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池原 義郎 (1928年生れ )
西欧にしても日本にしても、近代以前の建築を見て、「なんという美しい形だろう」「なんと美しいプロポーションなのだろうか」「なんという静謐な空間なのだろうか」「なんと素晴らしい雰囲気なんだろう」といった言葉を発する時がある。「なんと」と言う日本語がどういう意味かは別にして、そういう曖昧な言葉を発しながら精神は高揚しているのは何故だろう。「近代」になって以来、とかく「理念」とか「方法論」といった考え方が主流となり、私もその例外ではなかった。しかし、心の底では、「精神の高揚」が求められているのだ。前置きが長くなったが、池原義郎は、「近代」にあってしかも、この「なんと」という言葉を発さしめる建築を彼なりに造ろうとしてきたと言えば、褒めすぎかもしれない。
池原は「所沢聖地霊園の礼拝堂と納骨堂」で建築学会賞を、「早稲田大学所沢キャンパス」で芸術院賞を受賞している。前者における、芝生の大地、礼拝堂の銅版葺の屋根、入り口へ向かうペーブメント、白い壁、水盤などシークエンスに立ち現れる「形」たち、礼拝堂内部の小屋組や彫塑的開口部から差し込む「光」たち、それらは、小さく言えば「雰囲気」、大きく言えば「地球」を感じさせる場所となっている。後者は、平面図によると渦巻状に高層部分に向かっており、「内部空間を歩いていく体験の中で空間のイメージを醸成していく」という、まさにここでもシークエンスの体験が空間の本質とされ、最後の高層部分では、外観においても垂直の面を幾重にも積層させながら躍動的に天を目指す、その「形」を美しいと見るのはモダニズムのコンプレックスであろうか。
池原は、早大で恩師今井兼次に師事して30数年間、遅まきながら独立したのが95年、その後設計活動に専念したが、今井兼次の影響から脱皮するのに苦労したというのだから面白い。池原は、それだけやはり「近代」を生きていたのである。今井兼次の「建築への献身」やその「文学性、詩性」からの脱皮を語る池原は、その世代にふさわしいラチオナリズムを追求しようとしていたのではないのか。
今井兼次は身も心も建築に捧げていたが、その点でも、池原義郎は市民社会における公共建築のあり方、それに対する建築家の職能について語るのである。池原は、1928年生れ。
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