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吉村順三 (1907年生れ、1997年逝去 享年90歳 )
 吉村順三は、先号の谷口吉郎と同様、当初は私の理解を越える存在であった。軽井沢の「森の中の家」の風景には魅せられる思いであったが、その他の作品は、あまり見てもいなかったし、興味も湧かなかった。とかく理屈でものを考え、創造の「革新性」なるものを志向していた当時の東京モダニストにとっては、問題の所在が掴めなかった
。  しかし、その後、吉村順三の若干の作品にも触れ、また建築についての幾つかの発言を読み返すにつれて、もう一つの建築の本質を教えられるに至った。そこには理屈や理論では理解できない経験の蓄積の中から生まれてくる真実があった。若い頃から日本全国を始め世界各国の古建築や民家を見て歩いた経験、あるいは芸大学生時代からのレーモンド事務所での勤務、その後戦争が始まるまでのアメリカ生活の経験などの中で、日本の伝統と近代を丸ごと包み込んだところでの人間と建築の本質を発見していく吉村の精神が浮かび上がってきた。世界の眼を通しての、日本の伝統の柁底にあるものの発見である。そしてそれは、「昔からの大勢の人の知恵の結集したようなもので、人間の歴史とともに造られてきたもの」でもあるという。いわゆる「日本的」といわれることの特色にしても、その形や外観のことよりも、例えば、「ものごとが孤立していないというか、全てがいつも現象的に相関作用を持っているということ、例えば志野なら志野の茶碗にしても、博物館のガラスケースの中に一つポツンと置いてあるよりも、庭あり座敷ありという環境の中でその相対的な効果が出てくる」と言い、建築とは、その主体ではなく、媒体であり、「そこに住む人が自在に自分にあった雰囲気を造れるというところが日本建築の特色じゃないかしら」とも言いながら、しかし他方、建物のプロポーションについても、絵画とか工芸とか文学とかにしてもプロポーションが生命であると同じように重要なのだ、と言うことを忘れてはいなかった。
最後に一つ。1965年に発生した「新宮殿設計問題」一吉村事件は、建築家の設計活動などなに一つ理解しない日本の官僚機構の問題であったが、しかしその壁の厚さを痛感させられる事件でもあった。吉村順三は、1907年生れ、1997年逝去、享年90歳。
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