■ JIA建築家資格制度試行に向けて 閉じる

建築家資格制度の理解を深めるために——建築界の動き
中田 亨

(1)「JIAの目指すもの」—JIAにおける資格制度の原点
1990年11月15日、この日JIA大会90千葉で鬼頭梓副会長(当時)が行った提言「JIAが目指すもの」はその後のJIAの活動の方向を決定づけるものとなりました。
「建築家の法制が未だ存在しないわが国において、会の名称に建築家の称号をもちい、職能を目指す団体として発足したJIAは、法に代わって建築家とは何であるかを社会に示し、その存在と理念とについて社会の容認を得て行かなければならない責任を負っている。」と言い、そのためには「国家試験にも代わり得るような真に建築家にふさわしい試験を行うことなどを真剣に検討すべきときにきている」とするこの提言は、それまでの、国に頼り、国に法の改正を求める姿勢をあらため、自ら建築家の資格制度をつくり、社会の容認を得ようとする自主独立の運動への転換の宣言であり、その後の活動の原点となりました。
この宣言の背景にはふたつの出来事がありました。ひとつは国に法制度の改正を求める運動の挫折で、他のひとつは国際情勢への開眼です。
建築審議会は1988年3月28日に提出した中間答申で、①大別されるふたつの異なる建築生産の方式(設計・施工分離と設計・施工一貫)が存在することについて正当な社会的認識の定着を図ること、②発注者がそのニーズに応じて2つの異なる方式を適正に評価し、自由に選択し得るよう。個々の建築士事務所がその業態、業務内容等を明確化しその情報を適切に明示するための措置を講ずること。を緊急な課題として提起しました。これを受けて、関係4団体(JIA、士会連合会、日事連、BCS)による建築設計懇談会が設けられ、約1年半、15回にわたりこの課題に応えるための制度的な仕組みについて協議を行いましたが、結論を得ることが出来ず物別れに終わりました。このことは国に頼り、法制度によって専業の建築家の立場を守ろうとする従来の建築家協会の運動のあり方について重大な反省を求めるものとなりました。
一方、建築設計懇談会での討議に資するため、JIAは1990年に調査委員会(椎名政夫委員長)を設置して、世界の建築家の資格と業務の実態を調査しました。その結果、建築家の資格制度は国ごとにそれぞれの歴史的、社会的背景に応じて千差万別であること、しかし、その一方で、ヨーロッパでは1993年のEC発足に向けて、80年代の初めから建築家資格の相互通用への準備が進められており、1985年には建築家の備えるべき資質、能力に関してEEC委員会指令85/385(後のEC指令)が出され、建築家について共通の概念が確立されていること等が明らかとなりました。

(2)1997年建築家資格制度(素案)の成立
1992年JIAは「建築家の定義、資格認定、建築家教育等、建築家資格制度確立のための検討を行う」ことを事業計画の最重点に掲げ、それまでの調査委員会に代えて建築家資格制度検討委員会(椎名政夫委員長)を設置して、わが国のあるべき建築家資格制度を提案するための作業に着手しました。このとき鬼頭梓会長は、総会で「消費者の立場を第一とし、世界に通用する職業としての建築家の資格制度の確立を目指す」と述べています。そして、これはその後も一貫してJIAの求める資格制度の目標となっています。
資格制度検討委員会は発足後1年間の検討を経て、まず1993年5月、総会に際して「建築家が教育訓練を通じて獲得すべき素養と能力」を公表しました。これはEC指令85の定める11項目を基本的な枠組みとして、米国、英国およびわが国の代表的な2、3の大学のカリキュラムを参考に、建築家として必要な履修項目を整理したものです。次いで1994年3月には資格取得以前の実務訓練のための訓練項目を発表し、さらに継続職能研修CPDについても検討を進め、1995年5月に建築教育から実務訓練、資格試験、継続職能研修にいたる4段階の資格制度の全体システムをまとめて、この年の通常総会当日の会員懇談会で説明し討議を行いました。
JIAがこの資格制度を検討するにあたって、最も参考としたのは米国のシステムでした。これは1989年のAIA/JIA職能協定に基づく交流により、米国の情報が自由に得られたばかりでなく、米国の制度がきわめて明快で判りやすいこと、さらにはわが国の建築士法がもともと米軍の占領下で、米国の制度に習って制定されたという経緯から、全体の体系がわが国の制度になじみやすかったこと、また米国が既にカナダや中国と資格の相互認証に向けて動いており、国際的に大きな影響力を持ちつつあるといった事情がありました。そして、この4段階のシステムがのちに米国と中国のイニシアティブで始まったUIA基準で採用されたことは、結果的にJIAの資格制度素案について他団体等の理解と納得を得るうえで力となりました。
1996年、JIAはそれまでの調査研究の段階から、資格制度の実現に向けて具体的に行動すべき時期にきたとの判断のもとに、資格制度検討委員会に代えて建築家資格制度推進会議(鬼頭梓委員長)を設け、その傘下に6つの分科会を置くこととしました。そのひとつ資格制度推進分科会(椎名政夫委員長)では、資格制度の4つの各段階の内容をさらに煮詰める作業を行うとともに、現に建築家として活動している人々について資格を認定するための仕組み、いわゆる「経過措置」についての検討等を行いました。そして、これまでの検討結果をまとめた全体像を、後に延べる「資格制度に関する4会協議会」にJIAの「建築家資格制度素案」として提出するとともに、会の内外で広く討議の対象としてもらえるよう、JIAニュース1997年11月号に公表しました。「素案」としたのはJIAの内部はもとより、関係団体との討議を通じてこれを練りあげて行こうとする姿勢を示したものです。

(3)第1次4会協議会とフレームワーク委員会
JIAが自ら建築家資格制度を確立するための活動を開始した翌1993年、シカゴで開かれたUIA大会では建築家資格についての国際シンポジウムが行われ、資格の国際化について米国をはじめ各国の高い関心が示されました。これはGATTのウルグアイラウンドでサービス貿易の自由化が議題に上げられていたことに対応するもので、同様な関心は1990年に公表したJIAとAIAの「建築職能に関する共通認識の確認と、日本における建築職能確立のための行動計画」についての共同声明の中で、既にAIA側の提案により明かに示されていたものでした。シカゴ大会に出席した際、JIAはNCARB(全米建築家認定委員会評議会)及びNAAB(全米建築教育認定委員会)を訪問し、米国の資格制度の調査を行いました。さらに翌年1994年6月に東京で開かれたUIA理事会で、建築実務委員会PPCの設置が決まり、また、10月に中国訪問の途中日本を訪れたNCARBの会長から、中国が米国の援助のもとに全面的に米国の制度に習った建築資格制度を作りつつある事情や、NAFTA(北米自由貿易協定)のもと、米国とカナダの間で建築家資格制度の相互承認が進められており、メキシコとの間でも同様な交渉が始まっていることが伝えられました。
この時NCARBの会長から、「建築家資格制度は建築家の団体が自ら独自に作ったのでは、決して市民の信頼を得て有効な資格として機能することは出来ない」として、第三者性のある資格認定のシステムとすることを強く勧められました。この忠告を受け入れてJIAは自主認定の路線を転換しました。そして建築関係の諸団体等にJIAが得た国際情報を積極的に伝えるとともに、JIAの考えを説明して理解を求め、共同して資格制度の改革に取り組む努力をすることとなりました。1995年には他団体に呼びかけて「資格制度に関する4会(JIA、士会連合会、日事連、BCS)協議会」を発足させました。この協議会での協議の結果、①資格に関して何らかの国際化への対応を考える必要がある。②建築士法を抜本的に検討する必要がある。③建築教育について建築設計者の立場から何らかの提言をする必要がある。の3点について原則的な合意に達することが出来ました。この合意に基づき建築士法の有りかた等について検討するため、新たに「建築資格制度4会懇談会」が設けられました。
このような内外の情勢を踏まえて、建設省は1997年度に予算措置を行い、建築技術教育普及センターに「建築設計資格制度の国際相互認証のためのフレームワーク検討調査」を委託しました。
調査報告書はその目的について、「UIAの基準は建築士制度と必ずしも整合するものではないが、WTOとUIAの緊密な連携関係から、UIAでの成果がWTOのGATS(サービスの貿易に関する一般協定)第6条第4項に基づく規律のベースとなることが予想される」とし、そのため、あらかじめ建築士制度の特性を踏まえた対応策を検討しておく必要があると述べています。この調査は普及センターの小泉重信建築技術者教育研究所長を委員長に、建築設計4団体の代表に、若干の学識経験者を加えて組織した委員会により行われました。2年間かけた調査の結論は、建築設計資格の国際相互承認にあたっては、1級建築士をベースにして、UIA基準の基準に照らして足りない部分、たとえば教育年限については大学院修士課程を経ていれば良しとし、学部4年卒の場合は実務経験2年を加えて、UIA基準と同等とみなすといった「同等性証明の条件」(案)を提示するものとなっています。

(4)UIA基準とUNESCO/UIA建築教育憲章
1994年UIA東京理事会の際設立された建築実務委員会PPCは、その後急速に作業を進め、1996年バルセロナで開催された総会で、「建築家実務のプロフェショナリズムに関する国際推奨基準に関する協定」(UIA基準)を提案し、採択されました。また、1999年北京での総会ではUIA基準の改定案と、協定に盛られた政策のうち7項目についてのガイドラインが採択され、さらにその後も他の政策項目についてガイドライン策定の作業が続けられています。UIA基準はプロフェッショナリズムの原則として専門性(Expertise)自立性(Autonomy)、委任(Commitment)、責任(Accountability)の4項目を掲げた上で、建築家の業務と資格等に関して必要な16項目を挙げ、それぞれについて「定義」とその「背景」及び、それに対して今後採るべき「政策」を規定するという形で整理されています。その中で建築家の資格に関しては「教育」「実務訓練」「資格認定と登録」「継続職能開発」の4段階について、例えば教育については「最低5年間のフルタイムの学校教育を必要とする」とか、実務訓練については「学校教育の終了後、またはその途中に最低2年間(将来的には3年が望ましい)を必要とする」といった具体的な基準が定められています。
UIA基準は固定された国際基準ではなく、絶えず見直され必要な修正を加えることのできる活きた基準であり、かつ、世界の建築家たちが、かく有りたいと願う目標としての基準であるとされています。しかし、UIAは積極的にWTOに接触して、このUIA基準がGATS(サービス貿易に関する一般協定)の国内規制の基準に採り入れられるように働きかけており、今後建築家資格の国際的な相互認証が議論される際には、同等性を確認するためのベンチマーク(参照基準)となるのは確実です。また、東欧圏など今まで建築家資格の法制度を持たなかった国が、新たに制度を作る際の基準となっており、さらに、韓国やマレーシアなどアジアの国でもUIA基準に従って国内の建築家資格にかかわる制度を変えるなど、国際的な共通基準としての役割を果たしつつあります。
ところで、1994年のUIA東京理事会では、PPCと並んでもうひとつ重要な委員会が設置されました。教育委員会です。教育委員会は翌1995年インド、シャンディガールでUNESCOと共同で会議をもち、建築教育に関する憲章をつくりました。このUNESCO/UIA建築教育憲章は1996年のUIAバルセロナ総会で採択され、そこに盛られた原則が、UIA基準の「建築教育ガイドライン」として位置付けられました。そして、これに基づいて建築教育のアクレディテーション(認定)のための国際的なシステムを作ることが1999年UIA北京総会で決まり、そのための作業が進められています。これはUIAの5つのリージョンごとに、実務建築家と建築教育者それぞれ5人ずつで構成される委員会を設け、域内各国の大学の建築教育カリキュラムについて訪問調査等を行い評価、認定をしようとするものです。既にドイツは建築教育のマスターコースを設けて教育制度をUIA基準に適合するように改正したうえで、この委員会の認定を受けるよう正式に申し出ている他、2、3の国から認定を受けたい旨の申し出がなされています。このことは、UIA基準との整合を図ることを視野に入れて、ここ数年急速に進んでいるわが国の建築教育改革にも大きなインパクトを与えるものと考えられます。

(5)建築設計資格制度調査会での論議
1999年春にフレームワーク委員会の調査報告書がだされたことをうけて、JIAは4団体の会長会議にはかり、建築学会長も加わった5団体で国際化に対応可能な建築設計資格の具体化に向けてコンセンサスづくりに努めました。その結果、建設省も加わった形で資格制度具体化のために正式の協議の場が必要であるとのことで意見の一致を見て、2000年4月、5団体の会長がそろって建設省に那珂正住宅局長を訪問し、「国際基準に適合する建築設計資格具体化の検討について」と題する要望書を出し、協力を要請しました。これによりこの年の7月5日第1回の「建築設計資格制度調査会(5会調査会)」が片山正夫建築技術教育普及センター理事長を委員長に、5団体の会長、建設省建築指導課長等をメンバーとして開催されました。
5会調査会第1回会合で、①資格の国際化対応と、②設計資格の専門分化のふたつの問題を検討することを決めましたが、実際にはその後もっぱら①の問題に集中して審議を進めています。委員会の下に、各会の担当委員と専務理事による幹事会が置かれ、幹事会ではまず建築設計資格をめぐる最近の国際化の動きについて情報交換をしたうえで、UIA基準のフレームワークにしたがって検討すべき課題を整理し、各課題に対するそれぞれの団体の考えかたのヒヤリングを行い、一覧表に整理しました。この作業を2000年中に終え、2001年3月第2回の調査会本委員会に報告した後、いよいよ国際化対応可能な資格制度の提案を幹事会としてまとめることとなりました。なお、この回の本委員会ではAPECアーキテクトの動きが報告されるとともに、これへの対応もこの委員会の課題とすることが合意されています。
こうして2001年8月の第8回幹事会で、JIAと日本建築士会連合会およびBCSから新しい資格制度に対する提案が、担当委員の試案の形で提出されました。士会連合会の提案は1級建築士をベースに一定の実務経験を加味して統括、構造、設備、施工、行政の各専門分野毎の建築士を認定しようとする、いわゆる専攻建築士の考えであり、BCSの案は士会連合会の案を施工の立場から支持するものでした。一方JIAは、「まず国際的に同等性が認められる建築設計資格制度の将来像を設定した上で、APECアーキテクトへの当面の対応は、その将来像にいたる経過措置として考える。」として2段階の制度の提案をしました。ここで当面の経過措置として提案した内容は、1級建築士取得後の実務実績を評価して建築家資格の認定を行うことを基本とするもので、近畿支部の試行している認定制度の「経過措置」に相当するものでありました。そして、これはまた士会連合会の専攻建築士制度の統括建築士とのすり合わせが可能となることを想定した提案でした。9月に行われた第9回幹事会で、JIAはその意図するところと実行可能性について、他団体のより一層の理解を得るために、近畿支部の西部明郎建築資格制度実務委員長に出席してもらい、近畿支部と静岡地域会の試行の実態について詳しく説明しました。

(6)APECアーキテクトへの対応
2000年11月にAPECエンジニアが発足した後をうけて、オーストラリアは2001年初めにAPECアーキテクト創設の提案を行いました。これに対する対応策が5会調査会で検討されることになったのは前述のとおりです。2001年9月17、18日オーストラリアのブリスベーンでAPECアーキテクトの第1回会合(準備会合)が開かれ、日本からは普及センターの小泉重信研究所長を団長に国と日本建築士会連合会、JIAのメンバーが参加する代表団が出席しました。
この会議で、「a.建築教育、b.実務経験、c.登録免許、d.資格登録後の建築家としての専門的な実務の期間、の4項目について共通の手続き等を定め、これに基づいて各国でAPECアーキテクトの資格を認定する」ことにより、域内での建築家の自由な移動を促進するための仕組みを作るという基本的な方針が決定されました。ここで示された4項目の枠組みについて日本としての対応案を用意するため、5会調査会の幹事会では小規模なワーキンググループを設けて原案をまとめることとなり、日事連の鈴木俊夫専務理事を座長にJIA河野進、士会藤本昌也、BCS小黒利昭の4幹事による協議が行われました。結果としてまとまった案は、教育要件について大学院を含む6年間を基本とするものと、学部卒の4年間を基本とするものの2案を用意し、卒業後の実務経験については教育年限の長短に対応してそれぞれ5年および7年としました(ただし5年間は設計および工事監理に関する実務に限定する)。また、1級建築士の資格を有することを条件とし、資格取得後の実務経験を3年以上求めるというものでした。これは実質的にJIA近畿支部の認定建築家の経過措置、および日本建築士会連合会の統括建築士と同様な構造の仕組みであり、のちの2会会長の合意に至る道筋がここで用意されたと言えます。
この案は幹事会と本委員会を経て、若干の変更はなされたものの基本的な考え方は変わることなく、2002年6月13、14日にシドニーで行われた第1回APECアーキテクト運営委員会に出席した日本代表団に託されました。シドニーの会議ではa)建築教育プログラムの備えるべき共通要素、b)教育プログラム認定の手続きの原則、c)資格登録前の実務訓練、d)建築家資格登録、の各項目について論議がなされ、a、b、cの3項目について結論が出されました。2002年12月12、13日にクアラルンプールで開かれた第2回運営委員会で、この3項目について次のとおり確認されています。

1) 「教育プログラム」は、デザイン等を核として科目が構成され、権威ある機関による認証等を受けていること(教育年限については決めていない)とする。
2) 「登録/免許付与前の実務訓練」は「合計2年間の実務経験と同等な一定期間以上」とする。
3) 「建築家としての登録/免許」は、それぞれの出身国での登録/免許を有することとする。
  そして、2002年12月12、13日にクアラルンプールで開かれた第2回運営委員会では残るひとつの項目「登録/免許取得後の専門的実務経験」について
1) 登録/免許後7年以上の経験を有すること。
2) 専門的実務には事前調査・準備、基本設計、実施設計、設計管理の各項目がすべて含まれるべきこと。
3) 7年のうち、少なくとも3年間は、中程度に複雑な建築物の設計・監理を単独で行うか、他の建築家と共同で行う複雑な建築物の設計・監理の重要な部分を担うこと。
が決められました。
次回の運営委員会は本年9月を予定していますが、参加各国はそれまでに可能であれば、国内でAPECアーキテクトの認定等を実施するモニタリング委員会を設置することが求められています。予定どおり進めば、2004年中にはいくつかの国でAPECアーキテクトの認定が始まるものと思われます。

(7)資格制度実現のためにJIAがやってきたこと
JIAは1995年に士会連合会、日事連、BCSに呼びかけて「資格制度に関する4会協議会」を作りました。そして、翌96年の総会で事業計画の基本方針の筆頭に「関係諸団体と協力して、建築家資格制度の具体的実現を図る」ことを決めて以来、一貫して建築界全体の合意の上で資格制度を実現するための努力を続けてきました。しかし、それと同時に自ら提案した資格制度が実際にわが国で実行可能であり、かつ、有効であることを実証するため、1997年の「素案」発表以来各種の試行を行ってきました。
まず、1999年夏には近畿支部が「素案」のシステムに則って、登録建築家の制度を発足させ、翌年には静岡地域会がこれに続きました。この2つの試行は「素案」の実行可能性を明確に検証するとともに、JIAの姿勢を建築界に示すうえで極めて大きな効果がありました。しかしながら、その後東北支部をはじめ同様な制度を発足させたいとする各支部の意向については、全国的な制度の展開はあくまでも建築界全体の合意の上で行うべきであるとの方針に基づき、各支部に忍耐を求め、これを抑制してきました。
一方、本部としても資格制度の4つの段階のうち可能な部分については実行に移すこととし、1999年それまでの資格制度推進委員会に代えて実務訓練実行委員会(村田麟太郎委員長)と継続教育実行委員会(大宇根弘司委員長)を設け、実務訓練とCPDの実施に向けた検討に取りかかりました。
実務訓練については既に出来ていた訓練項目に基づき、実施のためのマニュアルを整備したうえで、2001年から2年間会員事務所の若い職員12名の参加をえて、システムの有効性を確認するモニタリングを行いました。またCPDについては実施のための規則、細則の案をまとめ、2002年度から会員の義務としてこれを行うことを目標に、2年間かけて試行することとし、2000年度の通常総会でその旨を議決しました。
JIAはこうして自ら実施できることを逐次実行し移すとともに、5会調査会等を通じて資格制度の実現を関係団体等に働きかけてきました。その結果、先にも述べたとおり、APECアーキテクトへの対応等をきっかけに士会連合会との間に共通認識の基盤が生まれてきました。
そこで、2002年度の総会で事業計画に「建築界にようやく共通の問題意識が醸成されつつある状況を踏まえ、関係団体に呼びかけつつ、全国一体の組織としてのJIAの方針に基づき、地域を主体にリーダーシップをもって建築家資格制度の実現を全国的に推進する。」ことを謳いました。そして新しい年度が始まるとともに、JIAと士会連合会の間で精力的に意見調整が進められ、ついに2002年11月1日に両会の間で「新たな建築資格制度創設に向けての2団体基本合意書」が交わされることになりました。
「現代社会の真のニーズに応えるべく、建築士法制度や建築教育制度といった基本制度の抜本的改革も視野に入れた、新たな建築資格制度を再構築する」との長期的展望にたって、中短期の対応として、「士会連合会の提唱する専攻建築士制度とJIAの試行する建築家資格制度を整合させる方向で、具体的な制度設計を行う」との合意は、まさに画期的なものであり、資格制度確立の運動もこれで新しい段階に入ったといえるでしょう。

閉じる
公益社団法人 日本建築家協会  The Japan Institute of Architects (JIA)
Copyright (C)The Japan Institute of Architects. All rights reserved.