日本建築家協会(JIA)は建築家が集う公益社団法人です。
豊かな暮らし、価値ある環境、美しい国をデザインします。
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JIA新人賞の最終審査は現地審査であった。その時のことについて書きたいと思う。もちろん必ずしも実際に建物を見ないとわからないとは言いたくないが、やはり見学すると、建物がその場所にどのように立って、どのように呼吸しているか、それを感じ考える機会となりとても良かった。6つの建物を見学した。6つともそれぞれに素晴らしかったが、そこから2作品を選ぶのはとても難しかった。
最初に訪ねた「安部邸」は、7つの箱が正方形の中庭を作るようにリング状につながれて作られている。その結果、外側は出たり入ったりの形となり、周りの住宅地のスケールを表す建築となる。中庭の面は全てガラスで、それに対して外側は不透明の壁で、箱が重なっていないところが開口部となっている。見学する前は、中庭のガラスの立ち上がり方が強すぎるのではないかと気になっていたが、実際にそこに立つと、中庭は写真で想像したより小さな、快適なプロポーションのスペースであった。室内を構成するのに、メインの柱を両側でなく中央に一本立て、それをHビームが折れ曲がりながら一周してつないでいく構造は、おおらかな、緩やかな空間を作っている。外観の箱のズレは、建築の外部環境との応答により生まれたものだろうと想像していたが、どちらかというと内部空間の快適性ために計画されており、その結果この建物がよりうちに向いた住宅のように感じられたことが少し残念だった。
次に訪ねた「Houses」は、設計者の畝森さんとご親族の二軒の住宅である。二人で土地を求め、通常であれば四角い二つに分けるところを、細長い二つに分けて計画している。その結果、二つの家の接する面が長く大きくなり、多様な関係を生み、それぞれの家の生活が敷地に縛られない伸びやかなものとなっている。さらにその伸びやかさが、それぞれの家の快適性にとどまらずその界隈の快適性へと広がっていることが素晴らしいと思った。細い長い空間に長手に延びる梁をかけるという構造計画は、とても魅力的な空間を作っていたが、一部複雑すぎるのではと思わされるところがあった。 二軒の家で、幅が450ほど差があるのだが、それが非常に大きな差となって現れることに驚いた。
次の「佐竹邸」は、その場所での立ち方が印象的であった。写真で見ていた以上に、スケール、材料、ディテール、などが丁寧に考えられていて、割合小さな建物が密集して立つエリアで、周りに溶け込みながら、同時に、周りをまとめながらそのエリアを引き立てるように、街から目立ってたち上がっていた。説明を聞きながら、いろいろな創意工夫の上に出来上がったのがよくわかった。しかし同時に、それらのことと全く関係なく作られたようにも感じられた点に感心した。建物は自律的なものでありながら、その場所との関係の中にあることが強く感じられた。外観を作る小さな単位が内部空間のどこかでつながって、もう少し大きな空間になると、より快適な建物となったと思う。
「チドリテラス」は、18戸からなるコーポラティブハウスである。それだけでも複雑な問題に立ち向かうプロジェクトであることは明白であるが、その上、このプロジェクトの敷地には高低差があり、敷地を取り巻く環境は複雑で一様でない。そのような中で、ここでは、全ての住戸を共有の緑地に接するように配置し、そこから作り出される各住戸の豊かな暮らしとその緑を、敷地の周りの環境へとつなげていこうとしている。このとんでもなく難しく、チャレンジングな試みを、18戸の人々とプロセスを共有しながら、明快に解いて作り上げたことには驚かされる。 当日はほとんど全住戸を案内いただいて、住民の人が思い思いに住まいを楽しんでいるのを拝見した。道のことや、避難のことや、その他、様々な問題の解決や工夫、新しい視点等、たくさんの小さなことが積み上げられて全体が作られている。このある意味で複雑なあり方の中で、全体がどのように積み上げられたのかがもう少しわかりたかった。
静原村に到着するとまず神社に迎えられた。そこは、神社の構築物と大木とが混じり合った非常に魅力的な場所であった。そこから小道を少し行くと、交差点に森田さんの事務所があった。建物の向こう側に広がる大きな風景が、建物の2面に開けられた開口部を通して目の前に現れた。まだぜんぜん知らないこの村をなんとなく掴むことができたように感じた。この小さな交差点は村の中心にあるに違いないと。中に入って椅子に座ると、村全体に囲まれて仕事をしているように感じる。森田さんが、トイレはこの外の階段を降りたところか、もしくはさっきの神社の方に行ったところにあるのを使うんですよ、と説明してくれた。生活の中でいつでも村に触れ合うようになっている。村を結ぶ小道はあたかも建物の中の廊下のようで、坂道は一階と二階を結ぶ階段のようである。つまり小さな村は、それ全体が一つの建築のようである。その中を少しずつ森田さんがご自分で使いながら、計画している。もちろん集落全部に手をつけることは不可能だったろうが、要所要所を選ばれて、手を加えられて、全体の構造がわかり、全体性を感じることができるようになってきている。同時に、部分部分が、森田さんの独自のやり方で快適性のために手を加えられ、集落に新しい表情が生まれ始めている。あと数年経つと、それらのことがよりクリアーになり、新しい建築が出来上がってくるように思う。
最後に「ユキノハコ」を訪ねた。雪がまだ残る道を進んでいくと、ドーンと雪の塊と建物とその後ろの山が迎えてくれた。海法さんが、前面にある物産館とか斜め横にある蕎麦屋とか、周りの建物は少しずつ時間が異なって建てられていったということを説明してくれた。それは私にとってはすごく納得がいくものだった。 その先にこの「ユキノハコ」が立ったのだなと。都市の中のように周りが連続して作られるわけではないが、しかし、それぞれがそれぞれにふさわしい方向を向きながら、離れていながら、一緒にその場所を作っている。その中に新しい的確な一手が加えられたことが充分に感じられた。とても魅力的な立ち方だと思った。最低限のプログラムに対して、できる限りの多様な空間を作ろうとしている。 しかしそれ以上のことをしていない。それも素晴らしいと思った。
新人賞の趣旨の冒頭に、「時代を反映した建築を顕彰することは、社会に建築のあるべき姿を知らしめる」ことがJIA(建築家職能団体)の使命である、という一文がある。時代が迷走せず、進んでいるのであれば、建築のあるべき姿を推量することは難しいことではないかもしれない。しかし、建築家の新しい職能、価値の多様化、資本主義の限界、日本経済の凋落、アフターコロナ…。審査員の一人として、何でもありの時代にあって、逆説的に、建築に不可欠なものは何かについて考える時間だった。一次審査、二次審査、そして最終審査まで、投票ではなく議論の末に決定できたことは、今年の審査の特筆すべき点であろう。
以下、現地審査に進んだ6作品を中心に講評したい。 「チドリテラス」で藤原徹平さんが実現していたのは、コーポラティブハウスという住宅(商品)供給のシステムの内側から、資産やコミュニティーの先にある価値、つまり、空間の共有と使い方の実践であった。建築空間とプログラムとを合わせて提案する藤原さんの仕事のなかでも特筆すべきものである。一方で、インテリアとエキステリアの慣習的な関係、道路側からのヴォリュームの扱いが審査では議論になったが、敷地周辺の歴史的なリサーチ、組合員とのワークショップによる教育的活動、法的な解決、散策路の更新などの課題を、庭という非専有空間を触媒にして設計する胆力はこの賞に相応しいものだと思った。
海法圭さんの「上越市雪中貯蔵施設 ユキノハコ」は、地方の小さな公共建築である。雪室という装置をコンクリートではなく木造で実現したもので、既存の基礎構造を活かしながら、周辺の建物と応答する単純な箱は、雪室の精緻な機能の分析から的確な空間が構成を実現している。一つ一つの決定の合理性、部分と全体の等価な解像度、新しいエコロジーとエコノミーへの構想力を、高く評価した。新しい環境と建築の関係を作り続けて欲しい。
森田一弥さんの「静原村の家」は、自身のアトリエや自邸を含む建築を、長い時間をかけ作り続けられているプロジェクトである。 僕が興味深く思ったのは、産業としての農業が後退した集落のフットプリントへの提案だった。生活の中心を二階にレイアウトすることで、一階を開放しプログラムの更新性を高める方法は、新しい風景が生まれる予感を感じさせるものであった。大げさな振る舞いではなく、ささやかさこそが森田さんの意図するところなのだろうが、現時点では一つひとつの建築が、エスキス(準備段階)のように感じられた。エスキスの先に、環境や集落と化学的な反応が起こる光景を見たいと思った。
畝森泰行さんの「Houses」は、本人と義妹家族ための二つの住宅である。敷地を細長く分割し、長手方向に6枚の木造トラスフレームと中庭を配置することで二つの住宅の間に適切な距離を作ろうとする意欲的な試みである。明快な構成の構造計画や、与えられたスケールの違いから、たくさんの居場所のある精度の高い設計である。
一方で、細長く敷地を分割し建物を配置した結果、中庭以外の残された敷地の余白に積極的な意図を感じることが難しかった。 同じような印象は、針谷將史さんの「安部邸」でも感じたことである。薄い外壁と外壁から独立した不整形のラーメンフレームとの間に生まれた揺らぎのある空間は魅力的であった。整理された構造体とディテール、什器やカーテンにいたるまで細やかに配慮された設計である。一方で、敷地全体の使い方、特に駐車場として残された敷地の扱い、建物の周辺への建ち方など疑問が残った。
工藤浩平さんの「佐竹邸」は、二次審査の段階から工藤さんが、特殊ではなく標準をどのように実現するのかを、僕は興味深く感じていた。周辺の建物や旧街道に相応しい建ち方をしている点は現地審査でしか確認出来ない素晴らしいものだった。一方で、複数のヴォリュームに分割された内部空間は、この建築が目指していた標準と特殊のあいだをつなげているとは感じることができなかった。標準化は単に仕上げや部材の問題だけでなく、空間のスケールやディメンションとも近接している。
審査をとおして僕は、この時代を表象することより、時間の厚みに耐える建築を作り続けられる建築家を選びたいと思った。68点の応募作品の一つひとつは、どれも真摯に建築や社会と向き合った結果である。その中で、個別の条件に<ここでしかできない>回答を与えること以上の、<いつかどこかでできる>ことが感じられる作品とその建築家の姿勢を応援したいと思った。 具体的には、個々の敷地の内側の問題だけでなく外側を、一人の建築家の仕事が他の建築家をはじめ社会の推進力になり得るかという視線だった。結果、藤原さんと、海法さんという二人の建築家を選べたことを光栄に思う。
最終選考には、建築をとりまく多様かつ今日的な問題を浮き彫りにするような建築が並びました。審査する側に立ちながらむしろ、学ぶことの多い時間だったように思います。各々の「問題」への応答としてあるばかりではなく、建築やその設計者が照らす見晴らしの先に、この先の風景の可能性を示した2作品に賞が決定することになりました。
藤原徹平(フジワラテッペイアーキテクツラボ)による「チドリテラス」の現地審査は、驚くべきものでした。複数の住戸を串刺しに廻る経路が用意されていたからです。ある住戸へは玄関から入り、テラスへ抜ける。そこから物理的な戸境を介さずに、テラス伝いに別の住戸へお邪魔して、今度は玄関から次の住戸の玄関へ。そんなふうに私たちは一度も踵を返すことなく、周辺の緑地を引き込むように配置された共用部を伝いながら、気づくと時間内で実に7戸を見学し終えていたのでした。主として避難経路の創造的な読み替えが、庭ともテラスとも通路ともつかない多義的かつ立体的な中間領域を生み出しつつ、計18戸にもなる建築ボリュームに隣接する小さな自然環境のスケールを巧みに織り込むことで、結果的にオーナーたちは、共用部から区分を主張する要素を明け渡すことを選択するのです。その巧妙な法解釈と、力技をそうと感じさせない構造計画だけを取り出しても、集合住宅史にひとつの特異点として記録されるものだと思います。ただ、ここに「驚き」と書いたその本質を率直に言うなら、それは見学の一行がバルコニー伝いに現れるような特殊な訪問を居住者たちが事もなげに受け入れていた、その大らかな雰囲気に対するものでした。あるいはその雰囲気の奥に、個々のオーナーがその住環境を成り立たたせている要件を本質的に了解するに至るまでの、この建築家が積み上げてきたであろう時間を見る、そのことへの感嘆と言った方がより正確でしょう。個別に進行するインフィルの仕様決定に終始しがちなコミュニケーションは、若い世代の設計機会として積極的に明け渡す。その間にこの建築家はオーナー予定者たちを集めて、近接する区の児童公園や徒歩圏内にあった山口文象邸へと連れ出すのです。くさっぱら公園と呼ばれている市民の自主管理によるこの公園は、「チドリテラス」の敷地に元あった邸宅の広大な庭の一部を成していたものを区に割譲されたものだそう。土地の来歴を知り、それらを引き継ぐことの何たるかをまず、各々の欲望を叶えることに先立って説く。ディベロッパーを介し、富裕層に向けられた建築とその設計を、近隣社会に対する風景のオーナーシップを育む機会に読み替えてしまった、そんなことのできる建築家を私は他に知りません。
「ユキノハコ」 海法圭(海法圭建築設計事務所) この建築家がその公募情報に気づかぬままプロポーザルを終えていたなら、なんということのないありふれた地方都市のロードサイドに、地域の“格”のようなものが見出される機会はおそらくは訪れなかったに違いない。建ったものに喪失を見るなどおかしな話ではありますが、駅からの道中含め、そうはならなかったほとんどの建築機会が結果として生み出すこととなった今日のロードサイドの風景を顧みずにはいられず、故に「よくぞ建ってくれました」と勝手にお礼を述べたくなるような気持ちにさせられる現地審査会の時間となりました。地域の方もきっと同じ思いなのではないでしょうか。 他に適当な言葉が思いつかず“格”と表現しましたが、人格や風格、品格あるいは性格などが混ざりあった感覚を想像して頂けると近いのではないかと思います。ほぼ開口もなく、内部機能を想起させる情報が消去された、納屋以上体育館未満の独特なサイズ感のゴロンとした家型。倉庫という機能主義的決定論が支配する領域に、木造による架構と質感を与えることで、積み上げられた雪の曲線とコントラストを結ぶ固有の風景を創出しながら、日射遮蔽の為のダブル スキンに交流のきっかけとなる場を忍び込ませる。たとえば手元に中身の分からない箱があったとして、「このサイズはきっと中は靴かしら」と想像するような感覚に似て、その寡黙な佇まいを一瞥しただけで、なぜだか冷たい雪の塊の傍らに貯蔵された農作物の様子が了解される。そしてその周辺に広がる、この地域にずっとある風土と暮らしの有様が想起される。その民具的な飾らなさ、頼もしさと静謐さが同居したような佇まいを“格”とするのなら、この建築と建 築家はありふれたロードサイドに、それを見出してみせたのではないか。そしてそのことは、この地域に限らず全国の風景にいま起こっている“問題”に、ひとつの可能性を示すものではないか。聞くと既に、同じ方式を夏季の空調に応用した施設の計画が動き出してい るそう。人知れずひっそりと官報に掲載されていた要項に手を上げ、建築家のフィールドとは誰も思わなかったフロンティアを開拓することで、産業化と風景の関係のあり様を全国のロードサイドに問う、その勇気と精神に打たれました。 森田一弥さん(森田一弥建築設計事務所)による「静原村の家」は、その一連の試みが近い将来、自らを施主としたものであることを一歩抜け出たとき、ぜひ改めて本賞の議論に挙がるべきと感じました。 たったひとりの建築家に魅入られたことで生まれ変わろうとしているこの集落の風景は、似た境遇にある全国の潜在的な可能性たちに光を当てるものです。 個人的には、「Houses」の畝森泰行さん(畝森泰行建築設計事務所)も強く賞に推したかった気持ちが今も残っています。それが叶わなかった理由を手短に記すなら、建築としての非凡さ、巧みさが、個別の建築を超えてこの先の私たちにとっての風景を見晴らす、その場所へ連れ出してくれることに少しだけ先立って映ってしまった、ということになるでしょうか。苦しい理由付けにしかならないのは、それほどに拮抗した現地審査であったことの裏返しでもあります。 工藤浩平さん(工藤浩平建築設計事務所)による「佐竹邸」では、住宅がそうであると同時に社会資産であり、流通を介した公共性を帯びた存在でもある、という独自のタクティクスをチャーミングな佇まいに秘めた、その現代的な感覚に惹かれました。 針谷將史さん(針谷將史建築設計事務所)による安部邸は、建築家と構造家(小西康孝さん)によるエンジニアリングの枠を超えた対話が示す建築の可能性を、最も直截に感じさせてくれる作品でした。 その意味で最終審査に残った「Houses」と「佐竹邸」、そして一次審査で最後まで議論の対象となった御手洗龍さん、御手洗僚子さん(御手洗龍建築設計事務所)による「松原児童青少年交流センターmiraton」が、いずれも平岩良之さんの構造設計によるものであったことは、忘れずに付記しておかなければならないと思います。
第35回 2023年度 JIA 新人賞
妹島 和世
JIA新人賞の最終審査は現地審査であった。その時のことについて書きたいと思う。もちろん必ずしも実際に建物を見ないとわからないとは言いたくないが、やはり見学すると、建物がその場所にどのように立って、どのように呼吸しているか、それを感じ考える機会となりとても良かった。6つの建物を見学した。6つともそれぞれに素晴らしかったが、そこから2作品を選ぶのはとても難しかった。
最初に訪ねた「安部邸」は、7つの箱が正方形の中庭を作るようにリング状につながれて作られている。その結果、外側は出たり入ったりの形となり、周りの住宅地のスケールを表す建築となる。中庭の面は全てガラスで、それに対して外側は不透明の壁で、箱が重なっていないところが開口部となっている。見学する前は、中庭のガラスの立ち上がり方が強すぎるのではないかと気になっていたが、実際にそこに立つと、中庭は写真で想像したより小さな、快適なプロポーションのスペースであった。室内を構成するのに、メインの柱を両側でなく中央に一本立て、それをHビームが折れ曲がりながら一周してつないでいく構造は、おおらかな、緩やかな空間を作っている。外観の箱のズレは、建築の外部環境との応答により生まれたものだろうと想像していたが、どちらかというと内部空間の快適性ために計画されており、その結果この建物がよりうちに向いた住宅のように感じられたことが少し残念だった。
次に訪ねた「Houses」は、設計者の畝森さんとご親族の二軒の住宅である。二人で土地を求め、通常であれば四角い二つに分けるところを、細長い二つに分けて計画している。その結果、二つの家の接する面が長く大きくなり、多様な関係を生み、それぞれの家の生活が敷地に縛られない伸びやかなものとなっている。さらにその伸びやかさが、それぞれの家の快適性にとどまらずその界隈の快適性へと広がっていることが素晴らしいと思った。細い長い空間に長手に延びる梁をかけるという構造計画は、とても魅力的な空間を作っていたが、一部複雑すぎるのではと思わされるところがあった。
二軒の家で、幅が450ほど差があるのだが、それが非常に大きな差となって現れることに驚いた。
次の「佐竹邸」は、その場所での立ち方が印象的であった。写真で見ていた以上に、スケール、材料、ディテール、などが丁寧に考えられていて、割合小さな建物が密集して立つエリアで、周りに溶け込みながら、同時に、周りをまとめながらそのエリアを引き立てるように、街から目立ってたち上がっていた。説明を聞きながら、いろいろな創意工夫の上に出来上がったのがよくわかった。しかし同時に、それらのことと全く関係なく作られたようにも感じられた点に感心した。建物は自律的なものでありながら、その場所との関係の中にあることが強く感じられた。外観を作る小さな単位が内部空間のどこかでつながって、もう少し大きな空間になると、より快適な建物となったと思う。
「チドリテラス」は、18戸からなるコーポラティブハウスである。それだけでも複雑な問題に立ち向かうプロジェクトであることは明白であるが、その上、このプロジェクトの敷地には高低差があり、敷地を取り巻く環境は複雑で一様でない。そのような中で、ここでは、全ての住戸を共有の緑地に接するように配置し、そこから作り出される各住戸の豊かな暮らしとその緑を、敷地の周りの環境へとつなげていこうとしている。このとんでもなく難しく、チャレンジングな試みを、18戸の人々とプロセスを共有しながら、明快に解いて作り上げたことには驚かされる。
当日はほとんど全住戸を案内いただいて、住民の人が思い思いに住まいを楽しんでいるのを拝見した。道のことや、避難のことや、その他、様々な問題の解決や工夫、新しい視点等、たくさんの小さなことが積み上げられて全体が作られている。このある意味で複雑なあり方の中で、全体がどのように積み上げられたのかがもう少しわかりたかった。
静原村に到着するとまず神社に迎えられた。そこは、神社の構築物と大木とが混じり合った非常に魅力的な場所であった。そこから小道を少し行くと、交差点に森田さんの事務所があった。建物の向こう側に広がる大きな風景が、建物の2面に開けられた開口部を通して目の前に現れた。まだぜんぜん知らないこの村をなんとなく掴むことができたように感じた。この小さな交差点は村の中心にあるに違いないと。中に入って椅子に座ると、村全体に囲まれて仕事をしているように感じる。森田さんが、トイレはこの外の階段を降りたところか、もしくはさっきの神社の方に行ったところにあるのを使うんですよ、と説明してくれた。生活の中でいつでも村に触れ合うようになっている。村を結ぶ小道はあたかも建物の中の廊下のようで、坂道は一階と二階を結ぶ階段のようである。つまり小さな村は、それ全体が一つの建築のようである。その中を少しずつ森田さんがご自分で使いながら、計画している。もちろん集落全部に手をつけることは不可能だったろうが、要所要所を選ばれて、手を加えられて、全体の構造がわかり、全体性を感じることができるようになってきている。同時に、部分部分が、森田さんの独自のやり方で快適性のために手を加えられ、集落に新しい表情が生まれ始めている。あと数年経つと、それらのことがよりクリアーになり、新しい建築が出来上がってくるように思う。
最後に「ユキノハコ」を訪ねた。雪がまだ残る道を進んでいくと、ドーンと雪の塊と建物とその後ろの山が迎えてくれた。海法さんが、前面にある物産館とか斜め横にある蕎麦屋とか、周りの建物は少しずつ時間が異なって建てられていったということを説明してくれた。それは私にとってはすごく納得がいくものだった。
その先にこの「ユキノハコ」が立ったのだなと。都市の中のように周りが連続して作られるわけではないが、しかし、それぞれがそれぞれにふさわしい方向を向きながら、離れていながら、一緒にその場所を作っている。その中に新しい的確な一手が加えられたことが充分に感じられた。とても魅力的な立ち方だと思った。最低限のプログラムに対して、できる限りの多様な空間を作ろうとしている。
しかしそれ以上のことをしていない。それも素晴らしいと思った。
長田 直之
新人賞の趣旨の冒頭に、「時代を反映した建築を顕彰することは、社会に建築のあるべき姿を知らしめる」ことがJIA(建築家職能団体)の使命である、という一文がある。時代が迷走せず、進んでいるのであれば、建築のあるべき姿を推量することは難しいことではないかもしれない。しかし、建築家の新しい職能、価値の多様化、資本主義の限界、日本経済の凋落、アフターコロナ…。審査員の一人として、何でもありの時代にあって、逆説的に、建築に不可欠なものは何かについて考える時間だった。一次審査、二次審査、そして最終審査まで、投票ではなく議論の末に決定できたことは、今年の審査の特筆すべき点であろう。
以下、現地審査に進んだ6作品を中心に講評したい。
「チドリテラス」で藤原徹平さんが実現していたのは、コーポラティブハウスという住宅(商品)供給のシステムの内側から、資産やコミュニティーの先にある価値、つまり、空間の共有と使い方の実践であった。建築空間とプログラムとを合わせて提案する藤原さんの仕事のなかでも特筆すべきものである。一方で、インテリアとエキステリアの慣習的な関係、道路側からのヴォリュームの扱いが審査では議論になったが、敷地周辺の歴史的なリサーチ、組合員とのワークショップによる教育的活動、法的な解決、散策路の更新などの課題を、庭という非専有空間を触媒にして設計する胆力はこの賞に相応しいものだと思った。
海法圭さんの「上越市雪中貯蔵施設 ユキノハコ」は、地方の小さな公共建築である。雪室という装置をコンクリートではなく木造で実現したもので、既存の基礎構造を活かしながら、周辺の建物と応答する単純な箱は、雪室の精緻な機能の分析から的確な空間が構成を実現している。一つ一つの決定の合理性、部分と全体の等価な解像度、新しいエコロジーとエコノミーへの構想力を、高く評価した。新しい環境と建築の関係を作り続けて欲しい。
森田一弥さんの「静原村の家」は、自身のアトリエや自邸を含む建築を、長い時間をかけ作り続けられているプロジェクトである。
僕が興味深く思ったのは、産業としての農業が後退した集落のフットプリントへの提案だった。生活の中心を二階にレイアウトすることで、一階を開放しプログラムの更新性を高める方法は、新しい風景が生まれる予感を感じさせるものであった。大げさな振る舞いではなく、ささやかさこそが森田さんの意図するところなのだろうが、現時点では一つひとつの建築が、エスキス(準備段階)のように感じられた。エスキスの先に、環境や集落と化学的な反応が起こる光景を見たいと思った。
畝森泰行さんの「Houses」は、本人と義妹家族ための二つの住宅である。敷地を細長く分割し、長手方向に6枚の木造トラスフレームと中庭を配置することで二つの住宅の間に適切な距離を作ろうとする意欲的な試みである。明快な構成の構造計画や、与えられたスケールの違いから、たくさんの居場所のある精度の高い設計である。
一方で、細長く敷地を分割し建物を配置した結果、中庭以外の残された敷地の余白に積極的な意図を感じることが難しかった。
同じような印象は、針谷將史さんの「安部邸」でも感じたことである。薄い外壁と外壁から独立した不整形のラーメンフレームとの間に生まれた揺らぎのある空間は魅力的であった。整理された構造体とディテール、什器やカーテンにいたるまで細やかに配慮された設計である。一方で、敷地全体の使い方、特に駐車場として残された敷地の扱い、建物の周辺への建ち方など疑問が残った。
工藤浩平さんの「佐竹邸」は、二次審査の段階から工藤さんが、特殊ではなく標準をどのように実現するのかを、僕は興味深く感じていた。周辺の建物や旧街道に相応しい建ち方をしている点は現地審査でしか確認出来ない素晴らしいものだった。一方で、複数のヴォリュームに分割された内部空間は、この建築が目指していた標準と特殊のあいだをつなげているとは感じることができなかった。標準化は単に仕上げや部材の問題だけでなく、空間のスケールやディメンションとも近接している。
審査をとおして僕は、この時代を表象することより、時間の厚みに耐える建築を作り続けられる建築家を選びたいと思った。68点の応募作品の一つひとつは、どれも真摯に建築や社会と向き合った結果である。その中で、個別の条件に<ここでしかできない>回答を与えること以上の、<いつかどこかでできる>ことが感じられる作品とその建築家の姿勢を応援したいと思った。
具体的には、個々の敷地の内側の問題だけでなく外側を、一人の建築家の仕事が他の建築家をはじめ社会の推進力になり得るかという視線だった。結果、藤原さんと、海法さんという二人の建築家を選べたことを光栄に思う。
中山 英之
最終選考には、建築をとりまく多様かつ今日的な問題を浮き彫りにするような建築が並びました。審査する側に立ちながらむしろ、学ぶことの多い時間だったように思います。各々の「問題」への応答としてあるばかりではなく、建築やその設計者が照らす見晴らしの先に、この先の風景の可能性を示した2作品に賞が決定することになりました。
藤原徹平(フジワラテッペイアーキテクツラボ)による「チドリテラス」の現地審査は、驚くべきものでした。複数の住戸を串刺しに廻る経路が用意されていたからです。ある住戸へは玄関から入り、テラスへ抜ける。そこから物理的な戸境を介さずに、テラス伝いに別の住戸へお邪魔して、今度は玄関から次の住戸の玄関へ。そんなふうに私たちは一度も踵を返すことなく、周辺の緑地を引き込むように配置された共用部を伝いながら、気づくと時間内で実に7戸を見学し終えていたのでした。主として避難経路の創造的な読み替えが、庭ともテラスとも通路ともつかない多義的かつ立体的な中間領域を生み出しつつ、計18戸にもなる建築ボリュームに隣接する小さな自然環境のスケールを巧みに織り込むことで、結果的にオーナーたちは、共用部から区分を主張する要素を明け渡すことを選択するのです。その巧妙な法解釈と、力技をそうと感じさせない構造計画だけを取り出しても、集合住宅史にひとつの特異点として記録されるものだと思います。ただ、ここに「驚き」と書いたその本質を率直に言うなら、それは見学の一行がバルコニー伝いに現れるような特殊な訪問を居住者たちが事もなげに受け入れていた、その大らかな雰囲気に対するものでした。あるいはその雰囲気の奥に、個々のオーナーがその住環境を成り立たたせている要件を本質的に了解するに至るまでの、この建築家が積み上げてきたであろう時間を見る、そのことへの感嘆と言った方がより正確でしょう。個別に進行するインフィルの仕様決定に終始しがちなコミュニケーションは、若い世代の設計機会として積極的に明け渡す。その間にこの建築家はオーナー予定者たちを集めて、近接する区の児童公園や徒歩圏内にあった山口文象邸へと連れ出すのです。くさっぱら公園と呼ばれている市民の自主管理によるこの公園は、「チドリテラス」の敷地に元あった邸宅の広大な庭の一部を成していたものを区に割譲されたものだそう。土地の来歴を知り、それらを引き継ぐことの何たるかをまず、各々の欲望を叶えることに先立って説く。ディベロッパーを介し、富裕層に向けられた建築とその設計を、近隣社会に対する風景のオーナーシップを育む機会に読み替えてしまった、そんなことのできる建築家を私は他に知りません。
「ユキノハコ」 海法圭(海法圭建築設計事務所)
この建築家がその公募情報に気づかぬままプロポーザルを終えていたなら、なんということのないありふれた地方都市のロードサイドに、地域の“格”のようなものが見出される機会はおそらくは訪れなかったに違いない。建ったものに喪失を見るなどおかしな話ではありますが、駅からの道中含め、そうはならなかったほとんどの建築機会が結果として生み出すこととなった今日のロードサイドの風景を顧みずにはいられず、故に「よくぞ建ってくれました」と勝手にお礼を述べたくなるような気持ちにさせられる現地審査会の時間となりました。地域の方もきっと同じ思いなのではないでしょうか。
他に適当な言葉が思いつかず“格”と表現しましたが、人格や風格、品格あるいは性格などが混ざりあった感覚を想像して頂けると近いのではないかと思います。ほぼ開口もなく、内部機能を想起させる情報が消去された、納屋以上体育館未満の独特なサイズ感のゴロンとした家型。倉庫という機能主義的決定論が支配する領域に、木造による架構と質感を与えることで、積み上げられた雪の曲線とコントラストを結ぶ固有の風景を創出しながら、日射遮蔽の為のダブル
スキンに交流のきっかけとなる場を忍び込ませる。たとえば手元に中身の分からない箱があったとして、「このサイズはきっと中は靴かしら」と想像するような感覚に似て、その寡黙な佇まいを一瞥しただけで、なぜだか冷たい雪の塊の傍らに貯蔵された農作物の様子が了解される。そしてその周辺に広がる、この地域にずっとある風土と暮らしの有様が想起される。その民具的な飾らなさ、頼もしさと静謐さが同居したような佇まいを“格”とするのなら、この建築と建
築家はありふれたロードサイドに、それを見出してみせたのではないか。そしてそのことは、この地域に限らず全国の風景にいま起こっている“問題”に、ひとつの可能性を示すものではないか。聞くと既に、同じ方式を夏季の空調に応用した施設の計画が動き出してい
るそう。人知れずひっそりと官報に掲載されていた要項に手を上げ、建築家のフィールドとは誰も思わなかったフロンティアを開拓することで、産業化と風景の関係のあり様を全国のロードサイドに問う、その勇気と精神に打たれました。
森田一弥さん(森田一弥建築設計事務所)による「静原村の家」は、その一連の試みが近い将来、自らを施主としたものであることを一歩抜け出たとき、ぜひ改めて本賞の議論に挙がるべきと感じました。
たったひとりの建築家に魅入られたことで生まれ変わろうとしているこの集落の風景は、似た境遇にある全国の潜在的な可能性たちに光を当てるものです。
個人的には、「Houses」の畝森泰行さん(畝森泰行建築設計事務所)も強く賞に推したかった気持ちが今も残っています。それが叶わなかった理由を手短に記すなら、建築としての非凡さ、巧みさが、個別の建築を超えてこの先の私たちにとっての風景を見晴らす、その場所へ連れ出してくれることに少しだけ先立って映ってしまった、ということになるでしょうか。苦しい理由付けにしかならないのは、それほどに拮抗した現地審査であったことの裏返しでもあります。
工藤浩平さん(工藤浩平建築設計事務所)による「佐竹邸」では、住宅がそうであると同時に社会資産であり、流通を介した公共性を帯びた存在でもある、という独自のタクティクスをチャーミングな佇まいに秘めた、その現代的な感覚に惹かれました。
針谷將史さん(針谷將史建築設計事務所)による安部邸は、建築家と構造家(小西康孝さん)によるエンジニアリングの枠を超えた対話が示す建築の可能性を、最も直截に感じさせてくれる作品でした。
その意味で最終審査に残った「Houses」と「佐竹邸」、そして一次審査で最後まで議論の対象となった御手洗龍さん、御手洗僚子さん(御手洗龍建築設計事務所)による「松原児童青少年交流センターmiraton」が、いずれも平岩良之さんの構造設計によるものであったことは、忘れずに付記しておかなければならないと思います。