平成17年9月30日
松竹株式会社 代表取締役社長 迫本淳一様
株式会社歌舞伎座 代表取締役社長 大谷信義様
社団法人 日本建築家協会(JIA)
関東甲信越支部 支部長 松原忠策
同 保存問題委員会 委員長 川上恵一
「歌舞伎座」の保存活用に関する要望書
拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
貴社におかれましては、日頃より歌舞伎芸能を通じて日本の伝統文化の継承と発展を試みられ、また、芸能活動を通じ我が国の建築文化の継承と発展に寄与されている事に、深く感謝致します。
さて、去る4月22日の新聞各社の報道により、貴社と株式会社歌舞伎座が、「歌舞伎座」及び隣接する歌舞伎座ビルを一体として再開発を計画されており、その中で「歌舞伎座」は建て替えの方向で検討されていることを知りました。
ご高承のように、初代「歌舞伎座」は、江戸四座以来の伝統演劇である歌舞伎芸能の近代化を目指した演劇改良運動の流れを受け、福地源一郎氏らにより明治22年(1889)に建設されましたが、大正10年(1921)漏電により惜しくも焼失しました。それを受け、現「歌舞伎座」は、当時東京美術学校教授であった建築家・岡田信一郎の設計により着工し、途中、関東大震災による被害を乗り越え、大正13年(1922年)に竣工しました。この建築は、昭和20年(1945)の空襲により内部を焼失する被害を受けましたが、貴社をはじめとする国民の歌舞伎座復活の強い要望に支えられ、いまだ占領下であった昭和26年(1951)に、後に文化勲章を授与された建築家・吉田五十八の設計により改修され、現在の姿となっています。
岡田の設計になる「歌舞伎座」は、晴海通りに面した堂々たる唐破風のファサードに象徴される和風意匠の中に、近代劇場技術の粋を巧みに取り込んだ名建築でしたが、吉田は、師である岡田の名作に対する深い敬意と、巧みな修復技術に支えられた大胆な意匠により、この歌舞伎座を見事に再生しました。特に劇場内部は、当初伝統的な格天井であったものを、豪壮な吹寄せ竿縁天井に変更し、華やかな歌舞伎の演目と一体的な雰囲気となって、今に生きる伝統芸能である歌舞伎と芸術上の見事な調和を見せています。
都市における建築は、文化と記憶の集積そのものとも考えられますが、「歌舞伎座」は、歴代の建築家が渾身の努力で伝統と近代の融合を追及した結果生まれた、建築と内容が見事に一体となった類い稀な国民的文化遺産と考えられ、日本建築学会が編纂した「日本近代建築総覧」に掲載されると共に、国の登録有形文化財にもなっております。また、劇場を訪れた人々の記憶の中に、役者と劇場空間が一体となった活き活きとした体験として生き続けている、希有な建築であり、このような建築がそこに存在し続ける事で、都市の文化的奥行きが深まる事と考えられます。
現「歌舞伎座」は、二度の火災の被害を乗り越え、岡田信一郎、吉田五十八という建築家が伝統と近代の融合を意匠の中で成し遂げた名建築です。戦災による復興工事が竣工した際、貴社の白井松次郎会長(当時)は挨拶の中で、「フランスの代表的劇場がオデオン座であり、アメリカの代表的劇場がメトロポリタン座である様に、歌舞伎座は我が国を代表する劇場である」と云われております。このような生きた建築は、一度失ったら再びよみがえらせる事は困難であり、あらゆる意味で後世に伝承されるべきであると考えます。老朽化による立て替えとも報道されていますが、耐震性の向上や、設備の更新等の諸問題は、現代の優れた建築技術により解決できる可能性を多く持っております。また、歴史的建造物の保存と再開発を両立させ得る様々な建築・都市計画制度が整備されて来ています。どうか十分な検討をされ、日本の誇る劇場建築である「歌舞伎座」を末長く活用される事を切に要望申し上げます。
なお、社団法人日本建築家協会関東甲信越支部及び、同保存問題委員会は出来る限りの協力をさせて頂く事を申し添えます。