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吉阪隆正 (1917年生れ、1980年逝去 享年63歳)
 箱根国際観光センター設計競技(建設は中止された)が実施された1969年、その審査委員長を務めておられた前川国男先生が、審査が終わったある日お見えになって「吉阪ってイヤなヤツだヨ。今朝電話があって、何故オレの案を落としたんだって言うんだ。そんなこと電話で言ったってしょうがないじゃないか」とおっしゃる。言葉のわりには大して怒ってもおられないお顔を見て、私は心の中でニヤリとした。
吉阪案は建物全体を大地の中に隠してしまったような案であったように思うが、詳細は分からない。しかし、相当な自信があったように見うけられる。いつぞや、吉阪さんが「人工の大地」を提案されたとき「誰か私にこんな注文をしてくれる人はいないだろうか。いや今に…注文させてみせる。そう私は息巻いている」というようなことをどこかに書いていたことが思い出される。
同じコルビュジェの弟子でありながら、前川さんと吉阪さんとは対極的な点があった。JAAのある座談会で、吉阪さんは突然「建築とは、私はしょせん「遊び」だと思っている」と言われた。そこにいあわせた前川さんがイヤな顔をされたのは当然であった。しかし、その後、吉阪さんの「有形学」をはじめとする建築についての考え方を知るようになってみると、この遊び=建築というのは、吉阪理論のある核心をなしているものであった。必要に迫られた工作の工夫の道中で発見していく「遊び」の中に、賑やかに人間同士を結びつけるような人生全体が含み込去れた建築が生まれてくるのたという確信。そして、そういう「遊び」は、科学・技術・近代文明という路線の中では出てこないとも言う。建築の空間のいろいろな構成にしても造型にしても、全部「遊び」の中から誰にでも共感の湧く奥深いものが発見されるというのである。
しかし、ことは建築にとどまらない。その対象は、小は個人の持ち物、生活空間から、建物 市街 風景や国土全体にまで広がっていく。それが、吉阪隆正の「有形学」なのである。そして、それは同時に、登山家であり探検家でもあった吉阪さんが未踏の山野に身を投じてきたその人生経験から生まれたものであったのではないのか。まだこれからという時の逝去、惜しまれてならなかった。
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