JIA 公益社団法人日本建築家協会

JIAの建築賞

JIA 新人賞

2023年度 審査委員講評

室伏 次郎

 過去平均を超える九十人の応募という状況に「作品を通じて人を選ぶ」という新人賞の定義に則した審査の困難と責任を感じること大であった。
 すなわち、新しい建築の可能性を拡張させる資質を見出すことをただ一つだけの作品を見ることで行う困難さと、その評価は審査の目の独善となりかねない危うさから、審査する側が審査されるという緊張感である。
 現地審査も重要だが、作品の主旨説明文あるいはプレゼンテーション時のコメントやコンセプトから建築設計の可能性拡張に向かう姿勢及び社会性に向けた視点、例えばいま建築に最も重要で必要と思われるコミュニケーションの拡充など、を読み取ることを重視して臨んだ。

現地審査について:

「ROOF HOUSE」
広大な地平を見渡し、それを覆う天空の無限の広がりの下に居ることをまざまざと感じさせるランド・スケープの只中の敷地である。
そこに人間の居場所として明確に独立したROOFで覆われた屋根下空間という提案は、場所性の建築として納得させる力がある。
ROOFは卍型に組まれたレシプロカル構造の繊細な骨格で軽々と建ち上がった清々しい在り方をしている。
その下に三つに分節して配置された屋内空間とそれらの間に形成された外部空間という2種類の場はともに生活空間として扱われる提案で内外ともに居心地の良い場を作っている。また、その配置の巧みさによって屋根下以外の外周外部空間からのアプローチ部分は親和性のある場となっていて『さまざまな局面で「住まい」とそれと繋がる「地域」の新しい関係性が広がってゆく』住まい方の拡張の提案として高く評価し、新人賞に推薦する。

「静原村の家」
元農家群であった集落が計画地である。現在は農業を継ぐ者はいなく農業集落としての営みは全く感じられない。ほとんど全て平家作りの葺屋根の揃った景観は極めて美しく魅力的なロケーションである。そのロケーションの素晴らしさに惹かれた作者は活力ある営みを感じさせる場として再興するために、自ら移住することで計画をスタートさせている。4軒の空き家をリノベーションすることで集落の住人、訪れる人々との交流の場や仕事場、自宅、催し場と宿泊施設を整えている。その佇まいは日常的な交流を目指して建物全体の造りは従前のままに、拡大された開口を持ってコミュニケーションの拡充を目指している。
以上のように『都市の「過密」への対応に奉仕してきた近代の建築家という職能を集落の「過疎」に対応する職能として』既存建築をリノベーションで活かしつつ建築家の職能のあり方を拡大することに身をもってチャレンジする意気込みを大いに評価し、新人賞に推薦する。

「TEA SQUARE MORIHAN」
老舗茶屋のリノベーションである。減築によって小広場を作り出し、その広場の輪郭に沿って耐震要素の新たな円形木造枠を加え、新旧の対比を生み出して巧みに再生再興を表現している。しかしながらこのプログラム自体はコーディネーターからの課題であり、それに対して設計当事者としての改革提案の有無という視点では積極的に評価するには至らなかった。

「Grove」
 位相の異なる二つの純ラーメン構造を組み合わせ、均質な立体格子フレームの中に変化に富んだボリュームを組み込むことを可能にしている。
 プログラムは二つの住居、事務所、店舗を伴う複合ビルである。
前記の構造的工夫によって空間作りの多様性は増しているが、その工夫のためかメインフレームのディメンションはいささかオーバースケールと感じられる。解説では「このムラのある雑木林のような構造フレーム」とあるが、現地のそれには人体スケールに見合ったディメンションの雑木林のような空間というには違和感がありその意匠は荒削りなハードタッチなものとなっている。躯体と人間の居場所としての空間との相互関係を本提案ではどの様に考えたかについての説明が希薄であった。

山本 理顕

実際に現地審査の対象として選ばれたのが以下4作品であった。

主たる設計者:玉田誠、脇本夏子(玉田脇本建築設計事務所)
作品名:ROOF HOUSE

設計者:森田一弥(森田一弥建築設計事務所)
作品名:静原村の家

主たる設計者:竹口健太郎、山本麻子(アルファヴィル一級建築士事務所)
作品名:TEA SQUARE MORIHAN 二期工事

設計者:御手洗龍(御手洗龍設計事務所)
作品名:Grove

 周辺環境との関係、構造システム、素材、使い方、空間プログラム、そして何よりもそれは美しい空間でなくてはならない、など様々な観点から、書類審査と公開シンポジウムにおいて厳選された4作品であった。

○ROOF HOUSE
近隣は農家である。農作物の畑や資材置き場が広がっている。向こうの佐野バイパスを大型トラックが走っているのが見える。
そこに屋根だけが浮いている。ガルバリウム鋼板の折板が100×100のH綱に乗っているだけだから、屋根は極めて薄く見える。屋根を支える柱はφ76.3×4.2これも細い。鉛直方向の軸方向力だけを支える。その屋根の下にRCとガラスでできた小さな部屋が三つ配置されている。このコンクリート構造が横方向の加重を支える。鉄骨の柱の頂点からM16のロッドでコンクリートの構造に緊結されている。定尺の6Mを超えるロッドは途中で溶接されている。溶接がきれい。
この合理的な構造計画のおかげで見た目は極めて軽い。向こう側の風景が透けて見えているかのようである。
住宅というよりも郊外の作業所のように見える。周辺の畑を耕すための作業所である。様々な使い方が仕組まれている。製作の場所もある。あるいはお店のような場所でもある。経済活動もできるというのがこの建築の魅力である。従来までの住宅という概念を遙かに超えて、未来の郊外住宅はみんなこのようになるだろうという希望を感じさせてくれる。

○静原村の家
 静原村は美しい村である。森田一弥さんの功績はこの村の経済価値の発見である。建築の保存状態が良くて、村の人たちの伝統的生活も維持されている。ところが村の伝統的経済基盤が行政から見捨てられたために、村は危機的な状態にある。危機は少子化、高齢化が原因では決してない。行政による意図的棄村である。
 森田さんはそれまで培ってきた左官職人としての技術を生かして、この村の伝統の再活性化を計った。ところが森田さん一人では、それはあまりに困難な道である。それをやっている森田さんの努力がすごい。
 この見捨てられた経済価値を多くの人たちに再認識させるためには、世界に訴えるような、いわば世界的視野が必要なのではないか。

○TEA SQUARE MORIHAN 二期工事
「様々な工法が混在し重なり合った既存建築群を、中央部を減築することでコの字型に配される一列の建築群に整理し、中庭側の外壁を連続させて耐震補強することにしました」という作者の想いは、半ば成功している。奈良街道から引き込んだ通り庭状の街路の先に「茶の木の庭」が配置される。その「茶の木の庭」を巡って「拝見場」「カオリウム」「菓子工房」などの諸室が配置されるその配置計画は見事。
ただ、その「茶の木の庭」に架けられたガラスの軒のディテールがもう少し緻密なデザインだったらと思う。縦樋の処理ももう少し工夫があると良かった。中庭側のデザインと同時に町側のファサードも、もう少し開いていても良かったと思う。

○Grove
「間口9.1m、奥行き38.4mの細長い土地が残されている。そこに大きく外に開きながら近隣の自然環境との動的な関係を築き続ける、新しい積層建築の在り方を試みました」「このアドホックな作り方によって生まれる筋書きのない建築の秩序と強度が、内外一体となった空間の中に多様で発見的な場を作り出し、ここに息づく人々の能動性を喚起していくことを期待しています」という作者の思いは徒労に終わっている。発見的な場も存在しないし能動性を喚起することもない建築である。
写真は市営駐車場からの写真である。市営駐車場は単なる駐車場で市民の能動性を喚起するような場所ではない。grove(小さな林)という作者のこの建築に対する思いが作者の内側にのみ存在する虚構のようなものになってしまっているのである。唯一町に面している9.1メートルのファサードには、アクティビティーがほとんど感じられない。

 審査員の室伏次郎は「新人賞はその人の思いに対して授けられるべきだ」といった。作者の志の大きさに対して授けられるべきだという意味である。そのような意味で、ROOF HOUSEの作者が一歩先んじている。

鍋島 千恵

  現地審査を行なった4作品について、巡った時の印象を述べ、選評としたいと思う。

 田園風景が広がる先の小高い雑木林の中に、農機具や工場の材料などを保管している屋根のある町工場が目に入ってきた。その町工場と同じ様に「ROOF HOUSE」は建っていた。ところが、建物に近づくにつれ、町工場の屋根とは違った屋根の透明感に気づく。建物の入口に近づくと、薄い軽快な屋根は大きな存在感を放つ。その屋根は鉄骨梁を風車状に配置し、部材断面を極限まで小さくし、ブレースの配置は敢えて合理的に最短距離を結ぶのではなく、力の流
れを不明瞭にさせることで、さらに重力から解放され屋根の軽快さを作っている。
他方で、屋根の下にある住まいは、以前この敷地にあった母屋や蔵、作業小屋群の基礎を残し、この場所の記憶を継承しながら、既存の建物群とは異なる方向性を獲得している。今後の増築など生活の変化に応えるための、手がかりとなる屋根で周辺を巻き込みながら環境の輪郭をつくり、住まいに限らず機能が変わっても作り出された環境の力強さは変わらないだろうと思う。

 茶問屋が立ち並ぶ街道に面して「TEA SQUARE MORIHAN」がある。誰でも気軽に立ち寄れる佇まいであった。かつての住まい、店舗、工場と様々な様式で作られた建物群を一つにまとめる回廊を設け、中庭を囲う様に庇のリングで緩やかに繋ぐ。そのリングは繊細かつ力強さのある魅力的な庇であった。庇リングで全体性を作る一方で、機能・様式が違う建築群の長所を受け継いでいるものの、建物の思想はバラバラであった。建築群における設計者の一貫するある種の手法が、もう少し明快に見えて欲しかった。

「静原村の家」に訪れたのは2回目である。一度目と同じく今回も同じ季節、冬の訪問である。初回の記憶を思い出しながら改めて、初回にはなかった驚き、活力を奮い立たせる何かがあるのか、2回目の静原村を期待した。静原村は集落の風景としての素晴らしい魅力がある。設計者はその魅力を増幅させる新たな手法を提示しているのではなく、自身の暮らしもより豊かになるように、その場所の小さな発見を重ねながら、アップデートしている。その行為は、何かを追求するわけでもなく、特別な手法を強く打ち出すわけでもない。強いて言うならば、村に裏を作らない手法ということだろうか。
 そこにある素材や摂理、環境を享受しながらカタチにし、思想を落とし込んで整理した結果、新たな静原村の全体性を作り続けている。これは日本に残された集落の将来性を示唆していると思う。なぜ、それに初回の訪問で気づけなかったのか。思い返してみると、あの日、静原村は一面、雪で覆われ銀世界だった。建築家による実践のささやかな痕跡が雪という圧倒的な自然の力によって覆われてしまったのかもしれない。でもそれがこのプロジェクトの良さではないだろうか。訪れるごとに、違う風景を見せ、変わらない建築の空間が強く存在する。静原村の可能性は個別解には終わらず、他の集落へなんらか影響を及ぼす様な取り組みや思想をもつ、普遍的なものであると評価したい。

 中規模開発された高層マンションが立ち並ぶ街並みに「Grove」は建つ。建物のヴォリュームのおよそ半分近くが半外部空間になっているという。そのボイドの各所に柱、梁をオリジナルの形式で露わにし、吊っているのか支えているのか、重力を感じさせない仕掛けが施されている。その半外部空間は本来、人のためにあるべきだと思うのだが、人の活動のための機能的な場所であるべきか、ビルの外観において視覚的な抜けを作る場所であるべきか、そのどちらとも言えない、中途半端さが気になった。その半外部空間が、真に多機能化された時に可能性が見えてくるのかもしれない。