるという疑いのない自認を持って、何かに挑んでいる。コンペや作品賞へ応募することは建築家としての自認の現れであり、応募された皆様全員に、共感と敬意を表したい。一方、審査においては耳をそばだてるように、建築的文脈や意味にかき消されてしまいがちな移ろう感覚の微細な現れ、誰にでも感動や喜びを与える存在を探して、それらをキャッチすることにも注力した。
時代背景の異なる審査員だが、この点は一致していたのではないか。そこから導く評価は異なっても、審査は穏やかでクリアな気配に包まれていたと思う。

「豊岡の家」
 荒々しい渓谷をなぞるように配置された細長い平屋の建築。渓谷と断崖を間近に佇む簡素な屋根は経年した竹で覆われていて、低彩度の程よいほったらかし感。これにより空と自然の彫刻による第一の空間である渓谷を文節することなく建築を関係づけている。突如木偶の坊のように建物が現れるリゾートの風景の対局である。細部まで考え抜かれたディテールによる室内空間は全て、窓の向こう側の、水や風に削られた自然のテクスチャーへと視点をいざなう役割をしている。最も機能するときに存在を消したい、枕のような建築だ。

「段庭の家」
 どこか懐かしい郊外の雰囲気が漂う住宅密集地に、南側に大きく段々テラスを配した小さな住宅である。行き止まり道路を廃道して住宅にしたのかと思っていたが、現地審査で行き止まり道路を2mずつ接道に使うという狭小敷地を活かした提案だと分かった。両隣を切妻屋根の懐かしい家、南北を新築住宅に囲まれて、鮮やかに異なる新しい形式が差し込まれている。テラスを含めて室内外を大きく家族の居場所とすることで、床面積以上に広々と、心を空へ向けて生活できているのだろう。建主さんの価値観を具体化する若々しい感性が眩しい作品だ。

「Grove」
 ガンダムみたいな大きな指先が、さつまいも色の構造体に賃貸店舗、賃貸住宅、オーナー住宅をはめ込んでいく。建築家が模型を作る姿を100倍にしたらそんな感じだろうか。思考の断片、構築という動作が都市にそのまま現れていて、商品化され時間や場所と切り離されたマンションが並ぶ街並みに、ゆっくりと不可逆的な意識変容を働きかけるような佇まいである。こうして高密度に膠着した街の構造に意識や熱量を込めていく。意欲的な建築作品だと思う。

「父子の家」
 壊れそうで壊れない山小屋に通っている私に、ちょうどよく心地いい住宅(笑)。自然に属する身体が働きだす、少しだけ焦げた柱やどうやって支えられているか分からない床、古いものと新しいものが混在する不思議な建築である。普通の古いものが持つフレンドリーな存在感を顕在化して価値付けている。自由と楽しさに、クライアントの記憶や西日の美しさが重なった、とある状態、とでもいうような建築であった。