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横山公男
  1999・1付をもった横山公男の『痛哭』という短文パンフレットの送付を受け早速読んだ時の驚きは大きかった。副題は、「正本堂解体を問う」というもの。ここ数年間に亙って富士山麓の大石寺の一連の建物 (すべて横山の設計) が破壊され、今回の正本堂解体に至っているのである。理由は「池田大作氏を中心とする創価学会の讒法にある」というのであるが、私にとって池田大作とか創価学会などどうでもいいのである。ただ、戦後の日本の現代建築の貴重な一面を反映してきた横山公男の一連の建築が宗教の名において抹殺されつつあることは、われわれにとっても「痛哭」以外の何ものでもないということである。
私が大石寺を訪れたのは、これまで建て続けられてきた諸建築の「一つの総括」といわれた東西110m、南北82.5mの車輪構造型吊屋根構造の正本堂が竣工間際の時期であった。30万平米という巨大な境内における個々の主要な建物の設計はもちろん、伽藍の配置計画にも意を注いだ、執念の結晶がそこにあった(私は、小品ながらまろやかな曲面を描くコンクリート屋根の「宝蔵」が一番好きであったが、それさえ後半分が壊されているという)。宗教建築とはどうあるべきか悩みながらの試行錯誤が積み重ねられながら、横山の場合、それは、近代の精神を突き抜けたところで人間の内面に深く関わろうとする営為ともなっていた。従って、それは俗流「宗教建築」へのアンチ・テーゼともなっていたのだ。精神と肉体、思考と感情、合理性と表現は、二にして一、つまり「色心不二」、それが生命というものの実相であり、人間のあらゆる活動、さらには宇宙の万象の活動の根源であると言い、建築の設計もその「不二」の観点から追及していこうとする。建築家の倫理の問題にしても、倫理規定という外に現われたものはそれとして、それよりもむしろ内面の問題、建築を造る者の内側の問題としてそれを考えていたという点で横山公男の宗教は存在していたと、私は考えている。横山はどちらかと言えば寡黙である。それにも拘らずJIA時代、副会長、大会実行委員長その他の委員長、さらに前川国男の意志を受け継ぐ「建築家会館」社長の席を4期8年勤めてきたのは彼の人望のせいであろう。そのような建築家の作品のほとんどが破壊されているとは何たることか。なお、横山公男は1924年生れ。
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