青木繁は、この世代に多かった海軍兵学校からの転校組の学生であった。本人の回想によれば、その後『人と人との付き合いが苦手で、・・・物いわぬ数字を相手にしている方が似合っているのではないか』ということで構造の方に進んだという。大学院での坪井善勝研究室での勉学(中でも『鉄筋コンクリートの曲面構造』)、そして丹下健三研究室との協同設計が、次第に青木繁を優れた構造家に育てていったようである。そしてその過程で、外からみている我々にとって二つの『哲学』が、青木繁の中に醸成されていたようである。
すなわち、一つは、ものつくりの場では、ただ一つの解しかないということはなく、幾らでも可能性があり、その中でこれでいいのだと自分を納得させるものを探し出す必要があるということ。私は、この物事の多義性については、古くはベルグソンの知性論から、今日の『複雑系』の理論に至るまで改めて考え直す必要がある問題だと感じている。
もう一つは、建築の構造については、『合理』と『不合理』の二つの側面があるということ。構造の分野が果たすべき役割は合理主義に立脚して常に冷静であり解析的であることが要求される。この限りにおいて理論や実験に支えられた合理の世界であるという。しかし空間を創造する行為の中には不合理の世界があるという。その折り合いを旨く付けるのが構造設計だというのである。私はその典型を大谷幸夫の『沖縄コンベンションセンター』の構造設計に感ずる。初めは、何故この形態なのかという思いと、構造合理性との隔たりに対する懸念を思いながら、『かつての激戦地沖縄に鎮魂の碑を建てたい、そのためには・・・』という『淡々とした中にも情熱を秘めた大谷の言葉』にすべてを諒解したという青木繁の『非合理』の精神に、私は納得してしまうのである。そのことを、青木は、他の場所では次のようにも言う。『構造計画の本質は極めて男らしさに満ちあふれた・・・ものだが、空間をどのように創り上げるという段階で、女らしさの象徴ともいうべき鋭い感性と優しさに溢れた愛する心とが、極めて重要な意味を持つ・・・』と。もう余白がない。昨年6月まで日本建築構造技術者協会の会長としての国際的な活躍もある。
なお、青木繁は1927年生まれ。
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