■ Topics

  JIA News 2002年09月号より

■  本音トーク

人気沸騰のデザイナーズマンションの舞台裏

〈仕掛け人×オーナー×建築家〉の三者対談から見えてきたもの


 商品としての差別化を課題にしながら、長期的な健全経営を図る賃貸集合住宅をプロデュースし、見事な相性の“出会い”をまたひとつかたちにした仕掛け人。
 オーナーとの暗黙の了解の上に、結果として、「今」を楽しむために一番いいもの・答えをデザインした建築家。
 そして人一倍研究熱心だが、思い切って集合住宅と自宅の両方を二人に任せ、「住み倒す決意」をしたオーナー。
 東京・世田谷区(東北沢)に生まれたデザイナーズマンションの秘話を通して見えてくるものとは…。
「時代性と設計プランがうまくかみ合う売れる企画とは何か、その挑戦とは…」。
 成功につながるポイントや発想、社会的波及効果をはじめ、街並みの問題、建築家の役割や活躍の場など、今後の議論に発展するテーマの芽も数多く含んだ対談となった。
出席者

◇プロデューサー
 高木栄一(株)
 タカギプランニングオフィス代表取締役
◇オーナー
 奥谷 靖
◇建築家
 千葉 学 千葉学建築計画事務所
 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教授
◇司会・進行
 国広ジョージ 国士舘大学助教授
 JIA広報委員長
◇JIA news 編集委員
「相性と信頼に基づく長期的なおつき合いができる関係でいられること」、それが共に責任担い、付加価値の高い建築物に育てていける大事なファクターである。
用途やマーケットを絞り込まないフレキシブルなスタイルが、長期的・健全経営につながる。
国広 デザイナーズマンションの仕掛けや発想について、その世界をお伺いしたいと思います。将来の号で論争を繰り広げていこうという企画もありますので、ざっくばらんに、また遠慮なくお話ください。
編集委員 日本全国では40%が賃貸といわれています。東京23区の場合は人口880万人のうち、賃貸が520万人くらい、都心回帰という現象も含めて特異性がある場所かもしれませんが、いつ頃からデザイナーズマンションの構想を練られたのですか。
高木 最初に考えてやったのはバブルのちょっと前ですね、1988年ぐらいからではないですかね。非常に単純な理由で、不動産会社に入ってマンションをたくさん見ても、とにかくダサイという感じがあって何とかならないかなと思っていました。建築家という存在もその頃に知りました。設計する人もいろいろな人たちがいるわけですけど、ちょっとまじめにつくれば、もうちょっといいものができるなというのがなんとなく分かって、やってみようという感じでした。
 勤めている時に、ワークショップを開いたり、土地を持っている人を説得して建てたりしましたが、なかなか大変でしたね。
 会社は97年に設立してまだ6年目に入ったばかりです。
国広 最初からそれはもうヒット商品だったんですか。
高木 「SQUARES」ができたのが95年ですが、わりと人気がありました。バブルの時も建築家による集合住宅がありましたが、破綻しているのをみて、その反省点はすごく企画のなかに入れてますけどね、なぜ破綻したか(笑い)。
編集委員 80年代後半に、開発型のデベロッパーが音楽家のマンションだとか仕掛けましたね。
高木 その考え方とはまったく違います。結局、かなりマーケットを絞り込んでますよね、とすると、オーナーにとっての経営はよくないですよね。やはり幅広い方が安定収入が得られます。
 外国人向けとかペットマンションとか、用途をしぼった専用マンションがありますが、用途では切らない方がいい。なるべくフレキシブルである方がいいだろうと思います。

高木栄一(たかぎえいいち)
1963年山形県生れ。87年日本大学文理学部体育学科卒。88年アルファープランナー入社。97年(株)タカギプランニングオフィス設立。以後、様々な建築家と組み、主に賃貸集合住宅の企画・仲介・管理事業を展開。
国広 どちらかというと、若いシングル向けというターゲットですか。
高木 それは東京のマーケティングがそうであるから、というだけの話です。若い学生は減ってますけど、単身者は増え続けている状態ですよね。少子高齢化の延長として、マーケットが、これからもほんとに生物学的に続くだろうという予測がありますね。
 一棟できてしまうとオーナーさんは30年ローンとか組みますから、長期的な経営の健全化を考えないといけないわけです。目先の流行りごと、目先のマーケットで動くわけにはいかないので、長期的な視野を考えてやっているつもりなんですけど。
国広 マーケットエリアは東京ですか。
高木 東京・神奈川・千葉・埼玉は成立しますよね。金融的な問題、受注量などでなかなか成立しない地域もありますが、たとえば仙台・名古屋・大阪・札幌など主要な首都圏はどこでも成立するでしょう。つくり方は大分変わってしまうかもしれませんが…。
国広 では、オーナーの奥谷さんの登場、つまり高木さんと奥谷さんの出会いはどのようにしてできたんでしょう。
奥谷 僕は、集合住宅と専用住宅をつくろうと思ってから、大手のホームメーカーや大手不動産会社も含めて設計をいくつかお願いしたりして、6カ月くらい悩んでいたんですよ。そのなかでタカギプランニングという名前が出るようになって。そして1〜2回会ったところで、というより、会ったその日に決めましたね。
国広 営業というか、かなり説得があったんですか?
奥谷 靖(おくたにやすし)
株式会社コード ディレクター。主にJR東日本KIRINアフター5ステーション、河口湖リゾート FIT VILLAGE、ファッションブティック W.D.D.(メンズ)など。
奥谷 高木さんが住宅を手がけるように、ぼくも飲食関係の商業施設の企画をやっているので、たとえば不動産の方々に会ったとしても、この場所だったら2LDKの方が受けるんじゃないですかとか、こんな感じのデザインの方が受けるんじゃないんですか、というような話をしていたんです。
 大概の方は、そうですね、これはいいですね、というところで話は進んでいくんですが、一方でどうかなぁと思っていたんですよ。
 高木さんは唯一、「こう思うんですけど」と言ったら、「それ全然違いますよ」って。こんなに否定されたことはなく(一同爆笑)。
 恋愛みたいな、結婚を決めるときのような感じですね。半年かなり迷っていたなかで、「そんなこと考えてちゃだめですよ」と。実績と自信、その雰囲気でためらわずにお願いします、と言いましたね。高木さんの場合、営業的スタンスはまったくなかったかもしれない(一同笑い)。
 名前を出した人たちは、高木さんに会った段階で決めてしまうな、というのがおそらく分かっていたのかもしれませんね。でも、これがアポイントもなかなか取りずらいし、電話した時も結構つっけんどんだったんですけどねぇ(笑い)。

合意を図る上で、オーナーとプランニング会社、
      建築家の相性は重要なファクターである。

編集委員 やはりプロデューサーであるプランニング会社とオーナーさんとの相性というのはありますか。
高木 相性は必要ですね。出来上がった建物を管理していく務めもあり、つき合いが長くなるので、基本的に合えばいいなと思いますね。
 あまり営業的なことはしませんが、長くはつき合えそうにない、ノリが明らかに違う、と思う場合も結構ありますけどね。
国広 千葉さんはどういうかたちで登場したんですか?
高木 奥谷さんに、何人か建築家の名前を挙げたと思います。
 建築家とオーナーとの相性はとても重要な要素です。家を建てる作業ってやはり大変なので、施主の趣味・嗜好と建築家の趣味・嗜好が合っていることが意外と重要なんじゃないかと感じている人が多いのでは…。価値観がどこかで一致していないといけないと思います。
国広 千葉さんのことをよくご存知だったんですか?
高木 コンペで知り合って…。それまではカッコイイ人だなぁというぐらいで(一同笑い)。
奥谷 僕自身、デザインを考える時に、いいものができる時と悪いものができる時があるけれど、最後まで楽しくできる時っていいものができる。
 クライアントからいろいろ余計な注文をされて、心のどこかでおもしろくないなという気持ちがあると、だんだん良くないものになっていってしまう、ということは分かってるんで、今回、自分が初めてクライアントになったんですが、最後まで楽しくできるかどうかがすごく重要でした。
 プラス、作品と、もちろん実力のある方と聞いていたので、それで決めましたね。
千葉 突然、高木さんから電話をいただいて、とりあえず資料を送ってくださいと。何人かの候補者のなかから選ぶような話で、突然でしたよ。
高木 早かったですよね。
千葉 学(ちば まなぶ)
1960年東京生れ。85年東京大学工学部建築学科卒業、87年同大学大学院工学系研究科建築学専攻修士修了。現在、同大学大学院工学系研究科建築学専攻助教授。98年JIA新人賞、BCS賞、通産省グッドデザイン賞。02年東京住宅建築賞受賞。
千葉 確か資料を送ってすぐにお会いしたんじゃないかと。
奥谷 資料と話だけで決めたような記憶が…。契約についてもザクッと金額で決めさせてもらって。
高木 事前の情報でボリュームが見えていますから、収支や設計監理料とか、基本的な構成はほぼ表わせます。
国広 デベロッパーという不動産業であると思うんですが、プロデューサーということをどう思われていますか。
高木 一番大事なのは、不動産業で結果を最終的に出す、ということだと思います。それがあっての企画でしょう。
国広 契約というのはマネージメントの方まで、10年、20年という長期契約で?
高木 そうです。それが一番重要なことだと思いますけどね。

心を揺さぶるのはデザインやテイスト、プレゼンの手法か…?勝負は、『手描きのプランだけ』だった。
国広 それでは、建築家の考えを伺いましょう。
千葉 お見合いみたいなものですよね。価値観がずれていると、お互い仕事がやりにくいということがあると思います。だから合わない仕事はあんまり無理してやる必要はないなと思ってます。僕も基本的に仕事は楽しくやりたいと思ってますし。
 で正直に言うと、最初奥谷さんに会った時はダメかもしれないと思いましたね。商業施設をたくさん手がけていたし、建築に対してすごく目も肥えていて、テイストもあって。資料もすごい厚さで揃えていて、それについて延々と僕は説明を聞かされたんです。
 こんなのがいいんじゃないかとか、こんな素材がいいとか、こんなサッシがいいとか、細かいところまでたくさん説明していただいて。
高木 ちょっとノリが違ってましたね。
国広ジョージ
司会進行 JIA広報委員長
1951年 東京生れ。(米国籍)ハーバード大学修士修了。米国で建築設計事務所主宰の後、1997年東京へ拠点を移し現在、国士舘大学建築学科助教授。。
国広 商業建築的なプロフェッショナルとして資料集めをされてたんですか。
奥谷 というよりは、もっとフラッシュアイデア的なもので、これがいいとか、写真取ったりとか、半年間、迷っている間に集めたものだったんです。
 千葉さんに決めたのも、実は高木さんと同じようなことがポイントでした。こういう風にしたいって言ったら、手描きのプランを出してきました。商業施設のプレゼン的にいうと、CGですごいかっこいい写真で出てくるんだけど、そうではなくて、手描きのラフで、そのプランが僕の説明したのを100%無視した…(一同爆笑)。
 仕事柄、説明している時に、聞いてないなっていうのが分かってました。全然聞いてなくて、最後にもっといいプラン出しますから、みたいなことを言ってましたから。
千葉 奥谷さんは、半年間にいろんなメーカーにプランをつくってもらっていました。正直いって、そのどれもが僕は良くないな、と思ったんです。
 奥谷さんのテイストは別として、人間的に好い人だと思ったし、こういうプランで建てさせるのは忍びないなと思った。もっといい案ができるに違いないと思ったんですよ。騙されちゃいけないよ、みたいな気持ちはありましたね。
 最初案をつくって、どれぐらいのボリュームのものができそうかっていう基本的なスタディをしたんですが、もっともっといいものができそうだっていう思いがありましたね。
奥谷 最初のプランが圧倒的にいいと思いました。具体的な学校名は出しちゃいけないけど、東大は違うな、(全員笑い)と思いましたよ。
 自分もプレゼンする時がありますが、結局、プランとデザインってやっぱり違いますよね。心揺さぶるのはプランじゃなくて、デザインだったり、テイストとかプレゼンの手法だったりするけど、千葉さんはそういうのまったくなしにプランだけで勝負していて。
 そのプランが良くて、そのプランに自信があるから、色を付けたり、きれいな紙に書いてくるとか、そういうのがまったくないんですね。
 プラン自体がいいなぁと。そのプラン一発でもって、もう完全決定しました。

2階平面図

1階平面図

千葉 ただ実際のプランニングは相当変わりましたよ。
 申請上は2敷地2棟にしてるんですよ。2棟にして2つの敷地に分けてやろうと判断するまでがすごい大変だったんです。
 最初は一棟で考えてみたり、奥谷さんの家が最上階になってみたりとか、いろんなプランをやってみた。最終的にあの場所では豊かな外部をつくってやった方がいいだろうという判断をして、2棟でやるっていう方針を決めたんですが、それからは早かったですね。
国広 デベロッパーとしてはリスクコントロールの判断もされるわけですね。
高木 東北沢と下北沢の中間に位置する場所的にはとてもいいところなので、先進的な仕掛けをやってもいい場所だなと思ってました。
国広 敷地のポテンシャルを大事にされていますよね。相変わらず入居者はウェイティングですか?
高木 入居希望者に情報を発信して、見にきてもらう日を2日間設けました。公開してすぐ、決まりましたね。

大事なのは互いの信頼。建築家の個性をうまく反映させることが事業へのプラスであり、成功へのポイント。
国広 いい話ばかり聞いてきたんですが、闘った話とかないんですか?(笑い)
高木 全然なかったですね。
 最初はノリがかなり違ってたんですけど、奥谷さんはすごい寛大で。
 だいたいの施主は、計画が進んでいくうちにだんだん玄人に近づいていくんですよ。分かってくるんです、少しずつ。説明を聞いて、いろんなものを見ていくと、目が肥えていきますよね。
 4〜5カ月くらいの設計期間の間にかなり成長してしまうんですよ。だから奥谷さんも変わってくるから大丈夫だろうなと分かっていました。
 ほとんど何も言わないで任せてくれるので、とてもやりやすく、楽しくできました。
千葉 高木さんもあまり言わないんですよ。
高木 僕も言わないでしょ(笑い)。
千葉 高木さんのもっと細かい、厳しい注文があるのかなと思ってたんですが、予想以上に言わないんです。
 コンペには出したりしてましたが、実際に集合住宅を建てたのは初めてでしたから正直不安なこともあったんですが、ポイントポイントで、要所をつかんだ大事なことをおっしゃっていただきました。
国広 建築家の、たとえば千葉式がどういう建築なのかを勉強されますか?
高木 勉強というのではないですけど、なんとなく千葉さんの雰囲気は分かります。その人の個性、作家性というか、そういうものを反映できるかというところがポイントでしょうね。
 まず相性があって、つくっていく上では千葉さんらしさみたいなものが分かりますよね。それがどれだけ反映できるか、それが事業に対してプラスになるかってことしか考えてませんので。
国広 徹底したビジネスの姿勢ですね。
千葉 建築家は『任せます』と言われると、一番大変ですよね。でもそれは逆に、それだけ信頼してくれてるんだから、こっちも頑張ろうという気になりますね。だから余計に一所懸命やるわけですけど。
 今回、奥谷さんがほんとに寛大で。提案に対して柔軟だったし、コメントも的確で、稀に見る楽しい仕事でした。
高木 トラブルが多すぎますよね、建築の仕事ってね。
国広 施主の態度やつくる側の問題もあるでしょうけど、人間の信頼が大切なんでしょうね。
千葉 大宇根会長の考え(市民と建築家の信頼関係など)に関連して言うと…、今日本はアメリカ的契約社会を迎えつつある。建築上の裁判とか、ものすごく増えてますよね。確かにそういうことに対してルーズでいてはいけないと思うんですけど、基本的に建築は、一つ一つ一品生産ですし、しかも毎回新たな試みをやっているわけで、どんなものでも何らかのかたちで問題や課題が発生している。だからその問題の有無をすぐ○や×という判断に結びつけるのでなく、その都度どう対処し取り組んでいけるかが、より重要だと思うんです。
 まあ、子どもみたいなものですよね。当然、一生つきあっていかなければいけないと思っていますし、だからそこに、基本的な信頼関係がどこかでできていないと、それらをポジティブに解決していけないですよね。
国広 高木さんもマネージメントされて長期的なつき合いを大事にされていますし、建築家もそういうことを覚悟する。いい人間関係を保ちながら、建物をお互いに見つめていくような、長いつき合いが必要だと思いますね。
 で、出来上がってどうですか?
奥谷 家に早く帰るようになってしまって(笑い)、反省してます。家でちょっとビール飲んでるのが楽しくて…。
 出来てからも楽しいですけど、つくってる時もすごく楽しかったですよ。

すぐ次の作品に走る一方ではなく、長生きさせるため建物をお互いに見つめてゆくような配慮が必要。
国広 建築って、子どもの誕生みたいなものだと最近思うんですけど。生むところまではいいけれど、できればいかにそれを大切に長生きさせるか。
 実際はマネージメント会社とクライアントがそこに関わって、どちらかというと建築家は次の作品に走っていく感じですね。もっと違った配慮や、相談に気軽に訪ねていける関係も必要かもしれませんね。
奥谷 僕はカッコイイ家ができた後に、家に負けない、『家を住み倒す』というようなライフワークを持つ、というのは意識してますね。
 全部まかせてつくってもらって、それで負けて生活する場合もあるけれど、それに負けない生活を心がけて、出来てから勝負をしなくてはいけないかなっていう感覚はプラン中からずっと考えてましたね。
 中には打ち合わせの段階で、僕に気を使ってくれるプランがあったんですよ。住みやすいように、収納とかいろんな部分で考えてくれて。自宅の2階の和室とリビングの外動線の中に、逆側に濡れないでもいける動線があったりと気を使ってくれるとかね。
 それって、プラン上、物をつくる時には、クリエイティブな部分できっとおもしろくないんじゃないかと思ったので、そういうのは要らないですって僕の方から言いました。
 好きなようにつくってもらって、出来てから住み倒すかどうか、今度は僕の仕事という感覚でいたんです。
千葉 確かに和室の話は印象に残っていますね。「あえて濡れない動線なんか要らないですよね、千葉さんどっちがいいと思いますか?」と。それで離れみたいな案が実現しましたね。
編集委員 居住者側としても、企画会社や建築家への期待感を持っていて、住む自由度を求めていますよね。
国広 ある意味で、『タカギイズム』的な流れがあると思いますが、主要都市でのビジネス展開も考えているのですか。
高木 東京でのパターンがそのまま成功につながるかは分かりませんが、断熱工法とか設備とか仕様とともに、デザイン性も多少変化するでしょうね。
奥谷 関西の人からは「マーケットが育たないから出てきてやってくれよ」と言われますよね。経済効果という観点で、マーケットの成長を煽るような動きを出来ればと思っていますし、徐々に取り組んで、変わってきています。
国広 急成長はなんなのでしょうねぇ。
高木 オーソドックスだと思うんですけどね。
千葉 逆に言うと、今までなかったのが不思議なくらいに思いますけど。企画も既成概念にとらわれていることが多くて、そういう意味では常に新しい可能性というか、自由を求めているというか…。
 いや、高木さんを見ていておもしろいなと思うのはね、悪い言い方をすると、どこかで世の中と距離を置いて生きてるような…。
一同 (爆笑)
国広 建築家も結構そういうところがあるんじゃないですか?
千葉 だからすごいな、と思うんですよ。自分がいいと思っていることをただやってるという、すごく分かりやすく、すごく強い。
高木 強い信念は妙にありますよ。
千葉 好きなことしかやらない。結局、自分が好きではなかったり信じていないことって、所詮力にならない。
 その辺の強さっていうのは、別に仕事に限らないけど…。
一同 (笑い)

今一番住みたい家が、ベストである。事前準備も大切だが、今一番いいものをつくることが将来にもつながる。
編集委員 賃貸でも、住む楽しさが実感できる住宅文化がさらに育っていくことを期待したいですね。
 敷地や地域特性を背景として、企画会社とオーナーと建築家がコレボレーションすることで生まれてくる結果というものがひとつひとつにあると思いますが、具体的に今回の東北沢に対するコンセプト・キーワードについて、3人の方々に生まれてきたものをお話いただきたいのですが。
奥谷 コンセプトの話とかって、3人で一度もしたことは、たぶんないと思います。(一同大爆笑)
 もねぇ、自分の中にはあって。僕の中には“今”という意識がありました。
 それは集合住宅部分も同じかもしれないけど、いわゆるバリアフリーとか、20年後、30年後、身体が悪くなった時のために家をつくるとか、将来子どもができてどうなって、という風に考えていったりしますよね。最初は僕もそういう気持ちもあったんですが、高木さんにいろいろ攻撃されたりして(一同笑い)。
 だんだん変わって、最終的なテーマは、もうまさに今よければいいと。
 僕としては、今一番住みたくて、一番満足してるものができればいい。僕にとってベストであって、20年後自分が変わったらその時、自分と共に家を変えればいいっていう発想でつくったというのがありますね。
 それこそ家が出来た後に、年配の親戚のものから言われましたよ、「なに、これで完成したの?」なんて。(一同爆笑)
 火事が起きないように電化住宅にするよりは、今つくるチャーハンが一番おいしくできるガスコンロを入れていますし。できたらこの『今日』っていうのを一番おもしろく感じさせてくれるもの、という思いがあったから、そのためにも任せたら任せっきりというのを選んだんですけど。
千葉 それ素晴らしいですよね。
 実際に設計していくと、当然何れ歳を取った時に困るからこうしておきましょう、何れ子どもがこうなった時にこうなるからこのようにしておきましょう、というのがものすごく多いんですけど、僕はそれはやめてくださいと言うんですよね。
 今一番いいものをつくるのが一番いい答えだと思ってるんですよ。
 今までの蓄積があるからこそ言えることだと思うし、そこには将来への展望が反映されているんだと思うんです。だから今一番いい家をつくることが一番正しい姿だと思ってるんですけども。
国広 っていうことを、合意してたと。
千葉 初めて聞きました。(一同笑い) そのスタンスはすごく大事だと思います。
国広 最初からマッチングしてたんでしょうね。
高木 そういう意味では、会っても建築の話とかほとんどなかったですねぇ。
千葉 ですよ。
高木 オーナーの住宅なので、関係ないといえば関係ないんですけども。
千葉 じゃあ集合住宅は?
一同 (笑い)
高木 確かに距離感みたいなものは多少あるかもしれませんけども、余計な口出しはしたくないですしね。
国広 やあ、素晴らしいコラボレート!
千葉 奥谷さんから出た『住み倒す』って感覚がいいなと思うのは…、たとえば、「断熱なんて要らないですよ」って平気で言うわけですよ。建築家からは言えない。建築のことを知らないんじゃないかといじめられるじゃないですか。でも断熱がなくても確かに東京の気候であればあまり問題はないし、それが逆に至れり尽くせりにいろんなことを用意して家をつくって、人間を過保護にするような方向にいくよりはよっぽどいいなと思うんです。
 みながら発見していく、住みこなしていくということは、逆に挑戦されてるみたいな感じもしますけどね。

これからは、景観や街並みを整えていく社会的システムが必要であり、経済効果も期待される発想が必要。
国広 チャレンジという意味で、高木さんはこのビジネスの展望をどうお考えですか?
高木 建築ができる前に、土地とか金融とか他の用件がいろいろあります。だからその建築の前のシステムを全体として考える必要があると思います。金融商品を含めて、今後いろんな展開を考えたいですね。
 東京都というのは、山の手線の内側はオーナーが住むというよりも、オーナーが建てて貸して、そこに誰かが住むというシステムになった方が、つまりヨーロッパ的になる方が、街もきれいになるでしょうし、経済的にも成立して、いいバランスになるのではないかと勝手に思っています。
 個々に好きなように建ててしまうのではなく、全体がそうなれば、もっときれいになるんだろうな、と。
 建築は、可能性がないわけではないですけれど、答えはなんとなく見えている気がするので。
 集合住宅という点で言うと、やはり住宅は重なり合うので限界はあると思うんですよね、平屋には永遠の可能性があると思うんですけどね(笑い)。
 もうちょっとその前の段階のシステムづくりみたいな仕事を少し真剣に考えないと、恐らく今後の可能性がうまく広がらない気がしますね。
国広 ところで高木さんは、クライアントへのプレゼンテーションはしっかりとつくられているんですか?
高木 何もないですよ(笑い)、収支計画が出るくらい…。
奥谷 だって、入りづらい事務所ですよね(全員大笑い)。
国広 営業はしないし、嫌だったらやらないし、建築家的なところがあるのかもしれないですね。ビジネスマンなのにビジネスをしないというか…。
高木 基礎づくりみたいなところでしょうね。土壌をつくって、その上で建築家が建物をつくるわけですからね。整理屋みたいなものですよね。(一同笑い)
編集委員 今回のような集合住宅の取り組みは今後も建築家の一つの活路になるのでしょうか。
千葉 高木さんが手がけているような賃貸の集合住宅は、ある意味で、賃貸だから許される気軽さみたいなものがあります。
 だからいろんな選択肢をもった、単純で、快適な空間としてのスケルトンをつくるということがもっとたくさんなされていいなと思います。その基盤づくりに関わっていけるといいですね。
 ただその一方で、何かそれがあるかたちのタイプに変に収束してしまって、バブルの頃の一つのステレオタイプ化したものにならないようにしたい。何かスケルトンとしての気軽さと、自由さを追求しつつ、常に新しいものができるといいなと思っています。基本的には設計というのは、いろんな可能性を広げるためにやっていると思うんですけど。都心に住むということの可能性を広げられるような何かを考えたいなと思います。
国広 もう1棟やりますか?(笑い)
奥谷 今回、自分が施主として体感して、楽しい思いをしましたね。ものづくりの発想はもちろん、決定権もあって、面白味がまったく違うものですよね。
 集合住宅ということに限らず、商業施設であったり、全然違うものかもしれないけれど、ぜひやりたいですよね、決済権をもらって。(全員笑い)
編集委員 高木さんは、デザイナーズマンションの展開を計るなかで、日本の街並みへの提言などに対しても斬新的な発言や動向が注目されそうですね。
高木 まあ、基本的に僕はあまのじゃくだと思うんですよ。六六計画とか六一計画とか、乱開発で、なんて変な開発だろうと思うんですが。あの近隣のオフィスビルはたぶん破綻するビルがたくさん出てくると思うので、自分の方からリニューアルなり、再開発のいいものを実行して、デカイことがいいことではないよ、というのを見せてあげたいなと思います。
国広 これからもタカギプランニング・プロジェクトみたいなものがあちこちに出来てきそうですし、この世界で建築家たちも育ててくれそうですね(笑い)。日本人の目や意識が向上して、日本の住文化や街並みが豊かになっていくことを期待して…、本日はこの辺で終わらせていただきます。お忙しいところ、ありがとうございました。

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