審査員講評


大森晃彦
 
 ■山鹿市立山鹿小学校
 熊本から小倉に至る豊前街道の宿場町だった山鹿市には、かつて「八千代座」を見学するために訪れたことがある。八千代座は明治43年に竣工した芝居小屋で、国の重要文化財に指定されている建物だ。その折、写真で見た山鹿燈籠まつりの幻想的な情景が印象に残っていた。浴衣姿の女性たちが、金銀を施した和紙の灯籠を頭に載せ、夕闇の中に群舞しているのだ。今回現地を訪れ、山鹿小学校のグラウンドが、建て替えられる前から山鹿燈籠まつりのメインイベント「千人灯籠踊り」の会場であることを知った。市街地からのアプローチとなる西側の街路の正面が学校の正門で、短いアプローチの坂を上がった両側に、明治期のものと思われる古めかしい門柱が建っている。門扉はない。そこから街路の延長となるプロムナードが、敷地を突き抜けて東側にあるグラウンドまで延びている。プロムナードの北側には、音楽室ほかの特別教室、体育館、図書室が、屋根は変形の切り妻、腰折、片腰折とさまざまながら、それぞれ棟をプロムナードに向けて妻壁を並べる。特別教室と体育館の間には、少し奥まって既存の給食センター棟が建っているが、この唯一棟の向きが90度異なる越屋根と半切り妻を組み合わせた屋根の建物を、違和感なく新しい家並みが受け入れているところが印象的だ。プロムナード南側は、2層の中高学年の教室棟で、階段状の多目的室を除いて同じ形の切り妻屋根が並ぶ。正門から見て右手前に見える西側の無窓のコンクリートの壁面がやや威圧的なのだが(ここだけは気になった)、プロムナードに面する北面は、壁面線を少しずつずらしながら配置されているため、分節された見え隠れする表情を見せる。中高学年棟の南側は中庭を介して平屋の低学年棟とその庭があり、児童たちの生活空間とプロムナードやグラウンドとのつながりはいくつかの接点に限定されている。全体の配置が既存の給食センターの建物のグリッドに合わせてあったので、説明を受けるまではプロムナードが建て替え前から存在していたものと思い込んでいた。しかし考えてみれば、既存の小学校で門を入った正面に何もないというのは、まずあり得ない。改めてGoogleMapsのストリートビューにあった建て替え前、2012年2月の西側正門正
 ■高志の国文学館
 富山県ゆかりの作家の文学資料を収集、展示する文学館である。竣工時に一度拝見していたので、馴染みがある作品だった。敷地西側にある既存建物の旧・知事公邸を「屋敷」に見立て、東側に新設する展示室群を屋敷に対する「蔵」の群れと位置づける空間構成である。屋敷にはレストランや研修室、管理部門を充て、さまざまな大きさのボリュームが並ぶ蔵は展示室をメインに、親子スペース、学芸員室、収蔵庫などの諸室となっている。RC造の蔵の外部を覆うアルミ鋳物パネルは躯体に直接止めつけてオープンジョイントとし、懐に配管やガラリを隠蔽している。蔵同士の間の「土間」は、アプローチ部分などを除いて内部化されているが、床の仕上げと、蔵の外装は内部に連続している。土間の天井は照明や空調を組み込んだ均質に連続するスギのルーバー部分と、ハイサイドライトのある吹き抜けで構成され、吹き抜け部には蔵の外装が立ち上がっている。それによって空間構成のコンセプトがきわめてクリアに空間化されている。屋敷の南側には、この土地では珍しいケヤキを主体とした雑木の回遊庭園がある。庭園の西側と南側の縁の部分には風景が透けない樹種が密植されているので、庭の奥に森が拡がっているような秘密の庭園の感がある。深い軒の下のフルハイトのペアガラスを通してこの庭園を東から眺める土間空間のラウンジスペースは、おそらくこの建築における最も魅力的な空間に違いない。庭園の四季折々の風景を楽しみつつ、自由に本を読むことができるパブリックスペースである。現地審査に訪れたときも、ここには人の姿が絶えなかった。建物を特徴付けるアルミ鋳物パネルは、富山県産の素材を使うというテーマから選ばれたものであり、表面には『越中万葉』にちなんだ植物の葉の形が鋳込まれている。ひとつだけ気になったのは、南側からのアプローチだった。桜並木の素晴らしい松川沿いの道路から、背後の背の高い建物を背景にした外観を見ながら「土間」の延長を歩いて行くよりも、もっとさりげなく、あの素晴らし空間に滑り込むことができたらと、勝手な思いが残った。
 ■Omotesando Keyaki Bldg.
 伊東豊雄さんの「TOD’S表参道ビル」に背後をL字型に囲まれた角地に建つ、下部と上部が拡がったトーチ状の円形平面の商業テナントビルである。いつでも見られると思っていたのに、結局、現地審査が初めての訪問となった。応募資料にあった遠望した写真の印象は繊細な建築だった。だが、訪れた印象はそれとはまるで異なった力強さがあった。打ち放しコンクリートがかつて持っていた可塑性の表現を思い出させる、というと、古くさいものに聞こえてしまうが、そうではない。作品名称にKeyakiとあるが、地面から立ち上がる樹木とは接地のあり方はまったく異なっている。もちろんその形状は、3Dモデラーでさまざまな条件を設定していく操作で導かれたものであろうが、伸び上がる構造体を見上げながら足元を歩く時に刻々と変化する様相から受けるリアルな感覚に好感をもった。
 ■狭山の森礼拝堂
 狭山の野球場の近く、丘の上にある霊園の礼拝堂である。オープンハウスで拝見していたのだが、霊園には同じ設計者による管理休憩棟が建っていた。今回の応募資料を拝見して、どうして2棟を一体のものとして応募されなかったのだろうと思ってしまった。設計者はグッドデザイン賞も受賞しているのだが、その授賞対象名は「休憩棟および礼拝堂」とある。JIA優秀建築選の応募規定によるものなのか、あるいは設計者が来年は管理休憩棟を応募しようと考えたのかは定かではないが、私には2棟は切り離せないものに思えた。管理休憩棟は「職員の事務機能と霊園のお客様のための休憩施設」で、礼拝堂は「宗教を問わず、霊園に眠る故人へ祈りを捧げるため、森に祭壇を向けた祈りのための空間」ということだが、2棟は整然とした乾いた区画に墓標が建つ風景に対して深度を与えるものとして、きわめて重要な役割を果たしている。墓地の中ほどから見ると、見上げた森の麓に建つ礼拝堂と、狭山湖の堤と秩父山系を背景にした見下ろしたところにある管理休憩棟は、それぞれ風景の中の特異点であり、そこにしかない風景をつくり出すことに成功している。
 ■資生堂銀座ビル Shiseido Ginza Building
 銀座通りの3本西側、その名も「花椿通り」に建つ、芦原義信さんの「資生堂本社ビル」の建て替えである。ひと言で言えば、高品位なオフィスビルを「未来唐草」と名付けられた図形のキャストアルミのシェードで包み込んだ建築。現地審査は夕刻であったので、後日、晴天の日、少し遠回りをして自転車で訪れてみた。青空を背景に未来唐草アルミシェードは、ピンと張った白いファブリックのような平滑で深みのある様相を呈していた。アートワークのようなスケールレスな魅力を持つ未来唐草アルミシェードのディテールが、この建物を建築にしている。
   
深尾精一
 
 今回から、日本建築大賞などを選ぶ審査に加えていただいた。審査員が五名体制となり、会員の建築家三名とジャーナリスト大森さん、そして私による審査である。審査の仕組みが変わりつつある中で、昨年までの反省にたち、昨年から継続して審査に当たっておられる審査員二名とタスクフォースの方々の意見を元に、現地審査対象として幾つの作品を選ぶのか、現地審査の結果として選出する公開審査の対象を何作品とするのか、などが予め議論された。特に、公開審査対象作品と受賞作品との対応関係をどのようにするのかが議論の中心となり、公開審査の対象は全て賞の対象とするとされた。これは、公開審査にお呼びした建築家の作品のかなりの数に賞を差し上げると、差し上げない方は、「呼んでおいて落とした」ということになり、後味が悪いということが理由の一つだったと記憶している。その結果、現地審査対象として6作品が選ばれ、そのうちの5作品が公開審査の対象となり、5品から日本建築大賞が選ばれ、他の4作品が優秀建築賞となった。ただ、このプロセスは、結果として公開審査の盛り上がりを、少し損ねたかもしれない。もっとも、今回の日本建築大賞の選定は、審査員の総意ですんなりと決まってしまったので、そのことが今一つ刺激的な公開審査とならなかった理由であるかもしれない。来年以降は、また刺激的な公開審査が期待できるであろう。6つの現地審査対象作品から5つの公開審査対象作品を選ぶプロセスは、5人の審査員が一堂に会した場で、星取表なども用いて厳正に進められたが、この過程は公開されないのであろう。そこをどうするかは、この賞の審査の、今後の課題であるかもしれない。
 日本建築大賞に選ばれた「山鹿市立山鹿小学校」は、写真では以前から見せていただいていたが、現地でその空間に浸りながら設計者の説明を伺うと、語りつくせない想いが地域の核としての小学校に結実していることが理解できた。山鹿灯篭踊りという伝統芸能との関連で決められた敷地への配置計画から始まり、地域材の製材木材を意欲的に用いた構造架構が活き活きとした内部空間を生み出していることなど、優れた建築作品に求められる様々な要素が、バランスよく込められている。その架構形式も、空間に合わせ何種類も使い分けていて、それが空間に対して効果的であることは、効率を第一としない建築設計という行為の大切さを物語っている。そして何よりも、主人公である生徒達と先生方が、幸せそうに見えることが、優れた学校建築である証と言えよう。大きく張り出した軒の部分の木材の使い方には、多少心配なところも無くはないが、これだけ地域に愛されている学校であれば、しっかりと手を入れていただけるであろうし、それが木造というものの一つの特徴なのではないだろうか。このような建築は、写真による審査では、その良さのごく一部しか掴むことはできない。一次審査では、二百ほどの応募作品の中から、写真を主体とするプレゼンテーションをもとに、優秀建築選を選定をしなくてはならないのであるが、良さを見落とした作品もあったのではないかと心配にならざるを得ないところである。
 優秀建築賞に選ばれた「狭山の森礼拝堂」は、集成材を豊富に用い、構造体そのものが崇高な建築を造りあげることを狙った、技術的にも意欲的な作品である。キャストアルミを立体的な形状に鋳るのではなく、その材料特性を活かすことを狙って平板として成型していることなど、作者の素材への想いが伝わってくる建築である。限られた敷地に樹木との対応するように定められた平面から、あるルールで構築された構造形式が、新鮮な空間を造り上げていることは高く評価してよいであろう。一方で、そのことが、本当にそのようにして空間を構成すべきなのだろうか、という懸念を感じさせたことも述べておきたい。
 「高志の国文学館」は、仕上げの表情を凝ったキャストアルミをふんだんに使った、美しい展示施設である。深い庇に抱かれたアプローチ空間など、しっかりとしたプログラムで、作者が創りたかったのだなと思わせる空間が随所に造られている。既存の旧知事公館の庭を意識した配置など、豊かな外部空間も活かしている。ただ、プレゼンテーションや雑誌などで紹介されている写真が極めて美しいのに対し、現地審査の際には、キャストアルミの魅力的な壁に、いくつものポスターや図版などが無造作に掛けられており、残念であった。
 「Omotesando Keyaki bldg.」は、意欲的な建築が並ぶ日本でも有数の地区に建てられた商業建築である。注目を集めているL字型の建築に囲われた角地にどのような意匠の建築を建てるべきか、設計者も悩んだに違いない。様々な選択肢が考えられる中で、特徴的な形状の鉄筋コンクリート躯体で構成された筒状の建築は、「これはこの敷地における一つの優れた解であろう」と審査員を納得させるものであった。雑居ビルと同じようなプログラムを建築作品に昇華させた力量は、高く評価されるべきであろう。
 「資生堂銀座ビル」は、JIAとして、この賞への応募に門戸を開いた、建設会社の設計部による作品である。この建築も、キャストアルミを纏っているが、その形状は最も複雑であり、このビルが入る企業のイメージにふさわしいものとなっている。そのことが最も高く評価されるべきであろう。内部空間も、企業のイメージから導かれたという雰囲気を醸し出しており、見事である。ただ、あまりに完成されており、このビルが今後どのように使い込まれていくのだろうか、という期待感を持てなかったのは残念であった。
 建築の賞の審査は、適切な選出をしなくてはならないという緊張感とともに、優れた目をお持ちの他の審査員と意見交換をする過程を楽しめる、大変勉強になる仕事である。審査員に選んでいただいたことに感謝したい。JIA建築賞は、審査のプロセスを支えてくださるタスクフォースを務める会員の方々も、優れた建築家揃いであり、JIAならではのコンクールと言えよう。もっとも、タスクフォースの方々も、ご自分の意見を言いたくて、歯痒い思いをされているのではないかと感じた。建築学会などと異なり、会員のほとんどが建築家なのであるから、会員がインターネットなどを通じて、直接選ぶ賞などがあってもよいのではないだろうか。
   
槇 文彦
 
 昨今、日本の建築界においては、様々な賞が毎年設けられている。最も古い日本建築学会賞を始めとして、この日本建築家協会賞、BCS賞その他数しれない賞が存在する。建築家にとってはどの賞であれ、それは勲章であり、勲章を通して、彼等は建築界において優れた建築作品の作者として次第に認知されていくことは喜ばしいことなのだ。更に日本だけでなく国際的にも様々な賞が存在し、最近は受賞者に日本人がいれば、それは日本人建築家にとっての勲章であるだけでなく。日本の建築界に対する評価も伴う。私もこれまで多くの賞の審査に参加してきたが、何時も考えることは、一体それぞれの賞が写し出す建築と現実とはどのような関係があるかという事である。例えばその年の大学の卒業生の卒業設計の最優秀賞を選ぶ審査では、現在大学生達は卒業設計を通して建築をどのように考えているか、また何に関心があるかという事に私個人の興味がある。また別の例を挙げると、2011年にArchitecture Reviewが毎年募集し優秀な案を顕彰する‘Emerging Architecture’というその年に選ばれた建築群の分布図がある。現在ヨーロッパで最も建築家の生活が苦しいスペインで、建築家達が善戦し、日本人以外ではスリランカ、エストニア、タイ等どちらかといえば辺境のプロジェクトが選ばれている。対象は若い建築家の作品であるから当然小さなものが多い。その中で特に私の関心をひいたのは子供の為の屋内外のプロジェクトが多かったことである。子供の振る舞いは地域、文化を超えて常に普遍的だ。その事は根元的な空間と人間の行動に密接に繋がっている。そしてこれらの優秀作品を選んだ審査員たちの「共感」がそこに集まっていたのではないかという推論である。建築作品の審査は当然審査員の意見によって左右する。スポーツの競技や将棋棋戦のように明白な優劣、勝敗は定まらない。私は既に述べてきたように、誰が誰よりも優れていたとか劣っていたかについて述べることにはあまり興味がない。今回選ばれた5点は応募作品200点から厳選されたのであるからその評価で充分ではないか。従って、個々の作品の評価は他の審査員の方々に委ね、私は少し現在私自身が関心をもっている与えられた敷地、プログラムに対しそれぞれの作品の姿と、その姿が内包する空間体のあり方がどのようにあらわれているかという課題にのみ限定して意見を述べてみたいと思う。
 通常我々の設計は与えられた敷地に対し、いかに要求されたプログラムを満足させながらそこにどの様な姿をもった建築をつくることができるかが作業の軌跡を決定する場合が多い。姿とはある意味付与された形態である。姿と形態の定義についてはAlan ColquhounがOPOSITIONS*1で極めて興味ある分析を行っているが、今それを詳述するのが目的ではないので、上述の定義の姿をそのまま使う事にする。一方、与えられたプログラムから建築家は好ましい空間体—内部空間要素の三次元的組織-を初期に決定する。これを私は曖昧な全体(a Nebulous Whole)と名付けている。この空間体についてはJapan Architect*2の私の論文に詳述している。この様に設計初期の曖昧な空間体と、曖昧な姿のイメージのせめぎ合い。その場合望ましくは止揚することによってつくり出される建築像が理想的であるといってよい。例えば丹下健三の代々木国立競技場のように。今回次の2作品がその独特な姿のあり方によって私の関心をひいた。一つは表参道の‘KEYAKI bldg.’である。その敷地条件は極めて特殊であった。表参道に面するこの建物の西側には伊東豊雄のTOD’sビルがL字型に隣接し、同時に東側は小道に開いている角地にある。彼はほぼ円形に近い平面を採用することによって対角線の方向性をその角地であるが故に与えていると述べているが、これは正しい選択であったと思う。更に斜めの図像の強いTOD’sビルに対し‘KEYAKI’では垂直性を、しかもその中央を僅かに内側に湾曲させて全体を包み込むことによって、極めてアイコニックな姿を実現している。特に私が評価するのは共に強い、しかし異なった姿をもった二つの建築が一つの像をつくり出している事である。それはあたかもダンスをしている二人の人間の様に。当然男性のTOD’sが両脇から女性の‘KEYAKI’を抱きこんでいる。名付けて‘Shall Weダンス?’といってもよいのはないか。
 同じく強いアイコニックな姿をもった‘狭山の森礼拝堂’は全く異なった敷地の文脈から生まれている。それは森の中に挿入された姿をもった建築である。三角形の難しい敷地に礼拝堂がたっている。ここでは‘KEYAKI’よりも遥かに包み込まれた空間体のあり方について、作者の意図が強く演出されている。例えばその空間体には強い垂直性と周囲への放射線状の水平透視性が要請され、その特異な視線の統合を実現する為の平面体が考案された。外への開口は従って半円筒状の基盤をもった三角錐状版の集合によって極めて印象深い建築を創造している。私は空間体における視線の構築はこの様に極めて重要な設計手法の一つであると考えている。何故ならば人間は視ることによって次に感じ、そして振る舞うからである。次に取上げる‘山鹿市立山鹿小学校’と‘高志の国文学館’は全く異なった機能をもったプロジェクトであるが、共に広いオープンスペースをもち、且つ低層からなる施設である点に共通性がある。特に‘山鹿小学校’の場合、先に二つのプロジェクトのような明確な姿を当初から設定することは寧ろ難しい。その空間体も、単体の場合の様な視線の構築以前に、いかに外部空間も含めた新しい領域感を獲得できるかが重要な平面計画上課題ではなかったのではないだろうか。幸いこの計画では運動会の出来るような大きなオープンスペースは計画対象地域外に確保されていたために、外部空間も含めた豊かな領域をつくり出す事ができた。ここでも建築が誘いだす様々な視線が新しい領域感を形成している。例えば南端の教室から手前の多目的スペースを介して、学びの原っぱ、更には向い合う棟の多目的スペースという配置によって透明な重層する空間群は自然に奥性を演出し、各教室群の切妻屋根を介して、丁度村落のような集合体が実現している。一方‘高志の国文学館’においては、‘山鹿小学校’ほど多彩な要素をもたないが、万葉の庭を囲んで、対置された屋敷に対する蔵と称する展示空間を中心とする棟は、その前面の通り庭、そして深い庇空間、室内の縁側とも称すべき土間空間によって構成され、ここでも丁度‘山鹿小学校’で指摘した視覚的に重層する空間が構成されているのは興味深い。姿としての蔵はそこから生まれている。唯、私見では、既存の万葉の庭はそれほどこの全体計画を支配するだけの強さをもっていない。万葉の庭の西南隅に同じ設計者によって力強い東屋を建てることができれば、屋根、蔵、東屋がつくり出す庭の視覚的領域感はより明瞭になり、優れた集合体になるのではないだろうか。それほどの経費のかかる提案ではないので、是非将来実現して貰いたいと思う。
 このように姿と空間体が接する境界領域を形成する立面においてはそれぞれの建築家の手による様々な工夫が凝らされている。‘資生堂銀座ビル’、表参道の‘KEYAKI bldg.’‘狭山の森礼拝堂’の境界面のデザインには精力的な構成がみられる。‘山鹿小学校’ではその設計エネルギーは屋根面を構成する多彩な構造システムの工夫となってあらわれているといってよい。
 私は‘漂うモダニズム’*3の中で現在建築デザインが何でもありの状況の中で、視線の構成を反映した空間体の設定と、実現した建築の社会性がこれからの建築では重要な評価の基準になると述べている。これら5点の作品はその社会性については時の試練を経て、そこを使うもの、訪れるものによって豊かに育まれていくことが充分に期待されていると思う。
長谷川逸子
 
 2回目のJIA賞の審査でした。昨年の審査員は3人で、たびたび1:2で意見が分かれ、審査の難しさを実感すると同時に、3人がこんなに異なった考えを持って審査しているという事実に、正直驚きました。今年の審査員は5人の建築家で、昨年とは逆に1回目の投票で全員一致で大賞が決まりました。そのこともまた、昨年とは別の意味で賞とは審査員が決めるものなのだと改めて知った思いです。この頃の建築の仕事を見ていると、現在の都市環境や社会制度に立ち向かうプログラム作りが先行し、結果、その先の空間づくりまで至らない提案が多いように感じています。数日前に審査した大学のディプロマでも、全部がプログラム作りのレベルで終わっていたといってもいいような提案が多かったように思います。若い世代の建築家たちの指導によって作られた作品群で、プログラム作りを丁寧に考える姿勢には共感を覚えましたが、空間化するところまで進めない。プログラムと空間が共にある提案を見たいと思いました。
 しかし、もう一方で3DCGを使った強い造形的印象を誇示するオブジェ、有名建築家のブランド商品のようなイメージが、グローバル建築としてメディアには氾濫しています。社会的信頼を築こうとプログラム作りに取り組む提案と、グローバル化の流れの中で加速する商品化された芸術や建築とが、乖離しているように思います。かつても敷地のコンテクストや建築をめぐる諸条件を超えた芸術として建築をつくると住宅論の中で宣言した建築家がいました。こうした建築のあり方は社会的信頼に応えるものではなかったのではないか。突出した経済活動のアイコンとしての芸術や建築と社会的信頼を築こうとプログラム作りに取り組む提案が出会う場は作れるのだろうか。人々が求めるコミュニケーションをはじめ、人間の諸活動が関わる空間を積極的に立ち上げた建築はどのようにあればいいのか。21世紀に入って15年経ったが、新しい世紀にふさわしい建築がつくられているのであろうか。
 大賞になった山鹿小学校は、小学校のあり方を追求するソフトと空間の提案に多数の考えが盛り込まれていて、人々の求めることに答えている仕事として選ばれたと考えます。小学校のカタから離れて、まちとか家のような空間をデザインしようとしている。特に校舎と校舎の間にある中庭を学習空間に取り込んで学びの原っぱ風につくられたオープンスペースは魅力的な空間になっている。正門からの中の道はお盆の夜の山鹿灯千人灯籠祭りの行列が踊り通る道になって、この道の先のグランドに設営される会場に導く。山鹿市には温泉街道があり、有名な八千代座や造り酒屋も残っていて、豊かだった歴史を留めている。この街道を校地に引き込むことで新しい学校と地域の歴史を繋げようとしている。切妻屋根の校舎を妻入りにしているのは、教室に光を入れるためということだが、アーチ構造の切妻屋根が連なることで街道のまちなみのイメージを立ち上げることに成功している。ひとつひとつの切妻屋根の下に開かれている教室はまわりに展示された絵画と習字の上手さを見る楽しみが、教室空間の居心地良さと結びつく感じがしました。コーラスに力を入れている学風を生かした音楽ホールは、音響環境の良い空間で、多目的なパフォーマンスが展開されそうな階段状の舞台も導入されていました。さらに地元の流通材である杉を使って、地元の大工さん達が協力して組み立てたと聞きました。教室は105角の角材を、体育館まで集成材ではなく250角の角材を使っている。大小の材で下弦材の連なりがアーチ状のデザインで全ての棟を統一している。このように地域の仕事と素材が思い切って導入されていることも評価されました。
 OMOTESANDO KEYAKI BLDGは、SANAA、青木淳さんや伊東さん達によるデザインビルのデリケートでフラットなファサードが並ぶ表参道にあって、大胆に巨大な樹木のオブジェのように建っています。表参道と小径が直交する角地にあって、隣接するTOD’S表参道ビルとの差異を際立たせるように不整形の円形のプランを導入し、長葉状列柱のコンクリートの打ち放しが生き生きしたものになって、TOD’Sと対になって表参道の新しいシンボルになっている。しかし、こうしたブランドショップのインテリアは建築家がつくれないそうで、このプランが生かされない空間になっていることが残念でした。
 続いて、資生堂の銀座ビルはアルミのシェードのレースを着たような軽やかなファサードが目を惹きました。このシェードを作るために資生堂の唐草模様を三次元モデルに変形し、耐震性能から生産性までの実験を重ねたそうです。オリジナルシェードをつくったのはさすがに大手事務所の仕事です。このシェードは軽快さと開放感を与えるだけでなく、熱や光の制御によって熱負荷の軽減にも貢献しているという。このシェードとガラスの間にはメンテナンス用のバルコニーが設置されていましたが、内部から近寄るとすでに細いアルミの上にホコリが溜まるのが見えて気になりました。もうひとつ、ファサードの軽やかさに対してインテリアのあり方に私は違和感がありました。化粧品をはじめ女性を対象とする商品を多く扱う企業なのに、黒と白のインテリアは男性的で力強く立派さがあるものなのですが、女性として居心地の良さが感じられませんでした。商業建築のインテリアはOMOTESANDO KEYAKI BLDGと同様にクライアントがつくることが多く、内と外の落差を感じずにはいられないのは残念です。
 狭山の森礼拝堂は三角形に近い敷地を上手く使って配置され、周りの木々の緑に囲まれた礼拝堂でした。建築の技術とディテールに積極的に挑戦し、優れた建築をつくり続けている建築家の作品です。ここでも251本のカラマツの集成材を正確に切り出し、厳密に考えらえた接合部のディテールによって、曲面の合掌造りを実現しています。このカラマツは構造材でありながらインテリアをつくる素材にもなっている。屋根材も三次曲面の流紋つきのアルミ鋳物を乱葺きにして独特の表情を作っている。床の石床も放射状に森の彼方にのびるように敷き込まれている。こうしてつくられた礼拝堂は緑の中に立派に佇んでいる。私はこのカラマツの斜材に囲まれた内部は木々の間をすり抜ける鳥の音、風の音や木々の香る空気に包まれ、自然を感じながら礼拝する素晴らしい空間だろうとイメージして出かけました。しかし、裏切られたように感じたのは、開口部にガラスが入っていて外の豊かな自然の空気を遮断し、終日空調が必要な空間となっていたことで、私が期待していた森の中の礼拝堂の爽やかな空気とは違うものでした。
 高志の国文学博物館は庭園を左に見ながらアプローチして、長いキャンティレバーの庇の先から入ります。中に入ると庭園をみるように配置されたソファーが並ぶオープンライブラリーがある。ライブラリーというよりはロビーというイメージで、大ガラスから入る光と目の前に展開する庭を愛でながらくつろぐ居心地の良い空間を体験出来ました。展示棟は「蔵」と見立てられた閉鎖的な空間で、「蔵」を繋げる室内を「土間」とするコンセプトである。「蔵」の外壁は富山県の主要産業の一つであるアルミ精錬技術を用いて、アルミ鋳物パネルでつくられている。展示室から収蔵庫やその他学芸室までを閉鎖的な「蔵」見立てるというコンセプトに疑問を持ちました。「蔵」のイメージを収蔵品の保管などの機能を優先させてとらえているのだと思いますが、来訪者の立場になるともっと全体の構成が分かりやすく、内部空間がもっと開かれた「蔵」をつくった方が親しみと楽しさが増すように私には思えました。こうした内容の施設を開かれたものにするのは大変ですが、開くことによって共生空間が生まれ、空間に公共性が生まれるのだから、新しい公共空間の提案を見たいと思いました。
西沢立衛
 
 JIA大賞の審査は僕にとっては今回が初めての経験で、様々な優れた建築に接するまたとない機会となり、たいへん有意義な時間だった。最終審査に残った五作品はどれも素晴らしい力作だった。
 工藤和美氏・堀場弘氏(シーラカンスK&H)の山鹿市立山鹿小学校は、今回の審査の中ではもっとも印象に残った作品の一つである。小学校、中学校というものは、全国一律のセット化された教育プログラムなので、どうしてもパッケージ化しやすいというか、地域や街から切り離して考えられたような、独立的存在に見えることが多々ある。しかしこのプロジェクトでは、街との連続性、関係性ということが自然なかたちで実現されている。教育施設というだけでなく、街の一部としての空間づくりに共感した。また教育の場という意味でも、的確なスケールをもった空間計画がなされており、こどもを育てる場に相応しい空間群が作られていると感じた。
 團紀彦氏(團紀彦建築設計事務所)のOmotesando Keyakibldg.は、山鹿小学校と並んで僕としては大賞に値する作品と感じた。氏の最近の勢いと活躍を象徴的に表す建築で、どこか日本離れしたというのだろうか、大陸的なスケール、もしくはアジア的パワーを感じる作品である。架構と造形と素材が有機的に統合されるダイナミズムがあり、プログラム優先・機能優先の箱がひたすら並び積まれる現代都市において、それはあらためて新鮮に感じられた。造形は表参道の中でひときわ目立つ存在だが、ファサードの連続が平板な巨大壁として立ちはだかる表参道南サイドの抑圧感を和らげる効果を持ち、都市空間に対する提案としてもありうると感じた。
 中村拓志氏(NAP建築設計事務所)の狭山の森礼拝堂は、若く野心的な建築家の実力がいかんなく発揮された力作で、この小建築に注がれた膨大なエネルギー量、その情熱に対してまず驚きを感じる。構造から仕上げ、ディテールまで、設計者が妥協した部分はほとんど皆無と言ってもいいのではないだろうか。それほどに力のこもった力作だった。全体として、ある種の重装備と装飾性を感じたが、それもむしろこのプロジェクトにかけられたエネルギー量の大きさの結果であるかもしれない。
 伊藤恭行氏(シーラカンスアンドアソシエイツ)の高志の国文学館は、ボリュームを分解して配置することによって、建築全体のボリューム感を抑えて、周辺環境との調和を作り出した。街の雰囲気を乱さない静けさがあって、場所への配慮がある。すべて平屋に納まる空間計画も、妥当と感じた。
 濱野裕司氏・美島康人氏(竹中工務店)の資生堂銀座ビルは、小さい雑居ビルが立ち並ぶ銀座の界隈で、幅・奥行き・高さともに大きなボリュームの建築だが、形が穏やかで、また外観のスクリーンの繊細な透明感によって、ボリュームの威圧感や鬱陶しさというものがそれほど感じられない。構造計画や構法、空間構成、環境計画という骨格的部分というより内外装の提案が主であるように見えてしまった点がひとつ気になったが、それを差し引いても、その精密さ、洗練された意匠、エンジニアリングの総合力等、さまざまなことが印象深いプロジェクトだ。