日本建築家協会(JIA)は建築家が集う公益社団法人です。
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審査委員講評
今回の審査に関しては、まず受賞に至らなかった現地審査の二作品について語りたい。 「睦モクヨンビル」は日本初の無垢の木造四階建てビルということになっているが、それ以上にその構成が齎す空間の強さに圧倒された。説明の際に技術的側面を可成強調されていたが、個人的にはそれを超える建築空間の意味について言及されたほうが良かったように思う。十分に大賞候補となりうる歴史上の傑作である。しかしながら特殊性が強いが故に、総合的な評価を求める今回の賞には即しないという議論があり、公開審査には至らなかったのは残念である。 「Grove」は奥行きの深い町屋形式を再解釈している傑作である。オーナーの住宅部分の設えも素晴らしい。惜しむべくは、まだテナントが入っていない部分が残る状態での審査であったこと。もっと賑わいが出てから説得力があったように思う。ここからは最終審査に進んだ作品に進む。
「花重リノベーション」は改装という範疇を超えて、都市の界隈の保全に深い造詣を示した傑作である。更に鉄部の詳細に込められた拘りは職人魂を映して留まることを知らない。 「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、近年の超高層の中では群を抜いている。地下鉄から地上を突き抜けて中層階へと至るアーバンコアは、映画のメトロポリスの情景を思い起こさせる、レトロフューチャーの趣がある。何よりも都市として生きが良い。都市のランドマークとしてのメッセージも極めて強い。内装は多様性と包括性を含み、幾重にも重なった曼荼羅を編んでいる。なぜ大賞にならなかったかという問いには答えようがない。 「天神町place」は日本史に例を見ない回答である。強いて世界史から検索すれば、ローマのカンピドリオ広場であろうか。最終プレゼンテーションで窓に焦点をあてた手法は心憎い。 「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は、敷地の地霊を巧みに読み込んでいた。
なぜ「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」が大賞となったのか。その違いは理屈を超えた情感にあったように思う。近年は「誰の為に作り、何を成すのか。」というストーリー性が建築評価に大きな影響を与えている。ややもすると、建物を作らないことが美談となり、開発が悪であるかのように吹聴される傾向にある。確かにバブル期に箱物を乱立させた建築設計業界の罪は深い。しかしながら、全ての功罪を建築家に帰するには無理がある。バブル経済とはいえ必要を超えた建築家の想いが籠らなければ、長谷川逸子氏作「湘南台文化センター」のような名作は生まれない。舵取りに失敗した日本は貧しくなった。建築家が肆するがままに意匠を凝らす時代ではない。しかし貧すれば鈍するでは困るのである。貧しくなったとはいえ、丹下健三氏が活躍した1960年代は決して豊かでは無かった。豊かではないが故に知恵を絞り、世界に誇る名作「国立代々木競技場」が生まれた。
KIOKUに話を戻す。阿蘇カルデラの裂け目に一筋の屋根が生まれた。細く長く引き伸ばされた佇まいは、草千里を想わせる大地を包み、秀峰へと開いている。語るは先の震災。それを悲劇とせず雄ともせず、あるがままの自然の営みとして描く。情景であると思う。情景は感情である。感情は理性を超え想いを時代に刻み込む刹那。推論は無粋である。目を凝らせば創意工夫が透ける。大棟の鉄を支える小梁の群れは、正直で飾らず成り立ちを上手に現して止まない。丁寧に吟味された柱の幅は無理なく空間と調和している。逐次土を練り込み撒かれた屋根タイルは茶目である。粋であると思う。
世の中には数々の建築の賞がありその審査方法も様々である。書類審査のみのものもあれば、加えて現地審査を行うものもある。現地審査で書類では伝わりにくい情報がもたらされ、評価が一変することもある。この建築大賞は書類審査を経て現地審査を行い、さらに公開審査で大賞を決めるという手順となっている。その意図するところは何だろう。審査の課程でなされる議論自体が建築の価値を社会に伝えていくために重要だということではないか。公開審査の場で建築家によるプレゼが行われる意味もそこにあろう。 すでに書類や現地で説明が尽くされているにもかかわらず、あらためて公開の場でプレゼンをお願いするのは、畢竟建築家の社会に向けての「語り口」を問うということである。そのように考えると、JIA建築大賞においては公開でのプレゼンも重く評価されるべきではないか。そのような観点から、私は公開審査で「天神町Place」を推した。
「天神町place」は、高密な街に挿入された強い輪郭を持つ屋外空間が印象的な建築である。沈み込んでいくアプローチも静謐な屋外空間とマッチしている。公開審査では、この特徴的な屋外空間が住民にさりげなくまたささやかに働きかけているさまが伝えられ、現地審査でも把握できなかった住民の日常生活についての情報が加わり、見事なプレゼンテーションであった。賃貸集合住宅という収益性が前面に出るビルディングタイプにおいて、レジデンツプライドを導く強度のある空間を出現させたことは衝撃的であった。 大賞に選定された「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は、公開審査での新たな発見こそ乏しかったが、阿蘇の雄大な風景の中に、伸びやかに展開していく屋根が圧倒的に美しかった。震災遺構との関係などランドスケープに若干気になる部分もあるが、多くの方々が訪れ、ボランティアがいきいきと説明をしているシーンをみると、地域にとって大切な建築と受けとめられていることが理解できた。建築的にも高い完成度を誇り、大賞にふさわしい作品といえよう。 「花重リノベーション」は年代の異なる町家の再生をはかるものであった。既存建物の木造軸組に精度の高い極細の鉄骨フレームが付加され、新旧が見事に融和されている。フレームで中空に建物の外形を浮かび上がらせる手法もユニークで、ともすると旧の建物のトレースに終始しがちなリノベーションを、見事に建築作品へと昇華させていた。その手法の普遍性・可能性を語って欲しかった。 「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、周辺と接続するパスが中央を貫通するといった大きな飛び道具を軽やかに使いこなす一方で、個々のディテールも密度濃く、大規模開発でありながら見応えのある建築作品となっていた。東京という都市の魅力向上までターゲットにしたプレゼンは壮大であったが、建築家協会の賞として受けとめにくい部分も感じられた。
上記4作品に加え現地審査対象となった「睦モクヨンビル」は木造4階建てにチャレンジした作品であった。限られた敷地条件でのみ成立するものではあるが、特殊な工法や材料に頼らず、ローカルな技術で実現できることを示した意義深いプロジェクトであった。同じく「Grove」は町家状の奥行きの深い敷地にポーラスな建築を配し、その隙間で様々なアクティビティが引き起こされることが企図されていた。構造との不整合をあえて生じさせることで、不思議な回遊性が生み出されていたのが印象的であった。
178作品の書類選考から現地審査へと、複数の目で見て議論しながら最終選考者の公開での発表を経て選ぶという、丁寧なプロセスを経て最終的に選ばれた大賞と優秀の賞に選ばれた4作品の設計者および関係者には敬意を表したいと思います。ロケーションも規模も用途もまったく異なる建築を、同列に並べて評価するのは大変難しい作業であったと感じていますが、その建築を使うのは人であり、人は都市にも田舎にも生活しているわけですから、そのロケーションに応じた建築のあり方をしっかり見たいと考えました。
大賞に選ばれた『KIOKU』は、阿蘇の雄大な自然を眺望しながら、震災を伝える展示物などから、穏やかさと震災のギャップを感じる、日常と非日常が隣り合わせに存在することを私たちに伝える場となっています。展示室内だけではなく、周辺の散策路をたどりながら、東海大学の震災遺構や山肌が崩落した姿を見渡す事によって、より現実的な自然災害の脅威を感じ取れるようになっています。帯状の細い展示空間が、草原の中にフワーっと舞い降りたような、穏やかな姿が印象的で、単に震災ミュージアムとしての役割だけでなく、四季折々自然を感じる展望プレースとしての役割も大きく担っていると感じました。 優秀作品に選ばれた3作品ですが、『花重リノベーション』は、残しながら新しい場を挿入する事で、豊かな居場所が周辺にも広がるような意欲作です。改変される歴史を読み込みながらも、鉄という新しい素材を導入して、軽やかに新しい居場所を生み出している点が評価されました。 『天神町place』は、高層化する周辺環境に対して、内側に大きなヴォイド設けて、風の流れや視線の行き来や光の道を巧みに取り入れ、周辺環境に頼らない新たな居住を提示している点が評価されました。 『虎ノ門ヒルズ ステーションタワー』は地下鉄からのアプローチも、路面からのアプローチも、これまでの高層ビルとは異なり、アート性や親近性を感じられる工夫がなされ、大規模開発の中に、ヒューマンスケールと近未来性を感じるデザインが散りばめられている点が評価されました。
優秀建築選100作品の中から大賞にふさわしいと考えられる建築6作品を現地審査対象として挙げ、そのうち4作品が最終の公開審査として選ばれた。
日本建築大賞を受賞した「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は現地に赴き、不思議な感覚にとらわれた忘れられない建築である。震災ミュージアムというある意味で重いテーマ、内容、展示物があるなか、周辺環境、地形を読み解きながら、近景、中景、遠景でそれぞれに着目して建築空間がつくられており、建築と風景の相互作用により自然の魅力と畏怖を同時に感じることができる極めて優れた作品であった。周辺を囲う山々と建築の関係を考えた時に、その雄大な自然の別の側面として引き起こされた2度の大地震を、建築空間を体験しながら感じられ、震災へ深い想いを共有できる、優れた建築となっていた。 「天神町place」は、各住戸へのアクセスが異なるデザインの共用部を備え、建物の中まで小道が続いているとも感じられる共同住宅である。周囲にひしめく同規模の共同住宅群をみると、都心で集団的に生活することの厳しさを感じるが、この作品では静謐ともいえる中庭を計画し、それに面して家具を構造体の厚みを利用して配し、各住戸と共用部、中庭に適切な距離感と居場所を生み出していた。多層、中高層の共同住宅になるほどに構造、設備がデザインに与える影響は避け難くなる。それらの技術的制約を見事にコントロール、統合し優れた建築に昇華した作品である。 「花重リノベーション」は、過去だけではなく未来を含めて時間を意識させる建築である。建築は竣工すると、建築家が関わり続けるのが難しいが、ここではオープンエンドな架構の仕組みを提案することで、長い時間的スパンでプロジェクトの可能性を提示している点が評価できる。一方で挿入した新たなフレームにどのような可能性があるのかをより具体的に提示できるとより魅力が顕在化したように思う。 「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、規模が大きく、用途が複合化したプロジェクトを一つの「繋げる」というデザインコンセプトにまとめ上げるために、相応の検討と極めて密度の高い設計をおこなった計画である。周辺建物と一体的、総合的に設計されている提案が評価される一方で、それら地域全体でとらえるべき提案を一つの建築として評価するのには疑問が残ったのも事実である。
どの作品も大賞にふさわしいというのが正直な感想である。どうしても一点を選ばなくてはならず「天神町place」を大賞作品として推すこととした。「天神町place」は共同住宅である。これまでの建築大賞受賞作品は美術館や公共性の高いものが多く、その非日常的な空間、公共空間が受賞することに異論はないが、一方で日常を支える建築も重要であり、受賞する機会を与えたいという気持ちが強かった。料理で例えるなら美術館や公共建築物が、コース料理だと すると共同住宅や住宅は白飯に味噌汁である。それを比べること自体にあまり意味はなく、それぞれのものとして優れていることが重要なのである。そういう意味でどれも大賞にふさわしいのであるが、これまでの建築大賞の受賞作品、日本建築家協会が与える賞であることを考慮にいれるのであれば、日常を支える建築が受賞しても良いのではないのかという思いが強かった。 惜しくも最終の公開審査に至らなかった「睦モクヨンビル」「Grove」ともに周辺環境を読み解き独自の解釈で生まれた優れた建築であったことを最後に記したいと思う。
JIA日本建築大賞は、2005年の第1回から審査委員の1人を編集者が務めている。これは、建築の議論をより開かれたものにするという協会の姿勢の現れだと感じている。この編集者枠として、若輩の一編集者にお話をいただいたことを大変光栄に思う。 日頃、日本の建築の魅力を、業界内のみならずより広く一般に知ってもらいたいと考え活動している。そこで、建築の新しい可能性を開くという視点に加え、使う側の目線、つまり、人々に豊かさをもたらす建築であるかという点を心に留めて審査に臨んだ。
公開審査には、伝統建築のリノベーション、震災ミュージアム、大規模再開発の超高層ビル、都心の集合住宅と、規模も用途も多彩な4作品が対象となった。それぞれに大賞となるにふさわしい傑出した作品であったことを、まず申し上げたい。 大賞に輝いた「熊本地震震災ミュージアム KIOKU」は、曲線を描くひとつながりの屋根が架かる展示室と半屋外空間を歩いて巡るうちに、自然と丘の上の震災遺構に導かれる。この空間体験が素晴らしく、震災の記憶を伝えるという重い役割を担う建築でありながら、阿蘇の自然と融合した明るく軽やかな建築であるところに希望を感じた。同時に、この場を訪れるさまざまな人々の想いや行動に寄り添う包容力を持つ建築であり、それは、軽やかな架構、屋根のタイルの濃淡表現、内外の空間の接続部など、隅々まで考え抜かれた設計によって実現されている。 最後まで大賞を競った「天神町place」は、上空からの光が陰影をつくる中庭空間の美しさに息を呑んだ。高層マンションに囲まれた旗竿敷地に、中庭を囲む特徴的な馬蹄形の形状で全住戸に光や風を取り込み、中庭への視線の抜けを巧みにつくり出している。曲面の壁を生かした35戸の住戸はすべて異なり、多様な暮らし方が提案されていた。空間性と居住性を高い次元で実現するだけでなく、集合住宅の新しい価値、魅力を生み出している点で他に類を見ない。また、中庭側の窓辺にフォーカスし、入居後の暮らしの風景を盛り込んだプレゼンテーションが抜群に素晴らしかった。 「花重リノベーション」は、谷中霊園の傍で150年続く花屋の改修だ。丁寧な調査と設計で、登録有形文化財を含む異なる年代の既存4棟の価値を引き出し、木造架構と呼応する鉄骨フレームのテラスを新設して新旧一体となった大らかな空間を生み出している。廃業の危機にあった花屋の生業と景観を継承しつつ新たな地域拠点を生み出す、伝統建築の保存活用の新しいモデルを提示している。 「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」は、見る角度によって印象が変わるビルのデザインもさることながら、新駅との一体開発や広場のような歩行者デッキによって都市の動線を積極的に引き込む超高層ビルのあり方が独創的だ。自然光が入る地下アトリウムは、ガラス越しに地下鉄の往来が見え、その下を人々が行き交う、都市のダイナミズムを感じさせる眺めに胸が高鳴った。 また、現地審査の対象となった「Grove」、「睦モクヨンビル」も社会に資する挑戦的な作品だった。「Grove」は、7階建ての半分を半屋外空間とした斬新な建築で、奥に細長い敷地に光や風を通すと同時に、都市に魅力的な“隙間”を提供している。「睦モクヨンビル」は、“日本初”という発信力の高い木造ビルを壱岐島で実現することで地域活性化につなげたいという、建築家の姿勢に強い感銘を受けた。
最後に、日々研鑽を積まれているすべての建築家に心から敬意を表します。
2024年度 JIA 優秀建築選 JIA 日本建築大賞・JIA 優秀建築賞
手塚貴晴(審査委員長)
今回の審査に関しては、まず受賞に至らなかった現地審査の二作品について語りたい。
「睦モクヨンビル」は日本初の無垢の木造四階建てビルということになっているが、それ以上にその構成が齎す空間の強さに圧倒された。説明の際に技術的側面を可成強調されていたが、個人的にはそれを超える建築空間の意味について言及されたほうが良かったように思う。十分に大賞候補となりうる歴史上の傑作である。しかしながら特殊性が強いが故に、総合的な評価を求める今回の賞には即しないという議論があり、公開審査には至らなかったのは残念である。
「Grove」は奥行きの深い町屋形式を再解釈している傑作である。オーナーの住宅部分の設えも素晴らしい。惜しむべくは、まだテナントが入っていない部分が残る状態での審査であったこと。もっと賑わいが出てから説得力があったように思う。ここからは最終審査に進んだ作品に進む。
「花重リノベーション」は改装という範疇を超えて、都市の界隈の保全に深い造詣を示した傑作である。更に鉄部の詳細に込められた拘りは職人魂を映して留まることを知らない。
「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、近年の超高層の中では群を抜いている。地下鉄から地上を突き抜けて中層階へと至るアーバンコアは、映画のメトロポリスの情景を思い起こさせる、レトロフューチャーの趣がある。何よりも都市として生きが良い。都市のランドマークとしてのメッセージも極めて強い。内装は多様性と包括性を含み、幾重にも重なった曼荼羅を編んでいる。なぜ大賞にならなかったかという問いには答えようがない。
「天神町place」は日本史に例を見ない回答である。強いて世界史から検索すれば、ローマのカンピドリオ広場であろうか。最終プレゼンテーションで窓に焦点をあてた手法は心憎い。
「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は、敷地の地霊を巧みに読み込んでいた。
なぜ「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」が大賞となったのか。その違いは理屈を超えた情感にあったように思う。近年は「誰の為に作り、何を成すのか。」というストーリー性が建築評価に大きな影響を与えている。ややもすると、建物を作らないことが美談となり、開発が悪であるかのように吹聴される傾向にある。確かにバブル期に箱物を乱立させた建築設計業界の罪は深い。しかしながら、全ての功罪を建築家に帰するには無理がある。バブル経済とはいえ必要を超えた建築家の想いが籠らなければ、長谷川逸子氏作「湘南台文化センター」のような名作は生まれない。舵取りに失敗した日本は貧しくなった。建築家が肆するがままに意匠を凝らす時代ではない。しかし貧すれば鈍するでは困るのである。貧しくなったとはいえ、丹下健三氏が活躍した1960年代は決して豊かでは無かった。豊かではないが故に知恵を絞り、世界に誇る名作「国立代々木競技場」が生まれた。
KIOKUに話を戻す。阿蘇カルデラの裂け目に一筋の屋根が生まれた。細く長く引き伸ばされた佇まいは、草千里を想わせる大地を包み、秀峰へと開いている。語るは先の震災。それを悲劇とせず雄ともせず、あるがままの自然の営みとして描く。情景であると思う。情景は感情である。感情は理性を超え想いを時代に刻み込む刹那。推論は無粋である。目を凝らせば創意工夫が透ける。大棟の鉄を支える小梁の群れは、正直で飾らず成り立ちを上手に現して止まない。丁寧に吟味された柱の幅は無理なく空間と調和している。逐次土を練り込み撒かれた屋根タイルは茶目である。粋であると思う。
小泉雅生
世の中には数々の建築の賞がありその審査方法も様々である。書類審査のみのものもあれば、加えて現地審査を行うものもある。現地審査で書類では伝わりにくい情報がもたらされ、評価が一変することもある。この建築大賞は書類審査を経て現地審査を行い、さらに公開審査で大賞を決めるという手順となっている。その意図するところは何だろう。審査の課程でなされる議論自体が建築の価値を社会に伝えていくために重要だということではないか。公開審査の場で建築家によるプレゼが行われる意味もそこにあろう。
すでに書類や現地で説明が尽くされているにもかかわらず、あらためて公開の場でプレゼンをお願いするのは、畢竟建築家の社会に向けての「語り口」を問うということである。そのように考えると、JIA建築大賞においては公開でのプレゼンも重く評価されるべきではないか。そのような観点から、私は公開審査で「天神町Place」を推した。
「天神町place」は、高密な街に挿入された強い輪郭を持つ屋外空間が印象的な建築である。沈み込んでいくアプローチも静謐な屋外空間とマッチしている。公開審査では、この特徴的な屋外空間が住民にさりげなくまたささやかに働きかけているさまが伝えられ、現地審査でも把握できなかった住民の日常生活についての情報が加わり、見事なプレゼンテーションであった。賃貸集合住宅という収益性が前面に出るビルディングタイプにおいて、レジデンツプライドを導く強度のある空間を出現させたことは衝撃的であった。
大賞に選定された「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は、公開審査での新たな発見こそ乏しかったが、阿蘇の雄大な風景の中に、伸びやかに展開していく屋根が圧倒的に美しかった。震災遺構との関係などランドスケープに若干気になる部分もあるが、多くの方々が訪れ、ボランティアがいきいきと説明をしているシーンをみると、地域にとって大切な建築と受けとめられていることが理解できた。建築的にも高い完成度を誇り、大賞にふさわしい作品といえよう。
「花重リノベーション」は年代の異なる町家の再生をはかるものであった。既存建物の木造軸組に精度の高い極細の鉄骨フレームが付加され、新旧が見事に融和されている。フレームで中空に建物の外形を浮かび上がらせる手法もユニークで、ともすると旧の建物のトレースに終始しがちなリノベーションを、見事に建築作品へと昇華させていた。その手法の普遍性・可能性を語って欲しかった。
「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、周辺と接続するパスが中央を貫通するといった大きな飛び道具を軽やかに使いこなす一方で、個々のディテールも密度濃く、大規模開発でありながら見応えのある建築作品となっていた。東京という都市の魅力向上までターゲットにしたプレゼンは壮大であったが、建築家協会の賞として受けとめにくい部分も感じられた。
上記4作品に加え現地審査対象となった「睦モクヨンビル」は木造4階建てにチャレンジした作品であった。限られた敷地条件でのみ成立するものではあるが、特殊な工法や材料に頼らず、ローカルな技術で実現できることを示した意義深いプロジェクトであった。同じく「Grove」は町家状の奥行きの深い敷地にポーラスな建築を配し、その隙間で様々なアクティビティが引き起こされることが企図されていた。構造との不整合をあえて生じさせることで、不思議な回遊性が生み出されていたのが印象的であった。
工藤和美
178作品の書類選考から現地審査へと、複数の目で見て議論しながら最終選考者の公開での発表を経て選ぶという、丁寧なプロセスを経て最終的に選ばれた大賞と優秀の賞に選ばれた4作品の設計者および関係者には敬意を表したいと思います。ロケーションも規模も用途もまったく異なる建築を、同列に並べて評価するのは大変難しい作業であったと感じていますが、その建築を使うのは人であり、人は都市にも田舎にも生活しているわけですから、そのロケーションに応じた建築のあり方をしっかり見たいと考えました。
大賞に選ばれた『KIOKU』は、阿蘇の雄大な自然を眺望しながら、震災を伝える展示物などから、穏やかさと震災のギャップを感じる、日常と非日常が隣り合わせに存在することを私たちに伝える場となっています。展示室内だけではなく、周辺の散策路をたどりながら、東海大学の震災遺構や山肌が崩落した姿を見渡す事によって、より現実的な自然災害の脅威を感じ取れるようになっています。帯状の細い展示空間が、草原の中にフワーっと舞い降りたような、穏やかな姿が印象的で、単に震災ミュージアムとしての役割だけでなく、四季折々自然を感じる展望プレースとしての役割も大きく担っていると感じました。
優秀作品に選ばれた3作品ですが、『花重リノベーション』は、残しながら新しい場を挿入する事で、豊かな居場所が周辺にも広がるような意欲作です。改変される歴史を読み込みながらも、鉄という新しい素材を導入して、軽やかに新しい居場所を生み出している点が評価されました。
『天神町place』は、高層化する周辺環境に対して、内側に大きなヴォイド設けて、風の流れや視線の行き来や光の道を巧みに取り入れ、周辺環境に頼らない新たな居住を提示している点が評価されました。
『虎ノ門ヒルズ ステーションタワー』は地下鉄からのアプローチも、路面からのアプローチも、これまでの高層ビルとは異なり、アート性や親近性を感じられる工夫がなされ、大規模開発の中に、ヒューマンスケールと近未来性を感じるデザインが散りばめられている点が評価されました。
大野博史
優秀建築選100作品の中から大賞にふさわしいと考えられる建築6作品を現地審査対象として挙げ、そのうち4作品が最終の公開審査として選ばれた。
日本建築大賞を受賞した「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は現地に赴き、不思議な感覚にとらわれた忘れられない建築である。震災ミュージアムというある意味で重いテーマ、内容、展示物があるなか、周辺環境、地形を読み解きながら、近景、中景、遠景でそれぞれに着目して建築空間がつくられており、建築と風景の相互作用により自然の魅力と畏怖を同時に感じることができる極めて優れた作品であった。周辺を囲う山々と建築の関係を考えた時に、その雄大な自然の別の側面として引き起こされた2度の大地震を、建築空間を体験しながら感じられ、震災へ深い想いを共有できる、優れた建築となっていた。
「天神町place」は、各住戸へのアクセスが異なるデザインの共用部を備え、建物の中まで小道が続いているとも感じられる共同住宅である。周囲にひしめく同規模の共同住宅群をみると、都心で集団的に生活することの厳しさを感じるが、この作品では静謐ともいえる中庭を計画し、それに面して家具を構造体の厚みを利用して配し、各住戸と共用部、中庭に適切な距離感と居場所を生み出していた。多層、中高層の共同住宅になるほどに構造、設備がデザインに与える影響は避け難くなる。それらの技術的制約を見事にコントロール、統合し優れた建築に昇華した作品である。
「花重リノベーション」は、過去だけではなく未来を含めて時間を意識させる建築である。建築は竣工すると、建築家が関わり続けるのが難しいが、ここではオープンエンドな架構の仕組みを提案することで、長い時間的スパンでプロジェクトの可能性を提示している点が評価できる。一方で挿入した新たなフレームにどのような可能性があるのかをより具体的に提示できるとより魅力が顕在化したように思う。
「虎ノ門ヒルズステーションタワー」は、規模が大きく、用途が複合化したプロジェクトを一つの「繋げる」というデザインコンセプトにまとめ上げるために、相応の検討と極めて密度の高い設計をおこなった計画である。周辺建物と一体的、総合的に設計されている提案が評価される一方で、それら地域全体でとらえるべき提案を一つの建築として評価するのには疑問が残ったのも事実である。
どの作品も大賞にふさわしいというのが正直な感想である。どうしても一点を選ばなくてはならず「天神町place」を大賞作品として推すこととした。「天神町place」は共同住宅である。これまでの建築大賞受賞作品は美術館や公共性の高いものが多く、その非日常的な空間、公共空間が受賞することに異論はないが、一方で日常を支える建築も重要であり、受賞する機会を与えたいという気持ちが強かった。料理で例えるなら美術館や公共建築物が、コース料理だと
すると共同住宅や住宅は白飯に味噌汁である。それを比べること自体にあまり意味はなく、それぞれのものとして優れていることが重要なのである。そういう意味でどれも大賞にふさわしいのであるが、これまでの建築大賞の受賞作品、日本建築家協会が与える賞であることを考慮にいれるのであれば、日常を支える建築が受賞しても良いのではないのかという思いが強かった。
惜しくも最終の公開審査に至らなかった「睦モクヨンビル」「Grove」ともに周辺環境を読み解き独自の解釈で生まれた優れた建築であったことを最後に記したいと思う。
飯田彩
JIA日本建築大賞は、2005年の第1回から審査委員の1人を編集者が務めている。これは、建築の議論をより開かれたものにするという協会の姿勢の現れだと感じている。この編集者枠として、若輩の一編集者にお話をいただいたことを大変光栄に思う。
日頃、日本の建築の魅力を、業界内のみならずより広く一般に知ってもらいたいと考え活動している。そこで、建築の新しい可能性を開くという視点に加え、使う側の目線、つまり、人々に豊かさをもたらす建築であるかという点を心に留めて審査に臨んだ。
公開審査には、伝統建築のリノベーション、震災ミュージアム、大規模再開発の超高層ビル、都心の集合住宅と、規模も用途も多彩な4作品が対象となった。それぞれに大賞となるにふさわしい傑出した作品であったことを、まず申し上げたい。
大賞に輝いた「熊本地震震災ミュージアム KIOKU」は、曲線を描くひとつながりの屋根が架かる展示室と半屋外空間を歩いて巡るうちに、自然と丘の上の震災遺構に導かれる。この空間体験が素晴らしく、震災の記憶を伝えるという重い役割を担う建築でありながら、阿蘇の自然と融合した明るく軽やかな建築であるところに希望を感じた。同時に、この場を訪れるさまざまな人々の想いや行動に寄り添う包容力を持つ建築であり、それは、軽やかな架構、屋根のタイルの濃淡表現、内外の空間の接続部など、隅々まで考え抜かれた設計によって実現されている。
最後まで大賞を競った「天神町place」は、上空からの光が陰影をつくる中庭空間の美しさに息を呑んだ。高層マンションに囲まれた旗竿敷地に、中庭を囲む特徴的な馬蹄形の形状で全住戸に光や風を取り込み、中庭への視線の抜けを巧みにつくり出している。曲面の壁を生かした35戸の住戸はすべて異なり、多様な暮らし方が提案されていた。空間性と居住性を高い次元で実現するだけでなく、集合住宅の新しい価値、魅力を生み出している点で他に類を見ない。また、中庭側の窓辺にフォーカスし、入居後の暮らしの風景を盛り込んだプレゼンテーションが抜群に素晴らしかった。
「花重リノベーション」は、谷中霊園の傍で150年続く花屋の改修だ。丁寧な調査と設計で、登録有形文化財を含む異なる年代の既存4棟の価値を引き出し、木造架構と呼応する鉄骨フレームのテラスを新設して新旧一体となった大らかな空間を生み出している。廃業の危機にあった花屋の生業と景観を継承しつつ新たな地域拠点を生み出す、伝統建築の保存活用の新しいモデルを提示している。
「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」は、見る角度によって印象が変わるビルのデザインもさることながら、新駅との一体開発や広場のような歩行者デッキによって都市の動線を積極的に引き込む超高層ビルのあり方が独創的だ。自然光が入る地下アトリウムは、ガラス越しに地下鉄の往来が見え、その下を人々が行き交う、都市のダイナミズムを感じさせる眺めに胸が高鳴った。
また、現地審査の対象となった「Grove」、「睦モクヨンビル」も社会に資する挑戦的な作品だった。「Grove」は、7階建ての半分を半屋外空間とした斬新な建築で、奥に細長い敷地に光や風を通すと同時に、都市に魅力的な“隙間”を提供している。「睦モクヨンビル」は、“日本初”という発信力の高い木造ビルを壱岐島で実現することで地域活性化につなげたいという、建築家の姿勢に強い感銘を受けた。
最後に、日々研鑽を積まれているすべての建築家に心から敬意を表します。