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JIA News 2002年01月号より

 作品批評

含蓄の美学

—齋藤裕設計「透々居」—

渡辺 明

はじめにこの原稿の依頼を受けたとき、私は何を書いて良いのか、彼自身や彼の作品をどう文字で表現すれば良いのか、正直言って困ってしまった。言うまでもなく、彼の作品は評価されて久しい上に、強い個性には定評がある。しかしながらそういったスポットの当っている部分ではなく、そこに隠された建築家としての姿勢、それこそが今日の混沌とした建築業界にあって学ぶべき部分なのではないかと思い当たったとき、自然と筆が動き出した。
 実際に彼とはもう随分長いつきあいになる。しょっちゅう言葉を交わすわけではないが、お互いの作品を見て、体験することでそれぞれ理解を深めあってきたような関係である。そういった何かの機会に、彼と話をしていて面白いのは、いつも話がmm単位にまで及ぶことである。建築における最小単位ともいえる話は、勿論扱う全てのものを理解していなければ話せない部分だ。実際に木場に出かけた際にそこの従業員の方に、齋藤氏が木場の名札を所有しており、ブリティッシュウォールナットの丸太を製材所で挽き、長期に渡り材をねかせていることを伺い、様々な素材に対する知識の深さに驚き、並々ならぬ人であることを再認識した。これらを初めとした齋藤氏自身の建築家としての姿勢は私自身大いに共感する部分でもあり、最も尊敬する部分でもある。
 一方、建築がアートであると評価される所以は、当然のごとく創造への挑戦が最初にありきとなっているからであり、その背後にある作家の持つ風景が要因となって作品が生み出されることが多い。齋藤氏の作品では、彼自身の手がけた写真集『ルイス・バラガンの建築』(1992)に私はその片鱗を感じる。ほとんど数え切れないほどメキシコに足を運び、あの強烈な太陽の下で4×5のカメラを自在に扱い、整然とこともなく撮りためた写真集は今もなお忘れることの出来ない1ページである。それらの旅を語る彼からは、人・光・自然・世界の遺産を多く教えてもらったように思う。
 彼の近作「透々居」(2001)でも、穏やかな瞳を持つ亭主が静かに言う「どうぞ勝手に見て下さい」という一言に、齋藤氏の全てが語られていた。建築が社会のベースをつくる仕事であるならば、建築家は人が一生の果てに実現させたいと願う夢をつくるかけがえのない存在ともなれる。
 津の駅を降り、秋の日ざしをうけながら、城下町の面影の残る緩やかな坂道を10分ほど登りつめると、さわやかな風が緑を運び、白い波頭に揺れる池が眼下に広がりを見せる。そこを右に折れると、石垣と山モミジが道路を覆い尽くす紅葉の季節を迎えていた。緑の中に埋もれた門を抜け、路地の石畳を覆う小さなハーブの中を歩み、月桂樹の垣根を越えると、建築の外形を感じることなく「透々居」の玄関に至った。扉がゆるりと開くと、突如として眼前に空間が開ける。半透明な光が次空間から導かれ、私の脳裏に白い繭玉が浮遊しているような錯覚を覚えさせた。繭玉は純白な色こそ上質な絹となる、そんな記憶がふとよぎった。全方位から降り注ぐ純白の光は身体を包み込み、日だまりとなったリビングルームを家の中心として結晶化している。彼はこの一点に全てを集約し、純白の光を創りだすべく手法を解析したという。(そのディテールについては、すでに多くの書籍に紹介されているので、ここでは省略したい。)すでに実験済みであった和紙という素材を発展させ、「より白い光を」というテーマのもとに無機質素材による空間を生み出すことへ挑戦した結果、最終的な素材としてガラスビーズ+石英という素材に結実したのである。また、同様なアプローチを構造からも行っている。軽さの連続性を持つ空間を成立させるための、ディテールを見越した構造は、薄いバー状の鉄板からなる鳥カゴ構造により成立した。
 しかしながら、3年の月日をかけてゆっくりと醸造された「透々居」は、無機素材の開発行為にのみ力が注がれていたわけではない。イメージが早く構築されたこともあり、彼は早々に使用する木材を購入したという。その3年の間、製材された木材は、時間とともに生じる癖を二回にわたり修正され、含水率などその他諸々の諸条件の一番適切な状態で施工された。素材が最も良い状態となるべく時間を費やされた結果、客室で使用されたクリと桐は、その硬さや柔らかさ、とぎすまされた艶や軽さを感じさせるマットさという特性は異なりつつも、同幹であることで持つ波長により絶妙な調和を醸し出している。さながら、外界の空気を吸い込んで深遠な響きをもつ空間を回帰してゆくようである。
 それに加え、この建物で特筆すべきなのは、一見シンプルに見える清楚な空気=空間が多くの素材が重なり含蓄しあうことで生み出されている点である。シンプルなものを創りだすべく様々なものをそぎ落としてゆく手法があることも、つくり手として勿論否定できないが、プラスしてゆくことで重みのあるシンプルさを創りだすことも出来るのではないだろうか? 「透々居」の光の壁は、そんなことをも感じさせてくれた。特に日本をはじめとしたアジアに見られる美学の中には、西洋にうかがわれる単一素材の美学と異なる風土が育ってきた。様々な素材を組み合わせる行為は、伝統に根付いた「含蓄の美学」として、彼の作品の中に確かに息づいていると言えるだろう。
 これらの事柄が示すように、幾度の失敗や条件をもとに綿密に素材を時空の中に重ねてゆく行為、そしてその経験に基づいた成果が彼の建築である。それが「伝統と自然の契り」を求めてゆく姿勢に基づいていることを、建築に携わる全ての人に是非とも感じて欲しい。

わたなべ・あきら
渡辺明設計事務所
関東甲信越支部・東京都

「透々居」

齋藤裕設計

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居間を見る 撮影:斎藤裕
配置図
南側全景 撮影:斎藤裕
2階平面図
1階平面図
西側立面図
断面図
断面図