2000年度JIA新人賞講評


講評:阿部 勤
  毎年新人賞というタイトルが問題になっているが、選考委員の間で話し合い、特に新人という文字にこだわらず、先ずは各委員が各自の視点で選ぶ事とした。私の場合特に規準やチェックポイントを設けず、チョットでも気になる作品は総て拾い出すという選考方法をとった。
 この「気になる」という事は、私の心の琴線に触れる事であり、私の感性が試され、それを拾い上げ考察する事は自分自身を発見する事でもあるのだが。
 こうして選んだ約10作品ばかりを、下記の様な私の建築はこうありたいという考えを軸に絞り込んだ。
 建築はそれに関わる人の心に何かを語りかけるものでありたい。それは建築家の建築を作る姿勢とか思い入れが大きく関わっていると思われるのであるが。
 建築は50年〜100年とその価値を失わずに存続し、社会環境、自然環境との良い関係を持続するものでありたい。

 「NT」は審査員を引き受ける前から雑誌を見て興味を持った作品であった。コンクリートで囲われた単純な箱の中に、パーティション感覚のスチール床を、トップライトの両サイドに架けられたアーチ状の梁から吊った構造や洗練されたディテールに依り見事に透過性のある一つの空間を作りだしている。しかし建築家のアトリエとしては素晴らしいが住宅としては、等と浅い理解しかしてなかったが、今回説明文等を読ませていただき、家族とか生活の問題を深く考察した上での作品である事を知り評価を高めた。それでも建築家の独断で実情は異なるのではと疑問を残しつつ見学に行き、御家族の口から「一緒にいられる少ない時間を大切にしたい」とか「自分の時間を作る為に家事を合理化したい」といった話をうかがい、この空間はクライアントの明解なライフスタイルと建築家との関わりにより生まれた、これからの住まいのあり方を示唆する一つの解になり得る作品であると評価した。

 「光の森」 雑誌をめくっていて、インテリア的な住宅の多い中、ホット安らぎを感じる印象的な作品であった。私自身タイでの生活でプリミティーブな屋外生活空間の快適さに魅せられ、私の家も外とのルーズな関係で作られているのだが、椎名さんも自身の体験やいくつかの作品を通しての確信の上で設計しているという確かさの伝わってくる作品である。心配していたポリカーボネートの屋根は、訪ねた日は天気の良い暑い日であったが、外に開放されているにもかかわらず、風通しのせいか涼しく「冷房しているのですか」と質問した程であった。しかしその耐久性やメンテナンスに関しては、ディテールがしっかり考えられているようではあるがやはり心配である。庭の植栽に関しては、個人的な好みであるがより自然な方が、と思った。

 「MA」 青い空と自然の中の白い箱の積み重ねは美しく洗練され計算されたシーンが展開されている。ディテールもしっかりとし、完成度の高い作品であった。作品を見せていただき有馬さんのこだわり、作品に対する思い入れの深さに感心した。クライアントの活動の場としてもフィットしている様であった。外に対して閉じている空間が気になったが、ギャラリーという性質上有り得るかなと納得した。しかし前述した時間に耐え得るかどうかが最後迄気になった。私の取り越し苦労であった事を確認する為に是非何年か後に訪れたい。

 「デイ・ホーム玉川田園調布」 見せていただき「大きな家」というコンセプトを実感した。明るく開かれておりその中にダイニング、リビング、寛げるコーナー、庭との繋がり、気持ち良い空間であった。又住民参加という設計のプロセスも興味深かった。住民会議に参加する人の意見や運営するボランティアの人達の意見だけでなく、会議に出てこない痴呆性老人を抱えている方の家を訪ね話をうかがう等真摯な姿勢に感銘した。西田さんの設計者の役割に関しての千葉学さんの対談(「建築のつくり方を巡って」新建築75号)に共感した。面積的な制約があったかと思うが、お花畑からはじまった話としてもっと街に開かれその風景となるような方法がなかったか、又、保育園を連想したのだが、私が入るとしたらもっと大人の雰囲気が欲しいと感じた。(運営の問題かもしれないが。)

 どうしても2作品に絞りたいという協会の意向で絞り込むのに苦労したが、種々な流れを拾う意味で3〜4作選べればと残念であった。


講評:大野 秀敏
  力作を4点見た後に、2点に絞り込むのは大変な作業であった。現地審査をした4点はいずれも新人の「危なげなさ」から無縁で、充実した佳品であった。その背後には、4氏とも十分な実務経験を積んでいることが第一にあるのだが、同時にクライアントと良好な関係を築いていることもあるのではないか。いずれのクライアントも建築の性格付けに深く関与していることが見て取れ、その結果共通してある種の余裕とおおらかさが醸し出されているように感じた。これも4人の建築家の成熟の為せる所であろう。

 たとえば、渡辺真理・木下庸子氏のNT邸では極めて先鋭な生活像が提案されているのだが、それは設計者が観念的な生活像を押しつけたものでは決してなく、むしろ超多忙な生活をおくるクライアント夫婦の明確な生活観(個の尊重、共同生活の意義の最大化、徹底的な合理主義など)が先導していたようである。クライアントに理想の住まいはと問えば、「コンビニの隣」とすかさず答え、この建物の評価はと尋ねれば、「着ごこちが良い」と最少のことばで表現する。この夫婦は、確実にハードモダンとでも呼んだらよさそうな新しい時代の家族像を体現している。建築家は、この生活像を無駄なく的確に建築化し、この建築はクライアントの生活観に確信を与えたに違いない。

 一方、椎名英三氏の光の森はオールドモダンと呼べそうである。この住宅をめぐるキーワード(田園、ツーリズム、ホームパーティーなど)は、普通の日本人の生活からすれば十分先端的であるが、既視感のある、あこがれの風景でもある。この住宅はそのような生活を十全に表現している。この成功の建築的な鍵は半透明な屋根=天井の成功につきる。この種の透明屋根の下の内部空間で快適な思いをしたことがないので、半信半疑で現地を訪れたのだが、果たして、リビングに入ると涼しいのである。天井からの不快な輻射はなく、風が通り抜けすこぶる快適であった。そのほかの場所、例えば中庭も含め実に気持ちがいい。ただ、検証済みのデザイン言語を使っているだけに、中庭の北側の面の扱いと中庭の植栽のデザインが弛緩していることが不満であった。

 この二つの異なった方向性をもつ住宅の共通点は、閉鎖的でもの言わぬ表情の外観である。ハードモダニストの夫婦も、オールドモダニストの夫婦も、才能に恵まれた建築家も、家庭が社会とどのような関係をもつべきかについては、ネガティブにしか語っていない。その意味で、この二つの住宅は、20世紀の日本の家族像の現時点での到達点を実体化し、同時に21世紀の課題を明示したとも言える。

 有馬裕之氏のMAは、明快な構成主義的コンポジションと的確なディテールが相まってミニマルで緊張感のみなぎる建築構成を実現している。この作品は演劇性の強い作品であり、日本庭園の飛び石のように、筋肉感覚を伴った空間体験が巧妙に仕組まれている。ギャラリーの床に仕掛けられたきわめて緩い勾配のスロープ(床のズレ)に気づいたときには、建築家の研ぎすまされた空間センスに驚嘆した。リートフェルトのシュレーダー邸とも共通するからくり的ディテールの数々も、単なる工夫に終わることなく、空間の濃度を高めるうえで大きな貢献をしている。この建物の表現は最近の潮流(プライマリーな幾何学、視覚性の強調と接触性の拒否、皮膜性など)と一見共通性ももっているが、実は演劇性と身体性で違っている。これが強い個性となって魅力的である。今後の氏の作家としての発展が楽しみである。

 西田勝彦氏のデイ・ホーム玉川田園調布は、住民を巻き込んで施設作りを仕掛けてゆくというタフな過程を踏んだうえで、なおこのように充実した建築作品を実現している点が賞賛に値する。ここには、まさに家庭の延長としてのデイケアー施設が建築として実現しており、どの場所も居心地の良さは格別である。この種の施設の好事例として記憶されるべきであろう。しかしながら、外壁の金属板と木製ルーバーの関係、内部の吹き抜け回りの造形では疑問を感じた。


講評:片山 和俊
 「難しい」という言葉が以前の講評に目についたが、実際に担当してみると確かにその通りであった。いずれも優れた作品である。その中から同じ範囲の優劣ならまだしも、異なった傾向をもつ作品を比較し選ぶというのは、至難の技であった。従って、ここに書くのは、講評というよりも、現地審査を経て悩んだ内容といった方が適切ではないかと思われる。

 「NT」は、一言でいうなら現代の家族像と生活形態を的確に捉えた作品である。最近学生が設計する住宅に、個室ばかりで居間がないプランを目にすることがある。確かに家族という「くくり」は怪しくなっているようだ。この家では家族を固定して考えるよりも、ある期間空間を共にする仲間のように捉えること、その上でお互いに快適に過ごすにはどうするかという判断から解かれている。その明快な割り切りから生まれた空間は、結果としてドーミトリーに近いプラン構成をもつが、その中に家族のそれぞれが生き生きとして働きつつ(勉強しつつ)団欒する生活が感じられ、新鮮な刺激を受けた。白状すれば、こういう生活形態も悪くないなと洗脳されたほどであった。

 「光の森」は、前橋市郊外に広がる梨畑にある。周囲の環境に埋没するように、低く塀を回して設えらえたコートハウスである。冬の赤城おろしを遮るように囲まれた内側に、南北2棟の住棟と性格が異なる2つの庭、その間を繋ぐ回廊から生まれた自律的な空間が展開する。特に個室と納戸以外の全ての屋根がポリカを積層し、透光断熱材に葦纂を敷込むという軽く、明るく、野趣に富んだ工夫によって、光に溢れた空間が生み出されている。また外部にした回廊によって高められた、中庭と室内の一体感もいい。中庭の植栽には多少疑問が残るが、とは言え環境に対する構えと内側の細部にいたるまでの構成は、住宅作家らしく的確で安心感があった。

 一方「デイ・ホーム玉川田園調布」は、地域住民との話し合いを経てできあがった労作であり、丁寧な作り方に共感を覚えた。老人や弱者が「居心地の良さによって変わるようだ」という空間の力を再確認できたのも収穫でもあった。構造を外側に集め、内部を軽くして吹抜けから光を取り入れる構成、それにも拘わらず視覚的に外部に開く工夫や、南側の庭に連続させていく空間にも好感が持てた。難を言えば、雨に濡れない配慮は良いとしても、一階のデイサービス車が着くところだろうか。もう少し快適に、町との関係が密接であればと惜しまれた。

 「MA」は、福岡郊外の日本海を遠く見晴らせる、小高い山腹に設けられたギャラリー兼アトリエである。敷地選定を含めて綿密に計画されており、最初に登って屋根上のデッキに導かれてから、再び階段を下りてギャラリーに達する。ギャラリーは一面と欄間に半透明のポリカの壁を用い、外部を切りながら内側に映し出すという構成である。この空間の構成は、周到なプログラムにそって展開する演劇のように構成されている。そして全体から小さなコンセントに至るまで、設計者のこだわりと目配りが行き届いている。ギャラリーという非日常的な空間として、その意図の強さと明快さに疑問をはさむ余地はないが、美しい自然に対する構えがもう少し内側から感じられても、コンセプトの妨げにならなかったのではないかと思われた。それが視覚的な目配りに較べて、風通しや空気の流れなどとのバランス、外部の素材とメンテナンスなどに顕れているように思われた。しかし、大きな可能性を感じたのは確かである。これに懲りずにぜひ再挑戦してもらいたい。