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土浦亀城 (1996年逝去 享年98歳)
 土浦亀城は、4年前の1996年、98歳でこの世を去られた。
その長い建築家としての人生の最初の時期(昭和10年頃まで)は、3年近くのタリアセンでのライトヘの師事を終えて帰国後、自邸、野々宮アパートを始めとする珠玉のような「白のモダニズム」による作品を造り、わが国建築史上にその貴重な足跡を残した。
その自邸を初めて拝見させて戴いた時は、まさにカルチャー・ショック以外のものではなかった。吹き抜けのリビングに立って見る、階段を中心とする多層の居住空間に、私は大きな衝撃を受けた。その経験を原点にして、土浦亀城に関する謎が芽生えることになる。第一に、ライトに学びながら、なぜ「白のモダニズム」なのか。それは、ライトを学ぶとは、形を学ぶことではないのだから、ということにしておこう。それよりもっと重要な疑問がある。それは、なぜその後目立った活躍もなく、やがて1969年、先生72歳にして事務所を閉鎖することにまでなったかということである。勿論、その間事務所としての活躍がないではなく、事務所の中からは、松村正恒、村田政真、郡菊夫、河野通祐、加藤寛二といった辞々たる建築家が巣立ってさえいる。しかし、土浦自身は沈黙しているようだ。いろいろ考えているうち、昭和7年の次のような文章に出くわした。
「……陸屋根はどうしても近代生活の要求として考慮に入れる必要がある。新しい防水材料がたくさん研究されている時代に傾斜屋横を見ると、晴天に雨傘を差して立っている人のように見える。これに反して陸屋横は防水コートと防水帽とを着て雨の中を闊歩する青年のように勇ましい」と。技術的困難の中で新しい発見をしながらのトロッケン・バウであったとはいえ、なんたる気負いであろうか。それが、見事な「モダニズム」をつくりだしていた土浦亀城の、その後の精神のトラウマにならないはずはなかったのではないか。
他方、初めの頃の建築のオーナーは全て土浦さんの知り合いの知識人、文化人で、土浦さんの人柄をよく理解した上での依頼であり、そこでは建築家土浦は全うされた。しかしその後は、相手が企業、組織となり、建築が経済の対象になったことが先生にとっての悲劇だったのではないか、という(河野通祐さんの話)。誠にお気の毒な建築家であった。
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