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池田 武邦 (1924年生れ。)
池田武邦は、1968年完成の霞ヶ関ビルを皮切りに、京王プラザホテル、新宿三井ビルへと続く日本の『超高層建築』設計の主導的立場に立ってきた建築家である。その事務所『日本設計』は、新宿三井ビルの50階に居を構える日本でも有数の大手設計事務所である。しかし、池田は、当時の『経済成長路線』に一見乗りながらも、建築の『文化路線』を忘れることはなかったようだ。
早い時期からの『モデュラーコーディネーション』の主張もそうであったし、大谷幸夫を中心とする、当時都知事に立候補した自民党泰野章による東京都の環状路線高層化に反対する論陣の一員に加わっていたのもそうであった。
その後、オランダ村の開村、ハウステンボスのオープンに当たってのその計画、設計における環境問題への熱中は、その頂点であると言えよう(オランダ村は2001年10月閉園)。
オランダ村の計画に当たって、通常なら道路側からの発想になるところを、海や川からの視点を守り、下水処理の観点からも海を汚すようなことは一切しなかったという。また、ハウステンボスの計画に当たっては、『環境文化研究所』と『環境研究会』とを設けて、環境問題に関する車の両輪とし、後には池田自身がその所長と会長とを兼務するに至る。更に、『日本設計』の名誉会長の席に在りながら、里山や鎮守の森の復活を通して自然と調和した人間生活の大切さ、環境の保護の必要性を社会に訴える『聚』の理事長、秋田テクノポリス開発機構主催の人材育成研修『池田塾』の塾長をも勤めているという。何故それ程までの『環境』なのであろうか。
近代文明の基をなすデカルトの人間中心主義を批判することはよく分かる。戦後日本の『近代化路線』は、その批判なくしては健全な文化としての建築は育たないからである。しかし、かつての『超高層』の闘志池田武邦がかくも徹底的に環境問題に転換するのはさすが池田だと思わないわけではないが、しかし『30年ぶりに超高層ビルから解放されて、ほっとしている』とか、『人工環境なしでは成立しない超高層建築は間違いだった』といわれると、いささか疑問に思わざるを得ないのである。そこにどんな『総括』があったというのであろうか。なお、池田武邦は1924年生まれ。
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