審査員講評


三宅理一
 
 本年度のJIA大賞の候補に選ばれた作品は昨年度よりも数を増し、9点に及んだ。その分、内容が広がり、建築タイプとしても大きな開きを見せるに到った。規模となると、小は郊外の戸建て住宅、大は高さ630メートルを誇る東京スカイツリーと、比較にならないほどの違いがある。それらを相互に検討して優劣をつけること自体およそ不可能な話である。むろん、建築の意義と価値を測るにあたって大きさを云々することは、本質的には意味がないのだが、ほんの数分で一周できる建築と、公共導線を回るだけで数時間を擁する建築では、見えるものが異なっており、公平に審査をするのは実に難しい。ましてや、そこから大賞1点を決めることなど、到底不可能である。審査を仰せつかった身としては、その責任の重さを改めて痛感した次第である。審査員は皆そのことを感じていたはずであるが、公開審査の常として、前もってそのような議論をすることはなく、2月2日の公開審査の場で初めて所感を述べて議論をすることになり、焦点を絞り込むことにかなり難儀した。結論が出た現在、以上の点を前提に、審査の過程を振り返り、それぞれの作品の内容に敢えて踏み込み、それらが発した建築なるもののあり方や使命についての問題提起をめぐって考えてみたい。
 審査の対象になった作品は、2011年の東日本大震災前に着工され、工事中に震災を経ながらも、その後完成に到ったものが多い。衆目を集めた東京駅や東京スカイツリーは、投入された金額以上に、都市の中枢的な機能に関わる大規模施設ということで、同時代を代表するビッグ・プロジェクトに数えられる。前者は、帝都の中央駅として国家の要の役割を果たした駅舎を、今日の都市開発のスタンダードに合わせて保存修復を行った事例であり、本来現代建築には不要とされた「歴史観」がそのまま表出するものであった。第二次大戦中に空襲を受け、戦後の復興にあたって大幅な改修を施して用いられていたものをオリジナルの姿に復原しつつ、ホテルなどを付加して、丸の内の新たな名所をつくり上げた。東京駅保存のきっかけとなったパリのオルセー駅と並び立つ事業であることは間違いない。後者は、東京タワーの機能を置き換えるべく、墨田区に我が国最高のタワーを建設し、加えて足元を商業施設として整備し、都市再開発の目玉として位置づけられる事例である。武蔵(ムサシ)=634mという語呂合わせはともなくとして、三角形平面(断面)を基調として立ちあがる塔の風景は東京のスカイラインを一新させ、経済不況に苦しんできた我が国に「力を与える」とまでいわれた巷での評判は別にして、随所に構造的なイノベーションが詰まった建築であるという意味で新時代の技術の地平を切り開く建築であった。この両者の事業者がともに鉄道会社であったことは興味深い。
 アジア諸国の建築ラッシュを見るにつけ、我が国の都市再開発がマンネリ化していることは今さらながら痛感させられる。大都市内の大規模開発用地は底をつき、秋葉原や品川のような鉄道用地が限られたチャンスを生み出してきた。スカイツリーが東武鉄道の限られた用地上に計画され、それゆえにあの三角形平面(断面)を基調とした形態に落ち着いたという話自体が、パッチワークに陥った都市開発の現況から、それを逆手にとって極限設計を進めざるをえない技術陣の、いかにも日本的な宿命を示唆しているようにも思われる。
 今回の候補作品のうち5件は首都圏に分布し、他の2件はその外縁ともいえる千葉県、茨城県の太平洋側に位置していた。都心のビッグ・プロジェクトに対して、六町ミュージアムは足立区に、バウンダリー・ハウスは千葉県鎌ケ谷市に建設され、その主題がともに「郊外」たるものに切り込んでいる点が特徴的であった。昔の田畑に宅地開発が重なっていつのまにか町となった「何の特徴もない土地柄」に一石を投ずべき構想された六町ミュージアムは、地元の建設会社経営者の個人コレクションを地域に開放する仕組みで、主体の顔が良く見え、コンパクトな建築プログラムを介してミュージアムという小宇宙を実現したという点で成功であった。どこにでもある大都市郊外の「ゆるい」風景の中に、芝面で緑化された箱庭上の風景が舞い降りる。絵画作品と地元との関係はないものの、つまり昨今盛んなアートと地域のコラボレーションという枠組みとは程遠いものの、憩いとくつろぎの空間を生み出したという点で高く評価できる作品である。もうひとつのバウンダリー・ハウスは、本来地味でささやかであるはずの郊外地の生活を逆手にとって、住まいの可能性を建築プログラムとして十全に展開した作品であり、その小さな規模に対して強烈なメッセージを胚胎していた。だらだらとスプロールする郊外地の境界域、つまりは畑地と宅地の境界に設定された敷地の上に、中庭を囲んで小回りの利いた居室群を配し、トップライトや屋上への動線によって空を室内に介在させるという手の込んだ空間を実現した。焼板で覆った渋い外観が良い。他方、東京から100キロ圏に位置する鹿嶋の宿泊所は、日常性から離れたリトリートとしての意味をもつ。一見して、設計者のもつ技量とセンスの良さをそのまま表した作品であることがわかる。海に開いたビスタ、微妙な空間の伸び縮み、程よいプロポーションと、素材の肌触りの良さとある意味では申し分のない作り方である。その小宇宙に閉じてしまった点が逆に脆弱性でもあり、建築家と対話を結ぶべき他者の存在が希薄な点が気になった。
 大多喜町役場は、今井兼次の設計になる1959年の庁舎を保存しつつ新たな機能を加えるという厄介な課題を抱えていた。保存という行為をめぐって、旧設計者つまりはガウディに傾倒しつつもモダニズムの基本は外さなかった今井兼次の建築をどう解釈しどう展開するかが問われる設計である。新旧をあえて切り離して異なった原理を導入し、ふたつのボリュームを対置することで処理した現設計者は、「今井兼次」というテーマに敢えて踏み込むことを避けたようだ。新旧を勘案するという点では、伊勢神宮のせんぐう館は、我が国の文化の神髄に踏み込むとてつもない大きな課題を抱えていた。外宮の一画に伊勢神宮の広報媒体として配され、誰でも等しく伊勢の文化と建築に接することができることを基本目標であり、それゆえに多くの人々が伊勢に抱いてきた根源的な畏れ多さ、言い換えれば開闢性、不可知性、神秘性といった問題をきれいに外し去り、形態の相似性、景観計画、巧みなミュゼオロジーによって「ミュージアム」に落ち着いたところが意外でもあった。モダニズムと古代との対比という点で、出雲大社の「庁の舎」と対比してみたくなった。
 熊本アートポリス事業として進められた宇土小学校、都心の実践学園自由学習館は、我が国の教育現場の問題とその解決のための方法をそのまま伝えるという意味で示唆に富んでいた。前者は、子供と樹(たまりば)というコンセプトを引き伸ばし、プランニングの手法に昇華させたもので、躍動感、空間の広がり、対話、内と外の一体化といったゴールをそれぞれ丁寧に実現している。多くの小学校に見られる画一的で押しつけがましい教室運営を、オープンシステムの導入で巧みに避けているのが良い。後者の場合は、対象が高校生であるが、狭隘な敷地を勘案して生徒が気楽にしかも集中して自身の学習に打ち込めるよう、テラスを重ねた立体的な覆い屋を構想した。教育畑の専門家と続けてきた地道な共同研究を学校側が積極的に採用したことで他に例を見ない教育空間が成立した。学校建築は一頃の定型的なプランニングから、少子化、地域性、エコロジーといった課題を胚胎して相当の発展を遂げている。二つの学校の建築家は、このような課題を解き続けてきたプロ中のプロであり、ぎこちなさが全くなく、社会の成熟を前にして我が国の学校建築のあるべき姿を安心して提供してくれる。
 以上のように、候補作品はそれぞれ素晴らしい特徴を備えており、それを一律に評価することは困難を極めたが、審査にあたって建築という行為に想定すべき「他者」を評価軸として想定し、建築家という職能がきわめるべきソリューションの系が他者に対してどのように展開し、突き詰められていったかを勘案した。上記の二つの学校が最後まで残ったのは、人の顔が見える建築としてディテールに到るまできめ細やかな配慮がなされている点に着目したからであり、建築家協会という職能集団が自信をもって社会に訴えることができる作品とみなしたからである。その二つの中で自由学習館が最終票を得たのは、建築の質ではなく、新たな教育モデルを作ったという一点を評価したためであることを特に申し添えたい。大局からいうと、東日本大震災を経て、我が国の建築に寄せられる期待と評価がかなり変わってきていることは間違いない。昨年度は、震災被害に対するコミットメントが評価を大きく左右したが、本年度はそのような作品応募がなく、建築という行為が次のフェーズに達したことを暗に示していた。ポスト震災の日本にあって建築的営為が新たな文化と技術の系を生み出していくという点で確かな手ごたえのあった大賞審査であった。
   
大森晃彦
 
 昨年4月よりJIAは公益法人に移行し、それに伴って2005年から続いている日本建築大賞(および日本建築家協会賞とベースとなる日本建築家協会優秀建築選)にも変化があった。「公益」化以前の賞の主眼は、切磋琢磨によるJIA会員建築家の資質向上と、会員の優れた仕事を社会に示すことにあったのだろう。だから応募資格は会員に限定されていた。それが今回から「応募者は本会正会員または日本の建築士資格を有する、あるいは、海外の相当する資格を有する者」(応募要項)とオープン化されたのである。また、毎年ひとりずつ交代する3人の審査員は、昨年度までは構造家の斎藤公男さん、歴史家の三宅理一さん、ジャーナリストの私と、全員が建築家以外から選ばれていた。そこに今年度から斎藤公男さんに代わって初めて会員である建築家の長谷川逸子さんが加わった。
 オープン化の意味はとても大きい。「日本建築大賞」という名称が目指すものへと確実に向かっていると思う。ただ、初年度の今回は審査員の顔ぶれ以外システムには大きな変更はなかったが、これは過渡的状況ということであろうし、たぶん次年度以降に整備されていくと思われる。内輪の賞ではなくなったのだから審査員は会員建築家が多数を占めてしかるべきである。
 この賞のユニークは点は、その年の「優秀建築」の選定を第一に謳っているところにある。幅広いセレクションの上にグランプリが選ばれる。設計者の受賞歴、重賞の如何は問わないという規定は、人ではなくモノを選ぶ賞であることを明確にしている。だから同じ設計者の連続受賞や複数作品受賞もあり得るわけだ。ただ、過去3年以内の竣工であれば何作品でも応募できる一方で、ひとつの作品の応募は1回限りという制限がある。セレクションを前提にすると致し方ないが、一発勝負というのはちょっと厳しいかもしれない。
 また、大きなプロジェクトの場合、設計に複数の組織が関わり、それぞれに複数の設計者が存在することがある。連名の応募者の数が多くなることで、建築家が見え難くなってくる。オープン化はそれをさらに加速させるだろう。ただ、だからといって作品に対する設計者の人数を制限する必要はないと思う。その作品に対して果たした役割が明確にされていればいい。
 「宇土市立宇土小学校」からは原型となる力を感じる。原型のイメージをよく示しているのが、プレゼンテーションで見せてくれた1枚のドローイングだ。そこには緩やかな囲みをつくるように配置されたL壁(コーナーを丸くしたL字平面のコンクリート壁)と、日陰をつくる木立が描かれ、それを拠りどころにさまざまな形で授業が行われているユートピアの学校の風景があった。
 「千葉市立打瀬小学校」(1995年)以来、設計者は数多くの学校建築を手がけている。打瀬小学校の、各教室がそれぞれ固有な空間を持ちながら緩やかにつながっている様や、教室棟と一体のものとして扱われる体育館、室内に連続するさまざまに特徴付けられた中庭、それらによって建物全体をひとつの集落のように見せる手法は繰り返し試みられてきたものであり、宇土小学校にも確実に受け継がれている。ただ、アイコニックな形態や多彩な空間的な操作が盛り込まれていた打瀬小学校に対して、宇土小学校ではきわめてシンプルに、より少ない建築的言語によってさまざまな使い方を喚起する豊かな空間が生み出されている。スラブが延長された深い庇とフルオープンになる折戸は優れた環境装置であり、そこに緩やかに領域をつくるL壁のある風景はドローイングさながらである。
 宇土小学校の敷地はほぼ平坦な宇土の市街地の西のエッジにある。まちの風景を特徴付けているのは南西側にある三角半島の山塊で、まちの軸線となる薩摩街道がこの山に向かって真っ直ぐに延びている。同じ山に向かってリニアに配置さた宇土小学校の中庭は、山から吹き下ろす夏の涼風を室内に導くものであると共に、そこから眺めることができる山の風景によって建築を宇土のまちに強く結びつけるものとなっている。
 「実践学園中学・高等学校自由学習館」の原型といえるものは、同じ設計者による「香北町立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」(1996年)にあるだろう。人びとが思い思いの活動をし、それぞれに時間を過ごし、時に出会がある、設計者が「がらんどう」と称した空間がそこにある。設計者はそんな空間の構築を機会あるごとに試みており、当初のやや固い外郭のイメージから、より柔らかく、人びとのアクティビテそのものを包み込むものに「がらんどう」は変化してきている。なかでもこの自由学館や、少し前にできた「小布施町立図書館まちとしょテラソ」(2009年)では、表現はきわめて自在になり、もはや空間的な原型を意識させないものになっている。
 住宅地にある自由学習館の敷地は、西側に緑豊かな小公園があるものの、斜線制限と日影規制、求められる周辺への配慮によって、建築可能な領域は不定形なものであったという。それを逆手にとって、ちょっと不思議な、表現的な形態のボリュームが導かれ、その形態は地下1階から地上3階までテラス状に吹き抜けた空間を包み込む外郭として内部にそのまま現されている。
 内部空間は西側の公園の緑に向かう視線を常に意識した構成なのだが、設えられたさまざまな居場所にはそれぞれ固有の空間イメージが与えられていて、場所から場所へと移動すると共に室内風景の眺望はダイナミックに移り変わっていく。巡り歩いてはお気に入りの場所を見つけ暫し滞留するプロムナードのような空間体験がそこにある。
 上記の2作品は、ともに日本建築大賞に相応しいものと判断したが、2作品を選ぶことがかなわなかったために表記の結果となった。建築の評価は、何よりもそれが存在する長い時間の中で明らかになるものであるし、今後に現れる優れた作品によって相対化されていく。そのとき評価されるのは今回の判断の方である。
 街路を挟んで南側が市街地、北側の野の道の向こうはナシ畑という敷地に建つ個人住宅「バウンダリー・ハウス」は、中に入った瞬間から別世界に飛び込んだような感覚に包まれる。中庭や囲われた外部通路が室内と同じように扱われていて、その違いはトップライトにガラスが嵌まっているか否かだけのようだ。外周を閉じて地上のざわめきを絶つことで、天空の動きが直に伝わってくる。作品名の「バウンダリー」とは天と地上の境界を意味していることが分かった。
 都市の中で、歴史的建造物をいかに保存し、いかに使い続けるかという時代のテーマへの応答として、最も注目されてきたプロジェクトが「東京駅丸の内駅舎保存・復原」であり、その期待に見事に応えたものだった。折しも駅前の東京中央郵便局が「JPタワー」(2012)として保存再生されたことと相まって、東京の玄関口には歴史が重層した、ここにしかない都市景観がつくり出されている。戦災復興時に変更されていたものを創建当時の姿に戻したものではあるが、修理前のパンテオン空間に慣れ親しんだ人がほとんどの現代においては、新鮮な驚きを持って迎えられたに違いない。修理前を2代目とすると3代目という感覚ではないか。JPタワーの屋上から眺められるさまざまな塔の意匠には興味が尽きない。
 「東京スカイツリー® 東京スカイツリータウン®」としての応募ではあったが、東京の新しいランドマークとなったスカイツリーを高く評価したい。プレゼンテーションにおいても終始、タワーの計画論と技術論が語られたことが印象的だった。これが東京駅丸の内駅舎の再生と同時期に登場したことは偶然とは思えない。時代の潜在的な期待があったことを感じる。隅田川の東にあって、展望室からの眺望は東京の都心部と富士山を捉らえ、逆に都心部からは東の空の夜景に彩りを添えている。
   
長谷川逸子
 
 「日本建築家大賞」と「日本建築家協会賞」はいったいどのような作品に与えるべきか、初めて関わる事になった私はずっと考えながら進めてきた。
 建築家は20世紀まで社会の要求を得て、都市と建築がダイレクトに結びつく仕事として評価されてきた。しかし今日の都市はますます複雑化し、巨大化して都市と建築、社会と建築がダイレクトに結び付きにくくなっており、建築が都市をつくっていた時代とは違ってインターネットによる情報過多の時代となっている。グローバル化が世界中で起こっている今の状況をみるに、建築家の職能も変わりつつあると考えざるを得ない。それでも建築は感性や身体性をまた理性を持って様々な条件もインクルーシブしてつくるものでエンジニアの解決だけでは出来ない。建築家は既成概念に捕われず、人間が生きてゆく場づくりの基本を捉え、社会に共生の喜びを届け未来に繋げる社会的な役割を担っている。
 大賞をとった「実践学園中学・高等学校自由学習館」は住宅密集地である中野の学園近くの区立公園隣が敷地。周辺の日射条件をクリアーしたボリュームに開けられた開口からは空や周辺が、公園の方に開かれた大きな開口からは木々が眺められる。密集地という欠点を特徴に変えた建築である。自由学習の場として、既存の学校に不足している授業以外の自習の場とコーラスなど余暇活動のホールをもつ。図書空間でもあるというこの建物の中心は4層吹き抜けの空間で机が段状に並び、本棚には大学受験のための参考書が置かれていた。
 私は群馬県太田市で市営住宅をまち中につくった時、ワークショップで高齢者のためのホールが1階に欲しいと要望をされた。使っていない時は市民に開放した市民ホールすると放課後行き場のない学生の勉強の場になり、子供たちがこれまでになく国立大学に行く様になった話を市長から聞いた。今施工している沼津のキラメッセぬまづにもスチューデントロビーをつくって学生たちに開放している。コミュニケーションフリーと呼んでいるこの場では、他者と共生する喜びを得て欲しいと考えるので、つなげることの出来るテーブルを配置しコミュニケーションが起こる事を期待している。
 ここでは個人学習の場づくりが主題のようだ。こうした学校のあり方を長く研究している専門家とのコラボレーションにより設計した建築で、これからの学校のあり方の提案になっているとのことだ。
 建築家協会賞をとった熊本の「宇土市立小学校」では、雑木の木陰に教室群が滑り込む限りなく外のような学校、というメッセージを読んで現地見学に出向いた。雑木メタファーとして使うL型の壁を配置することで樹木に覆われた学校というイメージをつくり上げていた。L型の耐震壁がフラットスラブを支える構造であり、その周りが教室としての領域をつくっている構成だ。熊本という風土を考え全開口の折りたたみサッシュを導入して全体に開放的な空間を実現していた。中庭やアリーナ、アッセンブリースペースなど内部と外部が境界なく全体が子供たちの居る活動の場となっている。その内と外の融合により周辺も含め環境全体が一体となった健康的で清々しい建築だ。空間のフレキシビリティを確保し、オープンクラスの空間から様々な形式の授業への対応が可能になっている。先生や子供たちには設計だけでなく現場にも参加してもらい、ワークショップを開きながら建築家の考えを伝えてゆく手法を取っている。建築には次なる流れをつくってゆくために何をつくるのかという明解なコンセプトを揚げる必要があり、そのコンセプト実現のためには、ワークショップなど複数の仕事をインクルーシブする力が必要なのである。
 建築家協会賞の「東京駅舎」は1914年辰野金吾によって設計された鉄骨レンガ造で、1945年戦災で焼失して3階建てから2階建て駅舎に修復され、今回3度目の保存復元がされた重要文化財である。創建当初の意匠、材料を正確に保存し、戦災で失った部分を原型に戻すという辰野デザインの保存とディテールの復元が主だった仕事で、免震を初めとした最新技術も導入したエンジニアの仕事だ。保存に影響を受けないホテルやギャラリーなどの内装はコンテンポラリーなデザインが導入された仕事になっている。これから建築家の仕事として浮上してくる保存と復元にどういう立ち位置を取るかが課題となってこよう。改修の歴史を蓄積していくとき、現代という時間・空間をどう紡いでゆくか、復元と創作活動がどうあればよいか考えさせられる仕事であった。
 同じく、協会賞の東京スカイツリーと東京スカイツリータウン。634mのタワーをつくるためにハイレベルなエンジニアの集積があって、出来ている仕事だ。今東京のシンボルとして大勢の観光客を集め、スカイツリータウンは賑わっていて成功である。しかし私には合理的という構造フレームが太く、近くでみるとスマートさが不足しているうえにホワイトグレーが膨張して太く見える。また、通常フレーム構造のタワーは透けていて美しいものが多いのに、五重塔の心柱から着想を得たという制震システムが透明感を無くしている点も私は残念に思う。
 次の協会賞は、農耕地と住宅地のエッジに建つ事から生じる環境をテーマにした住宅建築。「バンダリーハウス」の入り込んだ路地のような通路や中庭などの外部空間を取り込ませながらつながるプランのあり様は大変魅力的なものだ。外部は「自然に寄り添う為の新しい中間領域」としてつくられている。だが、不思議なことに立面は開かれず、建具のサッシュも基本的に面材なので閉じた箱の家に見えた。集成材を構造材とし、焼杉という伝統素材を磨き上げ、凹凸をつけたものを外壁・内壁に使用している。白い床も内と外が同じように続いていて、内外の入込むプランを上手くつくっている。内部空間と外部空間とを接続するトップライトは、その日の気象や空模様といった天空の様子を知り感じる場をつくりだしている。16の領域にあるトップライトの開口のディテールは美しく、白い人工庭園の屋上の気持ちよさはこの上ないものだ。
 今兼二による1959年竣工の大多喜町役場は宗教的といえる装飾的要素がちりばめられた特別な温もりのある建築。それに対して今回の増築棟は、門型をした大梁、小梁をトップライトで重層された大空間で多様な使い方を期待するもの。既存部分に拘るのでもなく、また単に対比的であることをねらうものでもなく、現在を生きる建築を目指して既存の空間と時間と対話しながら新しい表現を持って時代の流れと向き合っている。この増築の姿勢を持って次の時代の向かわんとすることは優れた解決だと思う。しかしこの関係のゆるさが少々訴えるものもゆるく見えてしまったかもしれない。
 「式年遷宮記念・せんぐう館」は遷宮という祭儀の中で新しく参入する建築。それは社殿建築として求められるものを現代技術と材料でつくり上げたもので、外宮・包玉池の畔の風景の中に溶け込み、古来続く伝統の場所に立地する建築としての表現を纏って建っていた。建築は伊勢の環境と歴史を捉えた屋根が印象的である。私が特に評価したいのと思ったのは、二重構造となる内部空間と展示計画とのコラボレーションが大変上手く、社殿の実物大の断面など伊勢全体空間と対話する様な内容で評価したい。
 「六町ミュージアムフローラ」は民間が運営する美術館で、まちに開かれた公共の場となっている。今後の公共の場の新しいあり方を示唆するものだと思った。内部空間は、曲面状の展示室上部の芝の屋上緑化と、真ん中に水を配したランドスケープを内包している意欲的な作品。外からその美しい内部が少し見えるともっと公共の意味が生まれると思った。
 「鹿嶋の研修所」は企業の研修場所として建てられたもので瓦・木・石・土塗りと伝統的な素材を使って、縁側・中庭・土間を導入した伝統建築を思わせる作品である。既存の常緑林を残し、非常に居心地の良い環境をつくり上げている。しかしそこにある開放的で丁寧につくられた様子は、利用者によって上手に使い込まれる生きた建築となっているのか疑問に思うものだった。伝統と現代、設計者と利用者この関係が見えないと伝統は現代建築になり得ない様に思う。