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西澤文隆  (1986年逝去。享年71歳。)
 西澤文隆は、1940年東大卒業後直ちに板倉準三建築研究所に入り、戦後その大阪支所開設後は同支所長となり、更に板倉準三死去によりその代表となり、1986年71歳で逝去されるまで一貫して同研究所とともにあった。しかし、コルビュジェ追従の「近代建築」には常に反発し、むしろ日本建築に傾斜し、そこで自ら真剣勝負をして独特の和風を作り上げたかと思うと、最後の「自邸」は、コンクリート打放しによる「現代住宅」であった。それにもかかわらず、それらを一貫する「西澤文隆の世界」が形成されているところに、西澤の骨頂がある。
西澤は、芸術も知識も、頭ではなく体で習うもの、しかもそれらを消化、吸収して自分の体の一部にすること、というようなことを言っていたが、その一つの典型が彼の建築と庭園の実測ではなかったか。これまでの建築と造園とは別々の、しかも間違いだらけの実測図が多い現状を嘆きながら、建築と庭園がもつれ合いながら造られていった過程を身を持って体得しようとするのである。憑かれたように実測していく気持ちを、通り魔とか色魔という言葉があるとすれば、実測魔という言葉があってもいいじゃないかとしながら、次のように言っている。「私を実測魔に仕立て上げてくれたものは、増築に増築を重ねながら、その瞬間瞬間の時点でもっともふさわしい建築と庭園の関係を造っていった人々であり、その結果として現に私を包み込んでいる『ものを作る』面白さそのものである」と。そしてまた「・・・日本建築の奥に潜む厳しさとユーモアが身に染みて感得できるのは、実測をやっているその瞬間である。切って切って切りまくる果たし合いの瞬間とは、まさにこのようなものであろうか。己を空しくして天地と合一するという言葉の通りなのである。・・・実測は私を駆り立て、想像力と発想力を付け加えてくれる。実際の仕事でも一本勝負ができるよう私を育て上げてくれるのである」と言う。
しかし、彼は、とどまるところを知らぬほどに、あらゆることを学び、エネルギーを蓄積し、それらを反復租借しながら仕事に体当たりし続けたがゆえに、体を壊し、死を早めたのではなかろうか。西澤文隆は、関西支部でも人望厚く、種々の役職を兼ねていた。
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