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武基雄 (1910年生れ)
 武基雄は1910年生れ、早稲田大学では佐藤功一、佐藤武夫、今井兼次たちの薫陶を受けている。1937年、卒業と同時に、佐藤武夫の世話で石本事務所に勤務、そこでたまたま同期の詩人立原道造と、彼の死まで親交を結び、武の人生観に大きな影響を与えたという。石本事務所には3年ほどいて、戦争で仕事もないということで大学に戻り、その後「都市計画」を専攻したという。若い頃の武基雄といえば、知る人の間ではコンペの達人といわれ、学生時代から始まり、石本時代、そして戦後に及び、1949年の「仙台公会堂」の入選、実施は有名である。武の時代はやはり西欧といえばコルビュジエの影響は大きく、「仙台」にしても、その後の武の代表作である長崎水族館も、明らかにコルの影響を受けていると言えよう。
武といえば思い出す一つのことは、彼が「例の会」のメンバーであったということである。「例の会」とは、彼と同世代の丹下健三、吉阪隆正、池辺陽、河合正一、浅田孝の集まりであり、1953年の「国会図書館懸賞設計」という戦後最大のコンペの募集要項における応募建築家の著作権無視ということに対する抗議、更には応募拒否を建築界に呼び掛けた人たちである。彼らよりもっと若い世代の「事務所員懇談会」のメンバーもそれに呼応したことで、困惑した当局によるある程度の妥協によって応募拒否は解かれたが、若手たちはそれをも不満とし、「例の会」は取るに足らずとばかり、やがて「五期会」が組織されるに至るのである。10年ほど前の「学会」における昔を回顧するインタビューで、武は「例の会」のことを思い出しながらもそのことに一言も触れていないのは何故であろうか。
武は学問としては「都市計画」の専門家であるが、住まいが鎌倉ということもあってか、常に市民の一人として都市問題に関わろうとしてきた。「鎌倉都市計画懇談会」において市民の「駆け込み寺」的な役割を果たしたり、かつて学生たちに教えたデビッド・L・スミスの「アメニティの三相」を市民の生活の中で考え、建築の「美」を超えた生活の「美」つまり、the right thing in the right placeというアメニティの本質も、「都市計画」の実践の中で実感されていったことであろう。
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