JIA 公益社団法人日本建築家協会

JIAの建築賞

JIA 新人賞

2021年度 審査委員講評

長谷川 逸子

 はじめ応募のあった74点の作品パネルから第一次審査会を開き8点を選び、その後10月の二次審査で8人にプレゼンテーションをしていただき現地審査となるものをその場で議論する中で5点を選びました。
 「高岡のゲストハウス」「houses/shop B」「サクラと住宅」「6つの小さな離れの家」「ART BAY HOUSE」です。
 見学を終えて改めて建築は実物の前に立ち内部に身を置いて感じ取るものだと体感しました。多分それは周辺環境とその空気、内部の素材や匂いや響きなど、トータルの空気、そうしたものを身体で感じることはで写真や映像では捉えなかったものを全身で感じ取ったということでしょう。選んだ3点は新鮮さと居心地良さは抜群でした。また3点共に小さなパブリックの空間として、街にコミュニケーションの場として開かれ、周辺の人たちとのつながりをつくっていました。
 はじめの見学した萬代基介様の「ART BAY HOUSE」の白くシンプルでデリケートな細かいメンバーのこの展示場はアート体験するプロジェクトでつくられた仮設建築。この建築は自然をテーマにしていて、雨水の扱い、植物の扱い、通風や採光などの自然が染み込んで環境を作り上げていく手法は高く評価したい作品でした。コロナの影響もなく、オリンピックも人を集めるものになっていたなら、この建物は大いに活躍しただろうと想像しました。
 次に武田清明様の「6つの小さな離れの家」は長野の茅野市の歴史ある古い家で住み育った多くの親戚の人たち、古い情報、新しい要望など沢山の歴史と情報を掘り起こして小さな離れを考えさらに母屋を減築している。母屋に今住む人たちのために今までより通風・採光の良いものに工夫している。外部にある井戸、防空壕とか利用して別荘が同居したような環境にするため、6つのガラスボックスの離れを加えている。しかしこの開放的でアート的なガラスボックスに機能性や快適さを感じることは難しかったです。冬の現地調査で小さな離れは厳しすぎるものだったです。
 次に富山市高岡のゲストハウスを訪ねました。築40年の木造住宅の改修で残した部分をこれまで住んできた祖母の家としてリフォームし、寄棟屋根2階建て部分を解体し、3棟平屋に改修し、主屋と別棟として多目的利用をする食堂、ゲストルーム兼茶室の2棟を敷地に中庭風の空地を残して再配置した計画です。地元の人研ぎ職人をはじめ職人を導入してつくっているため全体に質の高いものになっていました。外壁内壁、庭づくりなど研究しながらセルフビルドで普請してゆく手法も高く評価したいです。積雪のあるこのエリアの屋根に瓦が葺かれていることから瓦屋根の風景を残している。
 この配置と空地の残し具合の上手さが、リッチな3棟の平屋の佇まいをつくりあげ、内部も居心地の良いものになっていると感じました。地元に住むご両親によって新しい食堂では様々なまちの人たちの開く集まりの場として活動が展開している様子をうかがうことができました。
 ゲストルームは茶室として小さなパブリックな場として大切に使われている様子がわかりました。普請を通して新しい建築環境を生み出したこと、そして地元にいるご両親が中心になってパブリックな利用と運営をしている活動も高く評価したい作品でした。
 4番目として京都市北区のhouses/shop Bにうかがいました。ゆったりとした巾広の歩道とケヤキとイチョウ並木前に18mと奥行2.2−3.7mの敷地に奥行2m巾18mの二層の店舗併用住宅です。関西でたくさんの住宅を見せていただいたことがあったが、建築家の仕事がこうした狭小敷地が多いことに驚かされます。
 木造のラーメン柱を長辺方向に4ブロックに分けて配置させ、奥行き方向に筋交いを固める構造がこの2mの空間を上手く作り上げている。1階の本屋とカフェの空間は高さがあるためか狭さより開放感がありました。本屋の一部のカフェカウンター、そこから続くテント空間も居心地良さからか近隣の人と学生で、まちの一画が盛り上がっている様子に、この建築のもつ開放感のつくり方の上手さを感じました。
 2F住宅で1Fの開口と一体となっている大きな開口、ベンチに座ると車道や歩道ゆく人に視線が行き、前に立つとケヤキと先の住宅群が視線に入り、そのまわりとの関わりが面白かったです。
 3F上部が寝室になっていて南からの光が入り狭くても居心地の良さを感じました。大きな柱や連続するトラスといった主構造に建具の裏地材を転回した内装、FRPの折板開口など、これらは生活と商いの展開、余剰を示しているという。
 ここでも小さなパブリック空間が街にコミュニケーションの場として開らかれて周辺の人たちと深いつながりをつくっていました。
 最後に、東京の世田谷の住宅地に建つ「サクラと住宅」に伺いました。この建築は、2層のコンクリート造と3層の木造の店舗併用住宅です。コンクリートと木造の構造の重ね合わせのつくる建築で外部も内部もこの構造が強く作用している建築でした。2階のコンクリートのバルコニーとコンクリートの巨梁の内側の木造床がずれる。このことで外部と上下を横断した開口が街との関係が上手くつくられ、内部空間を豊かなものにしています。住宅のインテリアが丁寧につくられ居心地よいものになっていました。地下のピアノの置かれた小部屋も落ち着く場所でした。クライアントは前に屋外キャンプを楽しんでいたそうですが、そうした体験をこの都市住宅の中で満喫していると発言していました。
 サクラは周辺の人たちにとっても大切なので外部は樹齢30年という桜の木との関係で決められているとのことでした。一層半のレベルのRCテラスの長い庇空間の下がクライアントが希望していた活動と関わりをもつカフェや集会のできる場として、また1階部分の内部と一体になって地域に開かれたパブリックスペースとなるようにつくられています。
 サクラの周りに広がるオープンハウスと2階テラスは地域の人々と共にあり或いは地域と共に生かされる場として機能していました。
 「高岡のゲストハウス」「サクラと住宅」「houses/shop B」も新鮮さと居心地良さが抜群でした。
 3点は地域との関係をつくりながら地元の人たちの施工を進め、さらに小さなパブリックとしての場所性を獲得しているものでした。

小野田 泰明

専門事業者が、住む/使う人に先行して「空間」を開発し、流通させる。
この仕組みに則って、多くの建築空間が、使用者の「選択/購入」という行為を介し、その元に届けられている。貨幣経済の発達に伴って高度化したこのシステムは、今や世界の都市や建築を動かす巨大勢力である。「市場」が裏書する適正価格、「マーケッティング」の技術によって先取りされた使い手のニーズなどを媒介として、時間と場所を超えた取引が広範に行われ、次の建築生産を喚起する力になる。
今回審査に参加して感じたのは、こうしたルートにすべてをゆだねるのではなく、空間開拓の可能性を自分たちで見いだそうとする人々の人生の豊かさであった。そして、彼らの生を際立たせているのは、環境や条件に対する執拗な精査を通じてそれを具現化する建築家の力であった。
今回、新人賞とした三つに共通するのは、生への確信に基づいた解像度の高い観察とそれを取り掛かりにした物象化への執着だと考えている。生の可能性を自ら掘り下げようとして踏み出した施主の勇気から、信頼に足り得る建築家とのパートナーシップが作られ、それが結果としてその人の人生を広げ、さらには敷地をヒンジとして社会自身をも変化させていく。小さいけれども確かな出来事がそこには存在する。
もちろん、そうした帰結は最初から想定されていた訳ではない。審査委員長を務められた長谷川逸子氏、審査委員の藤本壮介氏、建築界を代表するこうした人たちが、実に丁寧にそれぞれの建築作品、建築家、そしてクライアントと会話する中で、徐々に姿が立ち上がってきたものでもある。こうして振り返ると、和やかに見えながらも緊張感に満ちた審査の現場に、建築人として立ち会えたことは本当に僥倖であった。
10月1日に行われた第一次審査は、作品のパネルを縦覧しがら絞り込む形式で行った。建築家の役割が感じられるものを探り当てるように慎重に選定を行ったが、審査委員同士で重複する作品も多く、松原市民松原図書館、6つの小さな離れの家、houseS/shopB、ART BAY HOUSE、terrace H、高岡のゲストハウス、サクラと住宅、プラス薬局みさと店の8つが選ばれた。
この中から現地審査作品を決める二次審査は、10月23日、応募者と審査員の対面の中で行われた。応募者を含むオーディエンスの面前で、該当作を絞り込んでいく作業は、緊張感を伴う難しい方法であり、例年良くやっているなと思わないことも無かったが、対話の場に投げ込まれる言葉を取り掛かりに、それぞれの建築化の根拠を引っ張り出して、最終的には丁寧な統合を行っているものを選定出来たように思う。
萬代基介さんの「ARTBAYHOUSE」は、インスタレーションのパビリオンという特異なプログラムであり、大型の建築が立ち並ぶ難しい敷地条件に抗うことなく、しかし存在感をもって成立させている良作であった。躯体を組み合わせるリズムを少しだけ転調させて、そのずれの中にスペースが見出されるように仕向けられている練度の高い設計となっていて、作家や環境との応答性に富んでいる。それらを素直な建築表現でまとめて、破綻を回避している力量にはうならされた。敷地周辺に立つ巨大な建築物において、そうした建築的な熟慮が不足していることを暴き出している問題作でもある。その一方で、建築家の責任ではないが、この建築が社会のどこに向けられて建てられているのか、建てられるべきであったのかという問いを回収するには困難を感じた。
武田清明さんの「6つの小さな離れの家」は、地方都市でかつて商いを行っていた施主の小さな住宅に小さなパビリオンのような6つの空間を埋め込むことで、施主の拡大家族を再生しようとする野心作であった。美しい建築の写真と寒冷地における生活の実際がどのようなものか、興味をそそられて現場を訪れたが、実際にはもともとの建築が持っている枠組みへの配慮が感じられるユニークな仕事であった。一方で、各パリビリオンと既存住宅、そして施主の生活の関係については今一つ呑み込めない部分も存在した。
能作文徳さんたちの「高岡のゲストハウス」は、地方都市の郊外住宅地にある祖母の家を真ん中の部分だけを道路側に移転して再生させたものである。訪れる前は、手法が前面に出すぎているのではないかと余計な心配をしたが、実際に見ると、再構築されたボリュームには不思議な余白があって開かれているし、扱いが難しい切断面も愛情をもって整理されており、全くの杞憂であった。むしろ、しっかりした大工が建てたとはいえ、普通の住宅の構成の中に潜むこうした可能性を見出し、その場所にしかないものに作り替える力量、そしてその場を拡大家族の起点とすることで、この家にまだ住む祖母の生活に入り込みすぎないで、やさしくつながろうとする家族の自然で確かな親和力には共感するところが大きかった。
現場に行くことで構成の謎が氷解する現象は、木村吉成/松本尚子さんの「houseS/shopB」でも同様に感じられた。京都市街ではあるが、松ヶ崎東山や一条寺の山並みが迫る敷地は、伝統ある場所の境界的領域であり、微妙な高低差の中にほつれのようなものが幾重にも発露している難しいエリアである。建築家は、そうした微差を丁寧に拾い集め、明快な構造システムと的確な寸法感覚によって、店と住居をぎりぎりの間合いで共存させていた。また、そうした建築家の力が、施主である経営者/住まい手が持っているセンス、覚悟、生の可能性を拓く方向に惜しみなくつかわれているのにも好感が持てた。
神田篤宏/佐野ももさんの「サクラと住宅」では、タイトルになっている桜の木が、決して記号的に扱われておらず、解像度の高い観察を通じてファンダメンタルなレベルにまで止揚されているのが印象的であった。生命体としてのそれが持つ何かに対する徹底した生さを通じて不随意に導き出された垂直方向の構成が、構造体のアイデアと合わせて調整され、独自の縦方向の寸法体系を生み出している。構成としても素直に処理されているので、住み手の行為が自然に引き出されてもいる。もちろんこうしたことは、昔から建築家がやってきたことであるし、エスティテックに新しい地平を開いているわけでもないかもしれない。けれどもこの建築の存在が、施主が持っている確かではあるが静かなエネルギー、桜の木にまつわりついている何か、こうしたもろもろの弱い力を看過することなく引っ張り上げ、物象化にまで漕ぎつけるのに気の遠くなる労力が必用であったであろうことを考えると、たとえ大賞作が三つになってもこの執着力は顕彰すべきものなのではないかということを議論した。商品化のルートには決してできないことだろうから。

藤本 壮介

今年のJIA新人賞の審査は、とても楽しく学びが大きかった。しっかりと社会と繋がり、社会の信頼を得ながら質の高い建築を作っていくという、まさにこれからの時代の建築像が明瞭に浮かび上がってきたと思う。興味深かったのは、最終審査に残った5つのプロジェクトのうち4つが、図らずも、住宅でありながら住宅プラスアルファの機能を併設して地域や社会と繋がっていたことだった。そしてそれが、建築家側からの「表現」として意図されたというよりも、個別の状況に真摯に向き合った結果として、施主の活動を伴って必然的に立ち現れてきたというところが素晴らしかった。結果としてそれらは新しい表現となっているし、建築空間の体験としても魅力的なものになっていた。そこに誠実さと社会に向き合う真摯な状況の読み込みがあることで、観念的に考えた「コンセプト」や「提案」などの薄っぺらいものではなく、設計者にとってもクライアントにとっても、その周辺に拡がる社会にとっても血の通った力強さとなっている。
今年の受賞作品について「しっかり作られているのはわかるが、新しさが足りないのではないか」「何かを切り開く強さが必要なのではないか」といった意見が出てくるかもしれない。しかし僕は、それはある意味で、建築設計業界の中のさらに狭いコミュニティの一部の価値観に偏った誤謬であると思う。もちろん新しい何かを切り開くことが必要な局面はあるだろう。しかしその新しさは、新しさのための新しさでは意味がないし、建築家の表現のための新しさでは失笑されるだけである。そのようなことをしていては、いつまで経っても建築家の作った建物は使えない、などと揶揄され続けるだけだろう。本当に力強い新しさとは、真摯に人と状況と社会に向き合ったその先に、何かの拍子に突き抜けてしまった時に生まれる新しさのはずだ。安藤忠雄さんの住吉の長屋も、SANAAの金沢21世紀美術館も、そうやって生まれた本物の新しさなのだ。偽物の、見せかけの新しさや実験などに惑わされてはいけない。今回の審査を通じて、そのことをあらためて実感できたことは素晴らしかったし、受賞した作品たちの真摯な姿勢とその先を感じさせる爽やかさに希望を感じたのだった。
能作文徳さん(と能作淳平さん)の「高岡のゲストハウス」は、高岡の静かな住宅地の中にうまく馴染みながら、近隣も含めた周辺エリア一帯を変えてしまうほどの魅力を持った、街の延長のような半公共・半プライベートな場所を作り出している。既存建物のあり方を精査する中で、その一部を解体し、既存の屋根を再利用することで、近隣のスケール感をしっかりと踏襲している。そのように作られた道に面した新しい棟は、その配置と天井高さと開口の取り方によって、親密なパブリック性を獲得することに成功している。既存建物が分設されて3つの分棟とされたことによって生まれる緩やかに連続する3つのオープンスペースは、適切な分節と視線の抜けによって、人を招き入れる解放性と、滞在する時の落ち着き、さらに奥の住居の居心地を同時に実現している。3つの棟のそれぞれが控えめながらも明確に異なる性格を帯びていることで、一つの住宅でありながら多様な場を作り出している。素材や仕上げはシンプルで丁寧だが、常に人の手が入っていくことを許容する寛容さがあり、その寛容さは計画全体にも広がっていて、それゆえに、構成だけに止まらないプライベートとパブリックの血の通った共存が生まれている。
神田篤宏さんと佐野ももさんによる「サクラと住宅」は、敷地内のサクラの巨木が印象的だが、僕は設計者がサクラと建築の関係というわかりやすい「コンセプト」を振り回さなかったことに大いに感銘を受けた。彼らは、サクラはもちろんだが、それ以外の地域の人々の営み、動き、クライアントの地域へのビジョンなどをしっかりと見据えてこの建築を作り上げた。もしかすると、サクラと建築の関係ということに集中した方が、表面的には分かりやすいものになったかもしれない。しかしそれによって失われるであろう機微に耳を澄ませて一つ一つ丁寧に積み上げていったこの建築の方が、よっぽど豊かなものであろうことは、現地で体感して大いに納得できた。この建物は、不思議な佇まいをしている。最初外観を見たときに、住宅というよりも、街の公民館のようなスケール感だな、と感じた。聞くと、クライアントから、どこか公共建築のような存在にしたいというご要望があったとのことだ。それをサクラの木も交えながら絶妙なスケールとして翻訳した結果が、この公民館のような建ち方だったのだ。一方で家の中は、とてもヒューマンな落ち着いたスケールと素材で作られている。そしてこの外観と内部とのスケールのズレが、そのままこの建築の構法であり構成となっているところが秀逸だ。公共側のスケールと、プライベート側のスケールが、単に共存しているだけではなく、それぞれが共鳴しあって、お互いを引き立てあって、時に絡み合って、その間をつなぐ意外性と多様性を生み出している。
木村吉成さんと松本尚子さんによる「houseS/shopB」は、奥行きが極端に浅く、間口がものすごく広いという変形敷地に建つ。僕が感銘を受けたのは、変形敷地の必然性に根差しながらも、変形敷地をネタとして消費するようなことをせず、この場所に想像できる最も豊かな場所が生まれていることだった。そしてその場所を作るために、構造や素材、空間構成や家具的な要素、プログラムや運用など、そこに関与する全てが高いレベルで発揮され、共鳴しているのである。一階内部の照明器具や外に張り出されたビニールの庇のカジュアルさは、精緻な構造と共存することで、絶妙な居心地のバランスを作り出している。これは設計者が長年積み上げてきた身体的かつ技術的かつ美的な知見があってこそ初めて実現可能なものだろう。その一方で、彼らは決してその高い設計力を振り回すことなく、真摯に、誠実にそれぞれの場と状況に向き合っているのである。上階の住宅も、特殊敷地だから何をやっても面白くなる、などといった甘えは一切なく、この場所ならではの住空間をとても高いレベルで実現している。
惜しくも受賞を逃した武田清明さんの「6つの小さな離れの家」もまた、既存住居とその何世代にもわたる家族に真摯に向き合ったプロジェクトだった。その姿勢に感銘を受けつつも、現地で感じた微かな違和感に触れておきたい。真摯な設計のプロセスに並行するように、その状況があまりにユニークでおもしろすぎた為なのか、ガラスボックスという建築的な介入が、ある段階で「表現」として一人歩きを初めてしまったかのような印象を受けた。それはこの設計者の才能が高すぎるゆえだとも言えるだろう。結果として、既存の状況の圧倒的な重層性に対して、目の前に見えている新しく設られたガラスボックスたちが、どこか浮き足立ってしまっていた。さらに箱の配置によって既存の庭が分節されているそのさまが、場が新しい命を吹き込まれたというよりも、不用意に寸断されてしまったかのようにも見えた。それゆえに、立て続けに拝見した他の受賞作に比べて、建築の真の力が損なわれてしまっているように感じたのだった。
同じく受賞を逃した萬代基介さんのARTBAY HOUSEは、お台場のオープンスペースに建つ期間限定のパビリオンという時点で、それが扱う状況の難易度が格段に上がってしまっていた。それに対してほとんどベストの提案をしていたと思うが、それでも見据えるべき状況が空回りしている中で作らざるを得なかったこの建物は、やはりある一定以上の深さまでは辿り着けなかったのかもしれない。このパビリオンをはじめとして、審査の過程で画像で見せてもらった石巻の東屋などの他のプロジェクトはこの設計者の才能を余すところなく見せてくれている。近い将来に日本の建築界を背負っていくべき建築家の一人であることは疑いない。