JIA大会

JIA大会2000内子  鼎談

「地域文化とまちづくり」

早坂 暁
河内 紘一
村尾 成文


村尾 内子では長い伝統を残しながら町づくり、村づくりに取組み、地域独自の文化が色々育っています。最初に内子町長の河内さんからお話いただきたいと思います。
河内 内子では、町並み保存の運動が町づくりのスタートになりました。内子町が最初に5ヶ町村合併して出来た頃は人口が2万人ぐらいでしたが、今は大体1万2千人ですから半分です。高度経済成長の頃に過疎化が進み、何とかしなければという状況の中で、かつて木蝋の生産で栄えた家並みが残っていたので、それを残して行こうという運動をしたわけです。町でも熱心にやってくれる職員がいましたし、学者の皆さん方にも応援をしていただく中で、幸い住民の皆さん方にもご理解をいただいて軌道に乗った。古い町家を文化庁の補助などもいただいて残していく。古い家に誇りを持って住んでいただく。多くの人たちに、内子らしい家並み、空間を美しいと言って来ていただく。そのことによって内子が賑わいを持つという展開です。私どもは町並みだけでなく、村並みづくりもしようとしております。農村も町並みと同じように私達の心のふるさと、原風景でもあるわけです。町全体に美しい農村景観を作っていきたいということです。
村尾 ありがとうございました。私達建築家も、どうしても都市に関心が行きがちですが、実は都市は都市だけで成り立っているのではなく、農村とのバランスで成り立っているわけです。ヨーロッパでは国土の保全という意味で、ずっとトータルに考えていますね。日本は戦後の高度成長の中で、何となく農村切り捨て的になってきたんじゃないかという感じがします。そんな時に村並み、村づくりというお話をうかがって大変嬉しく思いました。ぜひ良い成果をあげていただきたいと思っています。もう一つうかがいたいのが、四国には最近、本四架橋や高速道路が出来、色々な所との時間距離が短縮されることになりました。そういう変化は地域のあり方にずいぶん影響すると思いますが、その辺りはどんなふうにお考えになっていて、実際にどんなことが起きているのでしょうか。
河内 高速道路が7月28日に開通したばかりです。私どもの町は地の利を得て、鉄道や高速インターチェンジの恩恵が受けられるということは大変喜んでおります。ただ、高速道路が開通したから町でどのような影響が出ているかという数字は掴みきれていないんです。「からり」という、農家の皆さんが中心になった直売場がありますが、これなどは数字的なプラスが出ています。町民の皆さん方は利便が非常に良くなり、ゆとりのようなものを味わっていただいているのじゃないでしょうか。そしてやはり年を経て来ると、広い地域の方と色々と交流が深まるような動きがどんどん出て来るんじゃないかと思います。高速道路も料金を払って乗るわけですから、町としては料金を払っても来ていただけるだけの魅力あるものを作っていかないと、これから生き残っていけないという思いもします。
村尾 早坂さんはこちらで生まれてお育ちになったとうかがっております。20世紀半ば前からの四国、あるいは松山近辺をご存じでいらっしゃると思いますが、街づくりとの関わり方とかお考えとかご希望とか、その辺のお話をうかがえたらと思います。
早坂 町並みを売るということは時間を売っているわけですが、内子は羨ましい限りですね。上芳我、下芳我邸などが残っていたから時間を売れるのだと思うんです。僕は北条出身です。今は市ですが、僕が生まれた頃は北条町で内子町と似たようなものですが、北条では町並みの核になるものがないんです。保存すべき町並みがないわけですから、僕は時々北条に帰って、町の人に瀬戸内海の海がどんなに美しいかを知ってほしいと言っているんです。北条で生まれ育った人は何の変哲もない海だと思っていますから、この海が変哲だということを分ってほしいと。だから町の人に各地を見てきてほしい、そして自分たちが住んでいる所がどんなに美しいか知ってほしい。それから、花のある里にしてほしいということを提唱している。いつ行っても何かの花が咲いている、そして花へんろというような札所を作って、町の中で花を巡り歩けるようにしてほしいと言っているんです。農事試験場がありますから、何を植えたらいいか町の人に教えて下さいとお願いしたんですが、農事試験場もお役人で、なかなか手柄にならないと思うのか、やらないんです。町民も教えてくれと頼みに行かないですね。北条は土塀も蔵もありませんから、内子をモデルにしたってどうしようもない。花とか海とか、自然をいかに売れるかということを考えなければならない。
 JRの駅も全国同じですね。降りたら、ここは鹿児島だ、内子だ、北条だと分るような駅にしてほしい、町の玄関の作り方から変えてほしいと思うんです。どこに行っても金太郎飴みたいで、東京の郊外も名古屋の郊外も全く同じです。いつこんなに均一化したんだろう、つまらない国になっちゃったなあと思うんです。土地土地の個性が必ずあるわけですから、それをどうやって発見してどう表現するかは楽しい工夫だと思うんですが。そうすると来た人が楽しさを感じる。楽しそうに暮らしていると感じないと、いくらきれいに作っても魅力がないと思う。倉敷なんて非常にきれいですが、あそこの町並みは人が住んでいる感じ、生活感がないんです。巨大なオープンセットみたいなんです。角館の武家屋敷などは人が住んでいるから素敵なんです。その代わりしょっちゅう人が入ってきて覗いたりして、プライバシーを守るにはちょっと難しい面もあるんですが、折り合いを付けながら生活感が出ていなければいけない。郡上八幡だって流れている川、というより堀ですけど、そこで洗濯したり大根を洗ったりしていて、気持ちいい、楽しそうだなあと思うわけです。こんな所に住んでみたいなと思う。こんな所に住みたいなと思わせたら成功です。
村尾 日本中が同じような表情だということはよく話題になります。街ごとにちゃんと個性、表情があるべきだというお話には、私ども建築家も多少責任があるのかなと思うのですが。特に戦後50年でそういう所が非常に増えましたね。中央集権システムの結果かもしれません。最近少し違ってきましたが、駅舎を標準設計で建てちゃった、学校なども同じようなものを標準設計で建てちゃった時期があるんですが、そういうことから脱却しないといけないのじゃないかと思います。今、地方分権ということで、地方に権限と工夫の自由度を広げて行くというようになっています。日本もやっとそういう所に来たのかという感じを持っています。
 もう一つうかがいたいのですが、遍路路文化という言葉がこちらにあると聞きました。長い歴史の中から出て来た文化のありようだと思いますが。
早坂 文化と言っていいのかどうか分りませんが、人と人のネットの作り方ですね。あそこに行ったら誰々に会いなさい、ここに行ったら誰々に会いなさいと、まるでリレーみたいに人から人に渡っていくわけですね。人のコネクションが非常に善意に支えられて作られている。これは人との接し方にあると思うんです。日本で一番失われているものかもしれない。町並みも大事ですけれど人並み、人の並びも大事だなと思います。とても親切で、追いかけて来てポンカンをくれたりする。他の所では知らない人を追いかけてものをくれることはないですよ。そんなもの何が入っているか分らないというのが常識ですが、そうでなく、人と人が善意で繋がっている、まれに見る人垣、人ネットの場所なんです。森喜朗さんが道徳教育なんて言いますが、四国では、そんなことは生活の中にあるわけです。森さん自身が歩いてみればよく分ると思うんですけど。教育勅語なんて言わなくたって、お大師さんが作ってくれたものがありますから。と、僕は思っております。
村尾 有り難うございました。村並みの次に人並みということで、たいへん分りやすいお話でした。
 河内さんにうかがいますが、四国はそれぞれの地域の特徴が非常に出ている所ですね。四国の中で地域それぞれが個性を持ちながら町づくり、村づくりをしていくことについて、自治体のネットワークのようなものはあるのでしょうか?
河内 四国は海の国でもあるし山の国でもある、非常に急峻な山がありますから、その風土の中で独特のものが育ってくるわけです。それぞれの地域がそれぞれ魅力を持っている。狭い範囲では、内子から大洲、そして宇和島のほうに繋いで、ロマンチック街道のような感じで繋げていったらいいのではという話も出て来ていますが、四国全体をそういうネットワークで結びたいですね。四国四県の知事さんも仲良くコミュニケーションをとっていただいていますから、そんなこともこれから出来たらいいなと思います。
村尾 四国自治体サミットというような感じですね。私ども建築家もそういうことに一役買わせていただけると大変嬉しいんですが。もう一つ、建築家に対するご意見があるのじゃないかと思うんですが。
河内 内子町の大瀬中学校が大江健三郎さんの母校ですが、原広司さんが大江さんと親しいということで、設計してやろうということになったんです。山の傾斜があったので、切り開いて平らにして作ってほしいと言ったのですが、その時に原先生は、そのまま傾斜の所に学校を作ったんです。その時に言われたのが、「場所には力がある」という言葉。自然の場所は、むやみに機械でいじらないほうがいいと言われた。その後を受け継いで大江さんが「場所には物語がある」と付け加えてオチみたいになったんです。土地をそのままにして建てたことで、工費が4〜5千万円浮きました。そして、しっかりと自然の中に溶け込むと言うか、そこからわき出たような建築物が出来た。建築家はやはり知恵を売るんですね。だから少々設計費が高くても良い建築家にやってもらわないといけないのかなと、そんなことを学びましたね。
村尾 たいへん理解のあるお話です。原さんは私の同期生なので、よく伝えておきます。
 ところで会場の皆さんでご質問がありましたら、挙手をしていただきたいのですが。
参加者 地元で農業と林業をやっています。どうして日本の建築家は外国の材木を使うのか、今、日本産の材木は19パーセントしか使われていない、あとは全部外国の木材なんです。先般、私の家内の里で家を建てましたが、外国の、しかも日本でいいますとケヤキに属する雑木を使っている。また、以前にラジオで、針葉樹、松とか杉とか桧などは、建ててから800年の間は強くなっていく、ケヤキのような木は建てた時が一番丈夫だが、と言っていました。ですから建てて1200年の法隆寺は、今も建てた時より丈夫なんだと、こういう放送を聞いたことがあります。その杉や桧が使われていない。特に杉にいたっては作る価値もない、費用も出ない、そういう状況です。外国の、ちょっと放り投げたら折れるような材木を使っている。こんなことで日本の木造建築が強化されるはずがない。
村尾 厳しいご質問をいただきました。私は木材についてそれほど詳しいわけではないのですが、大きな枠として思いますのは、世界的な貿易の仕組み、建築よりもっと大きな範囲でのルール付けがあります。木材でも農業でも色々なものが話題になっています。国の政策として、国内を保護するような主張がなかなかしにくい。そういう影響があるのだと思います。もう一つは使う側でどう考えるのかという問題があります。私の持っている情報量からは大枠的なことしかお答えできないんですが、むしろ会場に、木造建築をやっておられる方で今のご質問にお答えいただける方、いらっしゃらないでしょうか?
山本長水(大会実行委員長) 確かに木材のうち国産材が19パーセントしか使われていないというのは大変大きな問題ですが、日本の木材は戦争前後に切り尽くされるくらい切られ、今は大部分が50年以下の若い林で、建築に充分使えるまで成熟していない場合が多いんです。それでもう少し時間が経つのを待てないかなあということですが、立派な大根を作るためにはだんだんと優れたものだけを残して、間引きしたものを抜いて食べますよね。林も間伐して優れたものを残していくようにしないと良い林に育たない。50年以上過ぎるとそこそこ使える、理想を言えば70年、100年経った木を使うのが、本当に日本の木を活かして、本来の値打ちとして使えることですね。しかし、そんなに待っていられない、抜いた大根の料理を考えなさいというテーマがあるんですが、例え間伐材でもそれなりに出来ると思います。ただ、若い木は非常に貧相というか、味付けを上手にしないとお客さんが評価してくれない。上手に料理しないと皆さんに味わってもらえるものにならないというのが現実です。戦後数十年間、木造建築は花形ではなく、出来ればやめたらいいというような風潮でしたので、木材を料理する人があまり育っていない。関心のあるごく一部の人だけが木材の料理が出来るわけです。その辺、非常に大きな問題がありまして、責めるのは簡単なのですが、やはりお客さんのほうが木造建築の注文をしてくれるのが先で、そうすると自然と料理人も育って来ると思います。それから、どうして使わないのかと林業をやっておられる方に言われても、実はなかなか難しくて困るんです。今の若い主婦は魚をおろして刺身にする力をなくしていますね。つまり普通の建築家はそういう力をなくしているわけです。そういう時は山持ちの方も何とか工夫をして、魚屋さんのように三枚におろして売るという努力を重ねていかないといけない、そして両方が歩み寄らないと解決しないのじゃないかと、とりあえずこのようにお答えしておきますが、よろしいでしょうか。
村尾 有り難うございました。この問題はもっと議論させていただきたいのですが、時間の関係がございますので残念ながら区切らせていただきたいと思います。
早坂 山というものは本当に大事なんです。近頃やっと漁師さんたちが、山が魚を育てていることが分って来て、漁業組合などで「木を植えよう」という運動が始まっている所があります。山に木がないと栄養のある川の水が出来ない。川から来る栄養がないと海に魚も集まって来ないという関係がやっと分ってきたわけです。僕は、海は山が育ててくれる、川は人間、流域の人たちを育ててくれると思っています。今のお話にありましたが、日本の木が日本の風土に一番合っていることは間違いない、日本の風土が育てた木で暮らすのが一番心地よいと思うんです。日本の材木で作った家は生きています、呼吸しています、笑う家でもあります。確かに鉄筋コンクリートのほうが脆いです。あれは永遠のものかと思った時代があるわけですが、たかだか100年ですね。今、東京のマンションに住んでいますけれど手入ればかりしないといけないです。だから僕は風土に合った材料で建築をしてもらいたい。東京には色んな建築物がありますけれど作品という建造物で、住める建造物は殆どないんです。評判にはなるでしょうが、そんな評判は意味がないと思うんですよね。使いやすいものをどう作るか。僕はずいぶん前に家を建てようかなと思った時があります。崖地を利用して階段式の家を作ろうとした。すると、面白いですね、建築雑誌に必ず写真が載りますと言われた。別に載らなくたっていいんだけど。家を作らなくてよかったと思いました。
村尾 核心をついたお話だと思います。私もうちの若い人によく言うんです。僕たちのやっている仕事は自分のお金じゃないんだ、自分のお金を使ってやるのなら、本当にこういう設計が出来るの?と。せっかくの機会ですので、もうお一方、ご質問があればどうぞ。
林昭男 (滋賀県立大学教授) 質問ではないのですが、先ほどの木造建築のことについて、建築家はもっと真面目に考えるべきだと思っています。昭和30年代に日本建築学会で、木造建築はもう駄目だという意味の声明を出したんです。私は大学で教えていますが、今、日本の大学で木造建築を教えている講座は殆どありません。輸入の問題もありますね。日本には木が沢山あるにも関わらず、算盤だけで動いているわけです。この3年間、私は夏に学生を連れて吉野の山でキャンプを張っていますが、切り倒された木がいっぱい、もったいないほどあります。山で働く人がいませんし、理解ある建築家が使ったとしてもちょぼちょぼですよね。そういう状態を脱するには抜本的な国策が必要だと思います。国が開発事業を色々やっていますが、開発より森を活性化させることにお金を使うべきだと思うんです。
村尾 森は木材供給だけでなく、非常に多様な国土保全の機能を持っています。昔は稲作のために山に木を植えることは当り前でした。先日見に行ったのですが、江戸時代に50〜60年かけて木を植えて水源を確保した森が阿蘇の斜面にありまして、それが一部残っているんです。感激して色々話をうかがって来ました。基本的な政策として、木材としてだけじゃなく森の多様な機能をちゃんと評価することを確立していく必要があるだろうと私は思っております。建築学会の声明のことは初めて知りました。この際、建築家協会が逆の声明をするぐらいの気迫を持たないといけないのじゃないかという気がしております。(会場から拍手)
河内 私どもが町並み保存を一生懸命やろう、内子らしい町を作っていこうという運動をしている中でも、最近は、特に若い人が大手建設会社が開発したプレハブ風の家を建て始めていますね。内子の風土で育ったものを使っていくのが内子の個性になると思うんですが。日本の木を使ってきちっと家を建てて200年持たす、すると美しい町並み景観が財産として残っていきますね。フランスやドイツはそういうものを残していますが、日本は作って壊して、ゴミばかり出している。例えば日本で木造の立派な家を建てたら、とてつもない額の固定資産税が掛かってしまう。しかし、その家が200年持つなら、税金は薄く長く取ればいいと思う。50年、100年と木を長く育てる。そうすればCO2の問題もなくなるわけです。高樹齢の木を使って200年、300年持つ家を建てる。こういう循環にならないと町もきれいにならないし、国としての財産も残らない。
村尾 有難うございました。地域文化と街づくりの大切なキーになるのが森と木造建築であるということが浮かび上がってまいりました。大変貴重な結論だと思います。よく反芻をして、JIAとして何らかの行動に繋げたいと思います。是非、お二人に盛大な拍手をお願いします。(拍手)

(2000年10月20日 於内子座 文責:編集部)
早坂 暁 はやさか あきら 作家
河内 紘一 こうち こういち 内子町長
村尾 成文 むらお なりふみ 日本建築家協会会長