一「国際」水準の「建築家資格」の真の意義
「UIA協定基準による第三者の公正な認定による建築家資格制度」の我が国への適用の必要性はどこにあるのだろうか? その「国際」水準の本当の意味は何で、日本の市民一般にとっていかなるメリットがあるのか?…地域会やWEBという、日頃の市民との接点の現場から見れば、その必要性の背景は煎じ詰めるところ、次の3点に集約されると思われる。
1.「建築家イメージ」のもたらす問題
「建築家」という言葉が我が国の一般市民に対し喚起する、ややもすると知的タレント的(悪い場合はスノッブ)なイメージ…このイメージが現代社会における「アーキテクト」の本来的な職分への理解をどれだけ日本人から奪っているか、計り知れないものがあろう。……この「建築家イメージ」の蔓延にいかに対抗するか。(このイメージを自らまとうことを欲する建築家も数多く存在する中で、)住環境・都市景観に対し責任あるプロフェッショナルとしてのアーキテクト像をどうしたら社会に定着させ得るか。
2.「建築士」のもたらす問題
一方、確認代願業者でさえ「建築士」を死ぬまで名乗り続けられるという不幸な日本独自の制度のもと、欠陥住宅を恐れる「消費者」は住宅性能表示のような担保システムの方へと誘導され、「建築士」は責任能力の指標としてはもはや顧みられなくなりつつあるようにさえ見える。(住宅以外においても、「建築士」がたとえば都市環境構築の責任者として意識される事はまずないであろう。)結果、建築士の中のアーキテクト層が、道連れ的に社会から無用視され、弱体化されかねない現実が進行している。これをどうするのか。
3.「JIA会員」と言えども……
では、「JIA会員」であることの担保能力は現実にはどうか。JIAが自らの倫理規定・行動規範を会員が守ることを社会に対し宣言し、そのことにより会員の質と行動を社会に対し保証し、これらへの違反を(除名を含む)懲戒の理由としている……にもかかわらず、当のJIAのかなりのメンバーが、このJIAの社会への約束の存在そのものさえ知らないか、もしくは忘れ去っている。WEB上でも会員への倫理上の指弾を受ける始末である。これこそどうするべきなのか。
(正確には上記1と2の問題がUIA基準建築家資格制度を求めているのであって、3の問題についてはJIAのメンバーが自ら改善の努力をすれば良い……つまりUIA的制度はその改善の触媒として求められているに過ぎない。)
つまり、UIA協定基準の建築家資格を我が国に実現させることの意義は、多国間の業務相互乗り入れのための「海外用建築士ライセンス」の設定にあるのではほとんどない。そうでなく実は最大の意義は、「やっと我が国に実現する建築家資格」をインセンティヴとして、この資格制度の本当の核心であるUIA的倫理規定を「建築家」に課すことで、アーキテクトたるものに普遍の職業倫理と責任とを日本にても確立させることにある、と直観されるのである。
確立とまではいかなくても、少なくともグローバルミニマムの倫理水準・責任水準に向けて、日本の設計監理業務の平均レベルを引き上げることが本当にできれば、UIA的資格制度の日本への適用の意義は市民にとってもおおいにあるだろう。
ただし、このためにはこの新しい「資格制度」による設計監理者のサービス提供の質の向上が、如実に実感できる形で市民に周知されねばなるまい。
逆に、国際的な業務相互乗り入れだけが目的視され、UIA的水準の倫理要請が(日本の特殊事情により)「骨抜き」になるようなことが万一にも不可避の情勢になったら、JIAは初心を守るために制度推進の方法転換を余儀なくされるはず、と私は想像する。
二 UIA協定基準の核心はその倫理綱領ガイドライン
では、その「UIA協定基準(昨年6月末の北京大会で採択)」のいったいどの部分が、上記の改善にとって本質的な意味を持つのであろうか。全JIA会員に事前に送られたその直訳調日本語版冊子から、建築士制度見直し等の他の方法では代用できない部分の条項を挙げると、
−UIAはすべての国において(つまりUIA支部JIAは)「(UIAが定義する)建築家」の登録・免許・証明を促進しなければならない。またこうした登録・免許・証明の条項は、法令化されていなければならない。
−資格登録制度は(中略)無訓練・無資格の個人と区別するための方法を一般人に提供することを意図している。資格登録制度は、登録要件に適合しない個人がサービスを提供することを妨げない。一般人及びサービスの消費者が、訓練済・有資格の個人を未訓練の個人と区別することを可能にするだけである。(筆者注:倫理的訓練を含む)
−倫理綱領は、建築家が業務を遂行する際に、専門家としての拠り所となるものである。
−倫理基準3.4 建築家は(中略)その業務の質や費用に影響を与えるような事項について、常に依頼主が知っているようにする。
−倫理基準3.8 建築家は利害の衝突をうむと解釈されるかもしれない重要な状況を知った場合は、それを依頼主、オーナーあるいはコントラクターに開示する。また、利害の衝突が(中略)公正な判断を提供するという建築家の義務を阻害しないことを、保証しなければならない。
これが制度の核心たる部分、少なくとも日本においてはそうであろう。
JIAが97年に発表した「建築家資格制度(素案)」にて、倫理規定はUIAのものを準用するとあるので、上記倫理基準は日本にて提示されているJIAの案でもあることになる。UIA定義の「建築家」がゼネコン等に在籍する設計者を排除していない以上、JIAの素案も彼らを視野に入れつつ、資格を取得した暁には彼らにこのUIA倫理綱領を守ってもらう、という構図になる。また、そうでなければ運動そのものが無意味と化すであろう。
こうしたUIA基準建築家資格の取得者が、継続教育を受け登録更新手続きを繰り返す限り、職域の移動によっても資格を失わず、かつ資格認定がJIAでない第三者によるということが、いまだに多くのJIA会員の疑念・不安を呼んでいるが、実はこの点は、とうに、鬼頭元会長の杉浦登志彦氏との対談(建築ジャーナル95年9月号)や、近畿支部建築家資格制度実務委員長である西部氏の必読レポート「JIA関東甲信越支部のために(99年5月25日)」にて整理されており、これらを読めば、氷解するはずの事柄であると私には楽観される。
むしろ、心配されるのは次のような点であろう。
三 危惧と初心
心配1.「日本で何が一番欠けているかを考えた場合、また大局的に見た場合、建築家資格制度の核心は我が国ではその職業倫理規定にある」ということが、今後の経緯の中であまり意識されず、または意図的に軽視され、雲散霧消してしまう危険があるのではないか。業務の国際間相互乗り入れのみ強調されたりして、万一そのような事態になれば、現行のJIAの倫理規定・行動規範により担保されるJIA的専業建築家像が生き残った方がまだマシだということになってしまうであろう。そこで、その万一にならないよう、JIAは可能最大のエネルギーをその防止に注がねばなるまい。
心配2.UIA的「建築家資格制度」実現後は、JIAはUIA支部として「登録建築家の協会」となるのが道理だが、「資格」未登録のメンバーをJIAがそのまま会員として排除しないことを「建築家資格制度」のオーソライザーである認定機関が許すだろうか?…実現までの運動プロセスにおいても、登録しない会員を将来排除することを約束しないとJIA案は受け入れられないのではないだろうか?
心配3.ただでさえ過渡的には「(登録)建築家」と言う呼称につき混乱が生じるであろう。(相互乗り入れのためのみの)折衷的「建築士/建築家」資格取得者がUIA倫理規定を守れない現実が続いた場合、社会がこの資格の権威を低く評価し、ひいては建築家の第三者性を見失うのではないか?
もっとも、こうした心配ばかりでは生産的でないゆえ、最後にこれらの心配を逆にポジティヴに表現してみたいと思う。
〜 資格制度の今後の成り行きがどのようであれ、「建築家=アーキテクト」という言葉に対して一般市民がその本来的職能像をイメージできるようになることが最も大切である。ゆえに当面は、不断の努力でJIA会員たる要件・資質の向上を図ることが、JIAの義務であり、本当に望ましい資格制度実現への基礎的貢献なのではないだろうか?…つまりJIA会員であることの中身を限りなくUIA基準に近づけることが、JIAのここしばらくの存在理由なのではなかろうか。〜
そう考えてくると、継続教育の単位取得などにおいて我々地域会の役割も意外に早く求められるようになるのではないか、おっとこれはたいへんなことだ、と私はここで自らの論旨の帰結に慌てる次第である。 |